文献詳細
連載 整形外科と蘭學・8
文献概要
宝暦4年(1754),京都六角獄舎の前で山脇東洋たちが解剖を行って以来,全国的に解剖が行われるようになったが,文政2年(1819)に中津の村上玄水が解剖を行った時に至っても,仏教会や漢方医の反対や世論の抵抗が強く,なかなか容易には解剖ができる雰囲気ではなかった.これは日本人が死体に魂が宿っているという古くからの信仰心を持っているところから始まっており,今日に至っても臓器移植が普及しない,大きな要因の1つである.
このため整骨医の中には闇で解剖を行おうとする者も現れたりしたが,遺骨に特に執着心を持つ日本の文化的環境から人骨の実物標本を所有することは到底許される状況になかった.
このため整骨医の中には闇で解剖を行おうとする者も現れたりしたが,遺骨に特に執着心を持つ日本の文化的環境から人骨の実物標本を所有することは到底許される状況になかった.
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