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文献概要
連載 日本の整形外科100年 1
整形外科学導入前夜
著者: 蒲原宏1
所属機関: 1日本歯科大学医の博物館
ページ範囲:P.30 - P.32
文献購入ページに移動江戸期においてすでに西洋の整形外科的治療法は,18世紀初期にフランスのAmbroise Paré(1510~1590)の『Les(Euvres de M. Ambroise Paré(外科全書)』と,ドイツのJohann Schultes〔Scultetus〕(1595~1645)の『Armamentarium Chirurgicum(外科の兵器庫)』の2冊のオランダ語版を主なる幹とし,若干その他の外科書を参考とした抄訳編集が長崎の通詞外科医らによって行われることで,日本に紹介されはじめた.
楢林鎮山(栄久・1648~1711)が1706年にまとめた『紅夷外科宗伝』と,西 玄哲(1681~1760)が1735年にまとめた『金瘡跌蹼療治之書』がそれであったが,何れも家伝の秘密の書であった.一族の医師か,特別に許された門人だけに写本が許されるだけで,情報の伝達は遅く,普及の範囲は限られていた.ようやく1767年に京都・伏見の外科医 伊良子光顕(1735~1797)が前記2書と極めて似た内容の『金創秘授 外科訓蒙図彙』を出版したが,普及範囲は限られ,16~17世紀の西洋外科の水準にすぎなかった.
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