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文献概要
連載 整形外科と蘭學・18
大江雲澤と薬湯
著者: 川嶌眞人1
所属機関: 1川嶌整形外科病院
ページ範囲:P.912 - P.913
文献購入ページに移動「医は仁ならざるの術,務めて仁をなさんと欲す」という臨床現場における医のリスクマネジメントを既に江戸時代に唱えて,自ら主催した医塾で全国から参集してきた医学生に医術を教えてきた中津医学校初代校長の大江雲澤(1822~1899)は,華岡青洲の大阪分塾の出身であり,蘭方外科医であった.しかし,華岡青洲の医術も蘭方外科のみならず漢方との折衷派であったように,雲澤の医術も折衷派であったことを示す証拠が最近発見された.大分県立博物館に収蔵された大江雲澤の薬籠の中から多量の漢方薬が発見されたことと,漢方主体の薬湯療法を行っていた証拠の看板が発見されたことである(図1).
筆者が少年時代からよく祖母に連れられて入浴していた,薬草の匂いただよう風呂屋が中津市内豊後町にあった.その風呂屋の名前は「大江風呂」と呼ばれていた.なぜ「大江」とよばれていたのかその頃は考えてもいなかった.しかし最近,「大江風呂」の看板が発見され,看板に大江家の薬草園で作られた薬草を利用した薬湯であり,大分県が正式に許可したことが記載されていた.大江家の現当主にも伺ったところ,確かに大江家の薬草がその風呂屋に供給されていたことが確認された.2004年7月に開館した中津市立大江医家史料館(図2)にはその看板が寄贈され,筆者たちも「マンダラゲの会」というボランティア団体を結成して,裏庭に約30種類の薬草を植栽してきた.
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