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連載 医者も知りたい【医者のはなし】・36
シーボルトの弟子・日本眼科学の父 阿波の人・高 良斎(1799-1846)
著者: 木村專太郎1
所属機関: 1木村専太郎クリニック
ページ範囲:P.1032 - P.1035
文献購入ページに移動高良斎(こうのりょうさい)はシーボルトの高弟で,当時の最新の西洋眼科技術を身に付け,日本人として最初に散瞳薬を記述した眼科医であった(図1).不幸にも文政11年(1828)8月にシーボルト事件が発覚し良斎も連座したが,シーボルトが文政12年(1829)12月に帰国した2カ月後に長崎居町払いの刑を言われ,故郷阿波の国(現在の徳島県)へ帰ってきた.そして養父の眼科医高錦国を助け,眼科診療を行った.しかし当時の日本ではどこでもそうであったように,阿波の国でも伝統の漢方医学が盛んで,オランダ医学は受け入れられなかった.そのために大坂(大阪)に出て眼科を開業し,蘭学を教え,多くの和蘭書を翻訳し活躍した.しかし弘化3年(1846)に48歳の若さで,脳出血のために他界した.
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