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連載 医者も知りたい【医者のはなし】・37
新宮涼庭(1787-1854)
著者: 木村專太郎1
所属機関: 1木村専太郎クリニック
ページ範囲:P.1230 - P.1233
文献購入ページに移動新宮凉庭(しんぐうりょうてい)は,江戸後期の天明7年(1787),丹後に生れた蘭方医学者である.凉庭は通称で,初めは凉亭と書いていた.名は碩,号を駆豎斎・鬼国山人・順正主人などと称した.彼は最初,伯父の有馬涼築に漢方医学を学ぶが,蘭方医を志したために文化10年(1813)から長崎で,吉雄権之助(吉雄耕牛の息子)の塾にとう留して,オランダ商館医フェールケと次の商館医バティに師事して蘭方医学を習得した.5年間長崎に滞在して文政元年(1818)に帰郷し,翌年の文政2年(1819),京都東山南禅寺近くに開業,20年後の天保10年(1839),医学校と社交サロンを兼ねた順正書院を造り,多くの後輩医生を教育し,輩出した.彼の経営は成功し,理財家として盛岡藩と越前藩の財政を立て直した.また故郷田辺藩にも多額の金子を調達し,過去の恩義に報いている.跡継ぎの3人の優秀な息子たちと多くに弟子たちに見守られて,嘉永7年(1854)1月9日に68年間の生涯を終えた.彼の青少年期の家は貧困であり,士分でもなかった.当時,士農工商の身分は歴然としており,彼はすべてを自覚して藩医にも典医にも属さない,己の力で生きていくというプライドを持った処士の医師として終生を貫き通した.「予,事業を成す所以の者は,堪忍力と勉強力に在るのみ」と「鬼国先生言行録」に述べている.
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