視座
改革の帰結
著者:
内田淳正1
所属機関:
1三重大学
ページ範囲:P.199 - P.200
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明治18年(1885年)に福澤諭吉が脱亜論を唱えました.当時の東アジア情勢を見て彼は次のように主張します.地理的には東アジアに位置する日本であるが,その精神はすでにアジアの古い考えを脱して西洋の文明に移った.しかし,近隣の諸国は政治を改め人心を一新することなく旧態依然であり,真理原則の知見がないのみか,道徳さえ地に落ち,それらに対する自省の念さえもなき者のようだと痛烈に批判します.欧米列強に対抗するために,近隣諸国の開明を待つことやめ,早急にわが国の欧米化を促進し,場合によっては侵略もやむなしと民衆の意識改革を図ろうとしたと思われます.意識の変革に対する強烈なメッセージでした.国を憂う純粋な福澤諭吉の気持ちが一部の思想家や軍部に利用され,戦争への道に盲進することになります.
今は逆に脱欧の時ではないでしょうか.現在の日本では欧米を見習って性の快楽が母性の喜びのはるか上に位置する価値体系となり,少子化に拍車をかけています.過度の米国式競争原理の導入も日本社会のひずみを増大させています.敗者復活のシステムがないままの勝者礼讃となり,泥沼の精神的格差社会となりつつあると感じる人は少なくありません.日本人の所得格差は他国と比べて極めて小さいにもかかわらず格差社会が広がっていると危惧されるのは,とりもなおさずそれは精神的格差によると考えられます.