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連載 医者も知りたい【医者のはなし】・44
日本最初の女体解剖を行った萩藩医 栗山孝庵献臣(1728-1791)
著者: 木村專太郎1
所属機関: 1木村専太郎クリニック
ページ範囲:P.224 - P.227
文献購入ページに移動宝暦4年(1754)2月に京都で日本最初の人体解剖を観たのは,山脇東洋(1706~1762,図1)である.彼はカワウソの解剖を行い,中国から伝わっていた陰陽五行説に基づく五臓六腑の体の内景に疑問を抱いていて,人体解剖の機会を待っていた.チャンス到来,東洋は京都所司代の許可の下,六角獄舎で行われた刑屍体の観臓(解剖)に立ち会った.そして,彼はその観臓記録を「蔵志」(これは「臓志」ではない)として,宝暦9年(1759)に発表した.東洋による観臓は,当時の医学の世界に賛否両論の波紋を投じた.しかし病をよく知り,人間の体内を正しく理解するには,動物でなく人間の解剖という実験が必要であるということが一般に認められたようである.この観臓とその記録は,後の江戸の医師・杉田玄白や前野良沢に影響を与え,17年後の明和8年(1771)3月4日の江戸千住の骨ヶ原(現小塚原)での観臓となり,安永3年(1774)の有名な「解体新書」の発刊のきっかけになっている.オランダの解剖書が人体の実際と合致しており,すぐれていることが確かめられたために,後年のオランダ医学(蘭方医学)の導入の契機になっている.この蘭方医学に対して,従来からあった中国由来であるが,日本で独自に発展した儒医学は「漢方医学」と呼ばれるようになった.
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