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連載 医者も知りたい【医者のはなし】・49
江戸後期の医師・佐藤泰然(1804~1871)
著者: 木村專太郎1
所属機関: 1木村専太郎クリニック
ページ範囲:P.84 - P.88
文献購入ページに移動今回は,下総(現・千葉県)佐倉に西洋式医療施設兼医学校・順天堂をつくり,多くの優秀な弟子を育て,佐倉藩を関東の蘭学の拠点に仕上げた佐藤泰然(図1)について述べる.
泰然の弟子であり養子の佐藤尚中は,順天堂の第二代堂主として佐倉で活躍していたが,明治2年(1869)に大学東校(東京医学校,東京大学医学部の前身)に,明治政府からの招聘によって「大博士」として赴任した.その後,ドイツから教授陣が来日したために,尚中は大学東校を辞し,明治6年(1873)に東京下谷練塀町に順天堂医院を設立し,さらに湯島本郷に明治8年(1875)に移り,現在の順天堂大学の基礎をつくった.また泰然の次男・良順は自身の親友・松本良甫家の養子となり,ポンペが安政4年(1857)に長崎に来たとき,かの地に赴いた.そしてポンペ塾の総帥として,かつ幕末の江戸で活躍し,明治維新後,松本順として陸軍軍医総監として政府に仕えた.
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