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雑誌目次

雑誌文献

臨床整形外科5巻1号

1970年01月発行

雑誌目次

骨腫瘍カラーシリーズ

7.Unusual chondrosarcoma/8.Osteoma

著者: 骨腫瘍委員会

ページ範囲:P.1 - P.4

症例10:31歳,男,左肩甲骨に生じたmesenchymal chondrosarcoma.約5カ月前より局所の疼痛と腫瘍に気付く.しだいに腫瘍の増大をきたし来診す.局所熱感,圧痛があり,11×11.5cmにわたる腫瘍をふれる(九大).

巻頭言

第43回日本整形外科学会総会の開催にあたり思うこと

著者: 山田憲吾

ページ範囲:P.5 - P.6

 新しい年が新しい希望を載せて明け放たれた。
 1970年は多難な年とされている.この年の学術総会は必ずしも安易に行なわれるとは思わない.しかし,相当な覚悟をもつて前向きで取り組むならば,そこに自ら活路も開かれようし,新しい希望も湧いてこよう.
 昨年,ついに全国的に拡がつた学園紛争の嵐は,改革と革命理念をごつちやに巻き込み,学内,街頭を問わず激しく吹き荒れ,ぶつかり合つては砕けた.学会もこの巨大なエネルギーに振り回され,その幾つかは押しつぶされ押し流された.このような手のほどこしようもないすさまじさの中に,一部活動家の破壊面のみがきわ立つて見えた.

視座

郭沫若から聞いた話

著者: 天児民和

ページ範囲:P.7 - P.7

 10年位前の話である.中国に革命が起こり,その混乱が落着いたころ中華人民共和国科学院総裁をしていた郭沫若が日本に来た.郭沫若は文化大革命以来表面に現われなくなつたが,彼は若くして日本に留学した.岡山の第六高等学校を経て九大医学部に学んだ.そのころからロマン主義文学を推進し,帰国後1925年軍閥に対抗した北伐軍に参加したが革命軍の分裂により失敗して日本に亡命した.そして10年間機会を待つていたが,日中戦争が起こるやひそかに日本を脱出して中共軍に参加し,中国の革命に大きな力となったことは読者諸兄も御存じのとおりである.その郭沫若一行が福岡をも訪ねてきた.ちようど私はそのころ医学部長をしていて医学教育,とくに臨床教育の改革をしていたので彼から中共の医学教育について尋ねてみたいと思い,それを楽しみにして彼の到着を待つた.彼の友人やわれわれと一緒になつて博多の料亭で歓迎会を催した.彼も学生時代の思い出に浸り,すつかりくつろいでわれわれと愉快に話し会つた,私が日本では今医学教育をどのように改革するか悩んでいるが,新しい中共ではどのようにして医学教育をしているかと質問したのに対し,郭沫若の返答はまつたく意外であった.

論述

1歳以上(3歳以下)の幼児先天股脱の治療

著者: 坂口亮

ページ範囲:P.8 - P.16

はじめに
 先天股脱も乳児検診が普及し早期に発見されるようになり,大多数が3,4カ月,遅くとも1歳未満で治療が始められるようになつた.
 そして治療の面でもRiemenbügel(以下R. B.と略す)の活用により成績が上り,大体の治療体系ができ上つた.一方不幸にして早期発見から洩れ,1歳以上になつて来診するものもまだ跡を絶たない.先天股脱の治療は年齢が大きくなるほど難しくなるが,確かに1歳以上のものは未満のものにくらべ治療が容易でない.第一に,1歳未満では大半がR. B.だけで治療できるのに反し,1歳以上ではそのようにはいかない.われわれは,1歳以上の場合にも機能的治療法の考えで臨んでいるが,方法に関しては症例ごとに苦慮した.最近5年間に60余例を経験し一応の治療体系ができあがつてきたので,これを紹介し,問題点や本質を検討したい.

骨髄腫の治療効果判定について(Radial Immunodiffusion法)

著者: 間宮典久 ,   木下雅夫 ,   松井猛 ,   浅野正英 ,   福島政夫

ページ範囲:P.17 - P.24

いとぐち
 骨髄腫は40歳から60歳の男性に多くみられる予後不良の悪性骨腫瘍であるが,ほかの悪性腫瘍にみられない特徴ある性格をもつている.すなわち人のImmunoglobulin(Igと略す)には現在までにIg G,Ig M,Ig A,Ig DおよびIg Eの5種が報告されているが,骨髄腫細胞が産生するM成分は,上記Igと免疫学的に同じ性質を有していることである.
 従来これらは電気泳動の移動度の変化により,α,β,γなどの型に分類されていたが,1964年WHOにより各骨髄腫に特異的なIgの型によりIg G型,Ig M型,Ig A型,Ig D型に分類され,1966年にはIg E型も報告されている1)

上位頸椎損傷について—とくに軸椎外傷性辷り症を中心にして

著者: 小林慶二 ,   津布久雅男

ページ範囲:P.25 - P.34

はじめに
 頸椎損傷中,上位頸椎損傷の発生頻度は諸家の統計では,ほぼ10%内外1〜3)である.なかんづく軸椎歯突起骨折がもつとも多く,ついで環軸関節亜脱臼,環椎骨折,軸椎関節突起間骨折(軸椎外傷性辷り症)と続く.われわれは軸椎歯突起骨折についてはすでに14例を集計し報告した34).今回は近時交通外傷の増加とともに欧米にて注目されてきた軸椎の外傷性辷り症型の骨折を中心に,本損傷としばしば合併し,あるいは同様受傷機転にて発生すると思われる環椎後弓骨折,軸椎椎体前下縁骨折の8例を,その受傷機転,発生機序を中心にして考察を加えて報告する.

歴史

骨折治療の近代史(3)—金属内副子による骨折の固定

著者: 天児民和

ページ範囲:P.36 - P.41

はじめに
 骨折の治療はギプス包帯の発見によつて外固定がはなはだ有効で容易になつたし,また英国のThomas副子は第1次世界大戦中から骨折の救急療法には非常に有効であるし,この副子を巧みに利用すると牽引療法もできるという利点がある.しかしListerの制腐手術が普及するとともにあらゆる疾患,外傷に対して手術をもつてこれを治療しようと試みられるようになつてきた.骨折も決して例外ではない.骨折を観血的に整復し,その整復位で確実に固定できる方法があるならば誰でもがとびつくはずである.この骨折を手術し,金属副子,あるいは螺子で固定しようとした主な学者は英国のSir William Arbuthnot Lane(1856-1938)とベルギーのAlbin Lambotte(1866-1955)の2人である.しかもこの2人は同年代に活躍し,LaneはGuy Hospitalにおいて多くの外科医の信望を集め,Lambotteは小国ではあるが,ベルギーの外科学会の重鎮として89歳の長命であつたことも手伝い欧洲の外科学会の信望を集めたが,経済的には恵まれなかつた.しかもこの2人は互いに相手の業績を称讃し合い骨折治療の推進に大きな功績を残した.

装具・器械

縫合糸Synthetic Catgut Suture(S. C. S.)の実験的,臨床的使用経験

著者: 角谷昭一 ,   笠原慶一 ,   長雄英正 ,   原田基

ページ範囲:P.42 - P.45

はじめに
 Synthetic Catgut Suture(S. C. S.)は,現在まで,数種ある吸収性縫合糸のうち,純粋に合成されたもので,その素材は高純度Polyvinylalcoholである(第1表).
 われわれは,日本医用高分子材料研究所で研究開発され,高研工業株式会社で製造されたS. C. S.を実験的,ならびに臨床的に,とくに手術時に使用して,その優秀性を認めたので報告する.

臨床経験

若年性関節リウマチ(Juvenile Rheumatoid Arthritis)について

著者: 広畑和志

ページ範囲:P.46 - P.60

いとぐち
 若年性関節リウマチJuvenile rheumatoid arthritis(以下JRAと略す)は1864年に最初Cornilにより記載されたが,これに対してその後Stillが関節炎の他に強い全身症状すなわち,全身性淋巴線腺腫脹,脾腫,発熱などのある症例を認め,Still病と呼ばれてきたのである.しかしながら最近わが国では,一般には若年性関節リウマチの名称が用いられるようになつた.
 JRAについての報告は,欧米で多いのに反して,わが国では比較的少なく,現在までこの疾患はあまり注目されなかつたといえよう.確かに現在では多数の抗生物質の出現に伴つて,リウマチ熱,結核が激減し,さらにポリオワクチンの発見により脊髄性小児マヒの後遺症までもほとんど見られなくなつた.従つて著者はやがてこのJRAが将来のcrippled childrenの一つの原因的疾患として,整形外科領域で重要視されるべきものと考えるのである.

膝半月板ガングリオンの2症例

著者: 福沢玄英 ,   本田一成

ページ範囲:P.61 - P.66

 半月板ガングリオンの報告は,1883年Nicasseによりはじめてなされ,爾来その報告例は外国では漸次増加してきている.しかし本邦においてはまだ少なく,私共の調べえた限りでは1934年清水の報告にはじまり,1969年小林らの3症例の報告まで45例を数えるのみである.
 私共は最近外側半月板ガングリオンの2症例をつづけて経験したので,その症例を報告し,併せて本症について本邦報告例を中心にいささかの考察を加えたい.

上肢末梢神経縫合の治療成績

著者: 高橋定雄 ,   鈴木勝己

ページ範囲:P.67 - P.70

はじめに
 過去10年間に,神経縫合術を試みた上肢の末梢神経損傷例で術後経過6ヵ月以上を追求しえた症例は47例で,橈骨神経3,正中神経28,尺骨神経17,指神経5,計53神経である(第1表).数において十分とはいえないが,治療成績を検討したので報告する.

カンファレンス

骨腫瘍—これはなんでしよう(29)

著者: 骨腫瘍症例検討会 ,   古屋光太郎

ページ範囲:P.71 - P.75

原発巣の症状は見当らないが
 A:患者は32歳の男で本年3月ごろより誘因なく右肩を動かす時痛みがあり,しだいに増強,6月末に当科を受診しました.右肩は軽い筋萎縮と前面に軽度の圧痛があり,前方挙上,側方挙上は制限されています.血液一般検査,血清生化学検査,尿検査はすべて正常でした.これは初診時のレ線ですが(第1図),上腕骨近位端に骨融解性の破壊像があり,動脈撮影でも腫瘍に一致して血管増生を認めます.胸部写真で全肺野に粟粒大,小結節性の撒布巣があり(第2図),これは本年5月の会社の健康診断の写真では見られません.なおIPをやりましたが異常所見は認められませんでした.

学会印象記

第11回国際整形災害外科学会に出席して

著者: 天児民和

ページ範囲:P.34 - P.35

 本年10月6日から10日までメキシコ市において第11回国際整形災害外科学会が開催された.この学会は今まで主として欧洲大陸において開催され,米国で1度開催されたのみで中米で開催されたのは今度がはじめてである.元来この学会は1929年の10月10日にパリで第1回の会合をもつた.本年は本学会開設50周年に当つている.本年の学会出席者は約2,000人でそのうち婦人が800名である.しかしメキシコという特殊な土地で学会を開催したことと,米国のCollege of Surgeonが同じ日にロスアンゼルスで開催されたために欧洲および米国よりの出席者が非常に少なかつたが,スペイン語を話す国,中南米からはかなり多数の出席者があった.またソ連,ユーゴ等からも出席者があった.米国および欧洲からの出席者が少なかつたので是非逢いたいと思つていた人に逢えなかつたことは幾分淋しい気持がした.なお今回の会長はM. Juan Farill, S.であり,いつも会長室に坐り,全体の会の指揮をしておられたが,メキシコとしてはこのような大きな学会をよくやりとげたという気持があるらしく,最後の晩餐会の時には大変な御機嫌であつたのも当然と思われる.

基本情報

臨床整形外科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1286

印刷版ISSN 0557-0433

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