文献詳細
連載 整形外科の歴史・8
文献概要
はじめに
1970年のわが国の出生数は193万人と多く(2010年107万人),整形外科外来にも多くのこどもたちがいた.当時の発育性股関節脱臼(DDH)の発生率は1%と高く(2010年頃約0.3%),それを専門領域とする教授も多かった時代でDDHは整形外科の必須疾患の1つであり,小児整形外科は整形外科日常診療の中に含まれていた.1942年に高木憲次教授(東京大学)が創設された「整肢療護園」(東京)を嚆矢として,各県に肢体不自由児施設が開設され,主にポリオ患者を診療していた.1959年の皇太子ご成婚(今上天皇)を機に1965年に国内初の小児総合医療施設として国立小児病院(東京)が創設され,その後,兵庫県立と神奈川県立(1970),静岡県立(1977),福岡市立(1980)の“こども病院”が続き,小児整形外科センターが展開され始めた.
1970年のわが国の出生数は193万人と多く(2010年107万人),整形外科外来にも多くのこどもたちがいた.当時の発育性股関節脱臼(DDH)の発生率は1%と高く(2010年頃約0.3%),それを専門領域とする教授も多かった時代でDDHは整形外科の必須疾患の1つであり,小児整形外科は整形外科日常診療の中に含まれていた.1942年に高木憲次教授(東京大学)が創設された「整肢療護園」(東京)を嚆矢として,各県に肢体不自由児施設が開設され,主にポリオ患者を診療していた.1959年の皇太子ご成婚(今上天皇)を機に1965年に国内初の小児総合医療施設として国立小児病院(東京)が創設され,その後,兵庫県立と神奈川県立(1970),静岡県立(1977),福岡市立(1980)の“こども病院”が続き,小児整形外科センターが展開され始めた.
参考文献
1) 植家 毅:先天股脱との出会い,そして今日まで.pp21-25(服部義(編):先天股脱,温故知新;脱臼屋と呼ばれた時代,第44回日本小児股関節研究会特別企画,名古屋,2005)
2) 井澤淑郎:関東小児整形外科談話会の創立まで.坂巻豊教(編集):日本小児整形外科学会10年の歩み.日本小児整形外科学会,pp2-5,1999
3) 藤井敏男:日本小児整形外科学会発足までの経緯.西日本小児整形外科学会結成を通して振返る.坂巻豊教(編集):日本小児整形外科学会10年の歩み.日本小児整形外科学会,pp13-14,1999
4) 吉川靖三:第3回東日本小児整形外科学会から日本小児整形外科学会の設立,学会誌発行に至る経緯.日本小児整形外科学会25周年記念誌.日本小児整形外科学会雑誌第23巻特別号25周年記念誌,pp5-6,2014
4) 高松鶴吉:療育とはなにか.ぶどう社,東京,p122,1990
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