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雑誌目次

雑誌文献

臨床整形外科50巻12号

2015年12月発行

雑誌目次

視座

日仏整形外科

著者: 大橋弘嗣

ページ範囲:P.1145 - P.1145

 整形外科(Orthopédie)という言葉は,フランスのNicolas André(1658〜1742)が初めて用いたことから,フランスは整形外科発祥の国とも言えます.以後,フランス整形外科はアングロサクソン系のものとは異なった天才的な独創性を持って発展し,脊椎ではCalvé, Cotrel, Dubousset,肩関節ではLatarjet,手ではKapandji, Dupuytren,股関節ではJudet,膝関節ではTrillat,外傷ではKempfなど,現代にまで名を残した巨匠に枚挙にいとまがありません.

 このようなフランス整形外科に興味を持たれた日本の先生方が1950年頃から留学され,日仏整形外科の交流が始まりました.その後も個人的な努力でフランスに留学された先生はおられましたが,おそらくフランス人が英語での発表を好まなかったこともあり,フランス整形外科はあまり注目されませんでした.このような中,日仏両国からお互いの交流を深めようという気運が高まり,1987年に七川歓次先生を会長として日仏整形外科学会が設立され,同年11月に神戸で第1回の学会が開催されました.一方,フランス側はCharles Picault先生を会長として会員が募られ,日仏両国が共同して行う日仏整形外科合同会議が1990年11月にパリで開催されました.その後,それぞれの会は隔年ごとに行われ,2015年6月にはフランスのサン・マロで第13回日仏整形外科合同会議が開かれ,日本からおよそ200名の参加がありました.

特集 世界にインパクトを与えた日本の整形外科

フリーアクセス

ページ範囲:P.1146 - P.1146

 本特集では,世界に大きな影響を与えた日本発の整形外科研究から,臨床領域のみに焦点を当て,開発者ご本人や関係の深い方々に研究当時の貴重なエピソード,未来に向けたメッセージを込めていただきました.

 残念ながら諸事情により,掲載のあたわなかった研究が多数ございましたことを深くお詫びいたします.

頚椎Pedicle Screw

著者: 鐙邦芳

ページ範囲:P.1147 - P.1149

概要

 筆者が1990年に開始した頚椎椎弓根スクリュー固定は,神経血管系統へのリスクの懸念から,当初大きな批判にさらされた.しかし,その強力な固定性は頚椎の再建手術に大きな変化をもたらした.また,同法の登場は,頚椎の椎弓根自体および椎骨動脈などに関連する形態学的研究ならびに頚椎内固定の生体力学研究の進歩も促した.2000年代に入って,頚椎椎弓根スクリューの正確な刺入を企図し,種々のaiming deviceの考案やnavigation systemの援用もなされてきた.さらに同法の持つリスクを忌避し,C2およびC7椎弓スクリューや椎間関節スクリューも考案され,頚椎後方のinstrumentation手術の様相は大きく変化した.前世紀末までは,頚椎の変形矯正手術は脊椎外科領域に残された課題の1つで,積極的な取り組みは稀であったが,強力な固定性により頚椎配列異常の矯正が可能な頚椎椎弓根スクリューの登場は,頚椎変形の矯正手術の進歩を後押ししたといえる.

外傷性肩関節脱臼に対する外旋位固定

著者: 井樋栄二

ページ範囲:P.1150 - P.1151

概要

 肩関節は外傷性脱臼が最も起こりやすい関節である.肩関節は脱臼しやすいだけでなく,一度脱臼を起こすと再発しやすいという特徴がある.とくに若年者であるほど再脱臼率が高く,10歳以下での再脱臼率は100%という報告もある.再脱臼率が高い原因の1つとして固定肢位に問題があると考え,固定肢位における損傷部位の整復状態を調べたところ,これまでの内旋位固定では損傷部位の整復が十分に得られず,外旋位にすることでよりよい整復が得られることが判明した.この結果に基づき,外旋固定を行うことでこれまで無意味と言われてきた保存療法による再脱臼率を下げることに成功した.しかし,手術治療ほどの好成績は得られず,手術と保存療法の適応については個々の症例の背景因子(年齢,性別,スポーツの種類とレベル,シーズン中か否か,固定やリハビリテーション(リハ)などの治療に対する理解度と協調性,経済的環境など)を考慮し,患者,家族と十分に相談し,納得したうえで決定する必要がある.また,固定する場合の外旋位という肢位は,患者にとっては快適な肢位ではなく,患者の順応性が低い点が問題視されている.現在,よりよい肢位の探求と快適性との両立を図る研究を続け,より完成された保存療法の確立を目指している.

関節鏡

著者: 織田弘美

ページ範囲:P.1152 - P.1153

はじめに

 関節鏡は,膝関節を端緒として各関節に応用され,今や関節内の外傷や疾患の診断・治療には不可欠な医療器具として,広く全世界に普及している.関節鏡の開発とその臨床応用は,日本の整形外科が世界にインパクトを与えた最大の業績の1つといっても過言ではない.

軟骨細胞による再生医療

著者: 越智光夫 ,   亀井直輔

ページ範囲:P.1154 - P.1155

背景

 関節軟骨は血行を持たず,少ない細胞成分と豊富な細胞外基質で構成されており,日々の荷重や摩耗に耐えられる反面,いったん損傷を受けると,修復するための栄養の供給や,組織を再構築するための細胞の移動が起こりにくいために自然修復が困難である.一方で,軟骨は皮膚と並んで最初に細胞の培養増幅技術が確立された組織であり,1971年には軟骨細胞の培養増殖が報告され,1991年には生分解性高分子を足場としたヒト軟骨組織形成が報告された.さらに1994年には,Mats Brittbergらが少量の関節軟骨から単離・培養した軟骨細胞を骨膜で覆った関節軟骨欠損部に注入するという培養軟骨細胞移植を報告して,再生医療におけるブレークスルーとなった.

Myelopathy Handと10秒テスト

著者: 小野啓郎

ページ範囲:P.1156 - P.1158

背景

 病気の診断には詳しい問診と,詳細な動作観察とテスト(たとえばLasegueテストなど)が欠かせないという時代は20世紀とともに終わったのだろうか.かっては補助診断資料と目された診断画像情報が,今や,決定的な意味を持ちだした.そうした背景もあって,myelopathy handを探していた当時の私の目標はBabinski反射であった(図1).その証明が「錐体路障害を否定できない証拠」となる——そんな決定的な異常が(頚髄症なら)手・指にもあるに相違ないと,整形外科医の私は,単純に信じていた.

 当時,整形外科医の間では橈骨神経麻痺手や,尺骨神経麻痺手がよく知られていたが,錐体路障害の手の変形としては片麻痺の手だけがよく知られていた.「何の特徴もない,厄介な手の変形」という印象だけで,「頚髄症に特徴的な手の変形」といったものに興味を抱く研究者は皆無だったのである.

先天性橈尺骨癒合症授動術(金谷法)の開発

著者: 金谷文則

ページ範囲:P.1159 - P.1160

血管柄付き筋膜脂肪弁移植の開発

 1978年に新潟大学を卒業して,同大学の故田島達也名誉教授に手外科の薫陶を受けた.マイクロサージャリーは吉津孝衛先生をはじめとする新潟大学の諸先輩からご指導を受け,1987年からのLouisville(Kentuckey, USA)留学で経験を積むことができた.1991年,琉球大学に勤務し,血管柄付き遊離皮弁を用いて種々の四肢の再建を行い,さらに難治とされた先天性脛骨偽関節症(Boyd type 2)に血管柄付き腓骨移植術を行い一期的骨癒合が得られた.

 1991年の時点で,既に血管柄付き腓骨移植の報告は国内外に多数みられた.そこで骨癒合して欲しくないのに癒合してしまう状態を治療することができないかと考えたのが,「血管柄付き筋膜脂肪弁移植を用いた橈尺骨癒合症授動術」2)である.犬の椎弓切除後の再癒合を防ぐ効果が,有茎脂肪弁>遊離脂肪>シリコン>Gelformの順との報告2)があり,先天性橈尺骨癒合症の分離部に血管柄付き筋膜脂肪弁を充塡する方法を思いついた.本法はオリジナルの方法であるが,分離術に橈骨骨切り術を加えて橈骨頭を整復するアイディアは田島先生3),分離部に血管付き組織を充塡するアイディアは矢部裕先生の報告4)を参考にしたものである.

金田式デバイス

著者: 金田清志

ページ範囲:P.1161 - P.1162

背景

 私は北海道大学整形外科大学院で4年間の基礎修練を終え,1967年4月から脊椎外科専攻へと進んだ.当時,北大では脊柱側弯症手術がかなり行われていたが,spinal instrumentationはまだ応用されておらず,脊柱側弯変形矯正cast装着のままcastの脊柱後方部の手術切開部を切除して脊椎後方固定手術が行われていた.これらの術後成績は変形矯正にかなりの戻りがあった.Harrington instrumentationが報告され(1960,1962年),国際的に一般化してきていた段階で,Dwyer anterior instrumentation(1969)の発表があり,発案者以外によるDwyer instrumentation応用の報告がProf. John E. Hallによりなされ(1972),anterior instrumentationへの関心が高まってもいた.

 そのような国際的な脊柱側弯症手術へのinstrumentation応用普及の流れの中で,私はinstrumentation応用手術習得の必要性にかられ,米国Harvard大学(The Children Hospital Medical Center, Boston)のProf. John E. Hallの下で研修依頼が受諾され,1973〜1974年の6カ月間,臨床研修した(spinal instrumentation surgeryで,特にDwyer anterior instrumentation).その後6カ月間,Minnesota大学でDr. RB Winter,Dr. DS Bradfordの下でHarrington法を主としたposterior spinal instrumentation手術を修練した.そのような経過で側弯症のinstrumentation surgeryを研修し,帰国後から北大病院でspinal instrumentation(Harrington, Dwyer)を応用した側弯症手術を始めた.

頚椎椎管拡大術(服部法)の思い出

著者: 河合伸也

ページ範囲:P.1163 - P.1165

はじめに

 この度,頚椎椎管拡大術(服部法)の開発の経緯について記載することを依頼された.歴史的な意義があるとはいえ,すでに時代は変遷しており,昔話をすることを躊躇していた.しかし,恩師服部奨先生の偉大なご業績の1つであり,それを直接に体験した私が恩師に対する深い敬意を表するためにも,当時の思い出を記しておくことも許されるであろうと判断した.

 頚椎の手術的治療は,後方進入法による頚椎椎弓切除術や椎弓部分切除術から始まっていた.しかし,手術器具が未発達の時代は手術成績が優れなかったので,手術適応は厳選されていた.1960年代に前方法が導入され,術後成績が飛躍的に向上し,頚椎前方法が主流の時代になった.この頃には,全身麻酔が定着し,手術器具が精巧に改良されてきた.前方固定の術後期間が長くなるにつれ,固定隣接椎間の障害が課題となり,後方進入法が再び評価されてきた.桐田良人先生の広汎同時性椎弓切除術は後方法の導入を加速させ,後方法は前方法とほぼ同様の術後成績が得られ,両術式は症例によって使い分けて用いられるようになった.後方法は,特に多椎間罹患の頚髄症や頚髄腫瘍などの広範囲の除圧を要する場合にはよい適応である.しかし,後方法は頚椎の後方要素を摘出し,頚椎の支持性の減弱を来たすことは否めず,特に,若い年代では術後に頚椎変形がかなりの頻度で出現していた.

 そこで,頚髄の十分な除圧と頚椎の後方要素の減弱を可及的に軽減するために,頚椎の後方要素の構築的再建を行って,従来の後方法の欠点を補うことを目的に,服部先生は1971年に「頚椎椎管拡大術」を開発して報告された.その後,平林洌先生・黒川髙秀先生などによって各種のlaminoplastyが報告されており,現在では,種々の方法が適宜実施されている.ただ,頚髄の後方除圧とともに頚椎の後方要素を可及的に温存するという発想は服部先生が最初であり,当時は画期的な考え方で,その開発が契機となって各種の後方法が普及した.

Interference Screw(Kurosaka Screw)の開発

著者: 黒坂昌弘

ページ範囲:P.1166 - P.1167

開発当時の状況

 1980年代の初頭は,膝前十字靱帯の再建術の科学的な解明が大きく進歩した時代であり,移植腱の強度に関してもさまざまな報告が発表されていた.当時の大勢を支えていた報告は,移植腱の強度に関しては膝蓋腱が最も強く,他の自家移植腱の強度を上回っているという内容であった.したがって,移植腱としては膝蓋腱が最適であり,他の移植腱を上回る成績が期待できるという内容の講演がほとんどであった.

 当時,筆者は米国Cleveland Clinicに留学していたが,この論調にはどうしても納得できない気持ちでいた.前十字靱帯の移植直後の強さは,移植腱の強さではなく,移植腱の固定部位で決定されるのではないか,という疑問である.あらゆる教育研修に出かけて,講師の先生に直接質問しても,“Patellar tendon is strong, so there should be no problem”という回答をいただいた.

脊椎カリエスに対する腹部前方アプローチ

著者: 清水克時

ページ範囲:P.1168 - P.1169

概要

 世界最初の前方腹膜外アプローチによる腰椎カリエスの根治的治療は,京都帝国大学整形外科学,伊藤弘(いとうひろむ)教授(図1)らが1934年に発表した(Ito H, Tsuchiya J, Asami G:A new radical operation for Pott's disease. J Bone Joint Surg 16, 499-515, 1934).

 1932年4月から9カ月間に行われた10例の手術で,costotransversectomyによるアプローチなどとともに,6例の腰椎前方腹膜外アプローチによる根治的手術(膿瘍掻爬,腐骨切除)が記載されている(図2).10例中8例で創は一時的に癒合し,進行期のカリエスであったにもかかわらず全例,術後臨床成績は良好であった.さらに,骨移植による一期的椎体再建法が紹介され,3例に行われている.この報告は腰椎カリエスの根治的治療の嚆矢であるとともに,腰椎前方アプローチの先駆的論文である.

反復性肩関節脱臼に対する鏡視下手術

著者: 菅谷啓之

ページ範囲:P.1170 - P.1172

 筆者が開発した技術やアイディアで,現在,反復性肩関節脱臼(以下,反復脱)治療に大きな影響を与えているのは,①術前診断において今や常識化している,上腕骨頭を外した関節窩の術前3DCT検査5),②関節鏡視下にカニューラを使用しない関節内でのスーチャーリレー法6),③骨性Bankart病変の修復3,7,8)の3点であろうか.

術中脊髄機能モニタリング法の開発

著者: 玉置哲也

ページ範囲:P.1173 - P.1175

概要

 術中脊髄機能モニタリングは,全身麻酔下で脊髄機能に障害を及ぼす危険性を含む手術を,安全に遂行させるためのものであるとともに,積極的な外科医が確信を持って手術を実施し,さらには,新しい手術方法の開拓をも支えるものであると言える.そのためには,術者の信頼を獲得しなければならず,false negativeは当然のこと,false positiveもゼロにすることを究極の目的としなければならない.また障害された脊髄の残された機能こそ温存されなければならないことを銘記すべきである.

ループスーチャー

著者: 津下健哉

ページ範囲:P.1176 - P.1178

開発の経緯

 ループスーチャーには多くの思い出があり秘話もある.私が手の外科を始めた当時の腱縫合法は,Bunnell法,Mason-Allen法,ときにDouble Right Angle法が用いられ,その後HE KleinertによるBunnell変法(1967),Kessler法(1969)などが紹介されたが,私も常々何かよい方法はないかと考えていた.

 私は卒後間もなくの頃,動物実験で墨汁を血管内に注入し透明標本を作製,双眼拡大鏡で組織の微小循環を観察することに興味を持っていた.また当時,輸入され始めた骨折に対する髄内固定法の際の仮骨形成と血行造成の関連についても観察していたが,これらより腱縫合についても癒合に大切な血行を温存した縫合法はないかと考えていた.骨の髄内固定法同様,腱も腱内性に縫合できないかと考え,思いついたのがこの方法である.初めは普通糸を往復して使用していたが,後にループ針とした.血行障害の最も少ない縫合をと考えたわけである.

腕神経叢損傷の再建

著者: 土井一輝

ページ範囲:P.1179 - P.1180

概要

 腕神経叢全型麻痺は多くが脊髄からの引き抜き損傷であり,手指の機能再建は絶望視され,神経交叉縫合術により肘屈曲再建に機能再建の主眼が置かれていた.上肢の基本的機能としての手指物体把持機能再建が再認識され,脊損手の再建理論に基づいた神経交叉縫合術や筋肉移植術によるピンチ機能の再建も行われたが,片側手が正常な腕神経叢患者では有用でなかった.片側上肢機能障害者が最も支障を訴える両側手を同時に使用する動作であるパワーグリップ,それもいわゆるフックグリップを機能再建の目標としたdouble free muscle transfer(DFMT)法を考案,臨床応用した(図1,2).DMFT法はDoi's methodと呼ばれ,現在,全世界で行われている.

腫瘍脊椎骨全摘術 Total en bloc Spondylectomy—“TES”の開発を駆り立てたもの,支えてくれたものは何だったのか?

著者: 富田勝郎

ページ範囲:P.1181 - P.1184

開発前夜

若き整形外科医の頃(1970年代)

 整形外科医になりたての頃,「脊椎のがん」にメスを入れるのは「死の門を叩く」としてタブー視されていました.そんな脊椎がんの患者さんが,激痛・麻痺で苦しみながら息絶えていくのをみると無力を感じ,とてもやり切れない気持でした.医学的に手術はとても無理,と何度説明しても,患者さんは,「難しかろうがナンセンスだろうが,がんを取り除いてみてほしい」と叫ぶのです.私も,もし目の前の患者さんが自分の家族だったら,同じことを言うだろう……,もしかして患者さんは,そこに一縷の望みがあり得ると直感しているのかもしれない! むしろわれわれ医者のほうが逃げ腰かも,と自問自答していました.

臼蓋回転骨切り術 Curved Periacetabular Osteotomy;CPO

著者: 内藤正俊

ページ範囲:P.1185 - P.1186

背景

 1994年当時も,臼蓋形成不全に対する代表的な手術的方法は寛骨臼移動術(TOA)11)と寛骨臼回転骨切り術(RAO)10)であった.TOAとRAOは弯曲ノミを用い骨盤外側から股関節の周囲を同じように球状に骨切りする方法で,骨切り後の密着性と骨癒合に極めて優れている.私も大転子の骨切りに工夫を加えたTOAを30数例に行っていた7).この方法の欠点と思われたのは,外側アプローチによる骨盤外側の外転筋群の剝離が避けられないことで,移動寛骨臼や中臀筋の血行が一時的にせよ不良になるのではないかと危惧した.欧米ではSmith-Petersenアプローチで進入するperiacetabular osteotomy(PAO)2)が代表的な骨盤骨切り術として普及し始めていた.PAOでは中殿筋を部分的にしか剝離しないため寛骨臼の血行は保たれるが,すべて平面での骨切りであるため移動寛骨臼は台形に近い形状となる.このため,PAOでは,回転させた寛骨臼と骨盤の母床との間に間げきが避けられず,また,寛骨臼自体が前方へ移動する可能性も考えられた.

経皮的髄核摘出術(PN)

著者: 土方貞久

ページ範囲:P.1187 - P.1189

 経皮的髄核摘出術(PN)は,日本脊椎外科学会25年記念学会に平林洌会長の温故知新のテーマで講演の機会を得て,1999年の同学会誌に総説としてPNの概要,研究開発の経緯,エピソードや秘話については書き尽くしているとの感があり,いささか抵抗もあるが,若い世代の先生方に伝える内容をとのご要望に応えて,私ならではの文章をとの思いで書かせていただく.

 細部については前述の日本脊椎外科学会誌10巻2号(1999)の総説をお読みいただき,今回は前回書き得なかった点に触れたい.

頚椎椎弓形成術(片開き式脊柱管拡大術)

著者: 平林洌

ページ範囲:P.1190 - P.1191

開始に至った経緯

 服部 奨先生(山口大教授)が頚椎椎弓のZ形成による脊柱管拡大術を世界に先駆けて発表されたのは1973年のことであった.当時,腰椎や頚椎の複数回手術の病態としていわゆるlaminectomy membrane(LM=術後にみられる硬膜管周囲の瘢痕形成)が問題となっていた.その発生を予防し,進行を防止する対策として椎弓のZ形成術を開発したと記載されている5).当時,頚椎ではKahnや桐田良人(京大)らによって硬膜管内の歯状靱帯(Lig. denticulatum)切離による頚髄の背方シフトの有効性が議論されていた.筆者らは圧迫された頚髄の後方除圧術後のLMの進入程度について動物実験を重ねた結果,管外操作による除圧の有益性を確認してきた(宇沢,大平,大岩,渡辺).

 1960年代に導入されたair drillは,桐田により開発されたen-bloc式の椎弓切除を可能とし,後縦靱帯骨化症(OPLL)を含む狭窄性頚髄症に対する手術の安全性と改善率を飛躍的に向上させた.服部による椎弓のZ形成術もこのdrillの導入によって初めて可能となったが,その技術的な難度は決して低いものではないと考えられ,筆者が追試することは叶わなかった.筆者はそれまでdrillとケリソン・パンチでpiece by pieceに行っていた椎弓切除を,桐田法にならってen-blocに行うこととしたが,その際,両側に掘った側溝部から切除椎弓を摘出する直前,すなわち半開きにopen-doorした状態で硬膜管に拍動をみたとき,圧迫されていた脊髄の除圧はこの時点ですでに果たされているのでは?と考えた.1977年にその思いつき(serendipity)を即,実行に移した.当時,倫理委員会なるものはなかったが,現在に置き換えれば手続きにそれなりの手間と時間を要するであろうかと愚考している.

Leeds-Keio人工靱帯(靱帯補強用メッシュ)

著者: 冨士川恭輔

ページ範囲:P.1192 - P.1194

 1970年代に入ると,膝関節外科の分野では国際的に靱帯損傷の病態の解明と再建手術が大きなテーマとなり,生体工学的研究に基づいた臨床研究がさかんとなった.その結果,再建手術の成績は飛躍的に向上した.しかし靱帯再建術はスポーツ選手に行われることが多く,次の課題はいかに術後早期に選手をスポーツに復帰させるかであった.しかし,自家組織による再建術では当時,スポーツ復帰には1年以上を要し,この大きな課題は解決できず,手術成績は良好でも選手生命が絶たれることが少なくなかった.1970年代後半から自家組織を犠牲にすることなく,早期スポーツ復帰を可能にするために人工靱帯の開発研究が行われるようになり,北米からGore-Tex®,ヨーロッパからStryker ligament®が発表され,臨床に応用されるようになった.

棘突起縦割法椎弓形成術の創成—時流と黒川先生との邂逅

著者: 星野雄一

ページ範囲:P.1195 - P.1196

 平成21年に鬼籍に入られてしまった黒川髙秀先生(東京大学名誉教授)には,筆者が医師としてスタートした昭和51年以来,途切れることのない薫陶を受けた.世間でいう黒川式,ご本人からは徳島大の井形教授も同じ発想で手術を開始しているので黒川式と言ってはならないと戒められたが,正式名を棘突起縦割法(方法を示しているので「式」は誤りとのご教示)椎弓形成術という新術式を開発なさった頃,直接教えを受けていた関係から,筆者に本稿の依頼が参ったものと思う.

連通多孔体人工骨の開発

著者: 名井陽

ページ範囲:P.1197 - P.1198

マクロ構造に着目した人工骨の開発

 セラミックス人工骨は日本が誇る高品質の骨補塡材料であり,これほど多彩で高性能な人工骨が利用できる国は他にない.このような人工骨の発展の背景には,日本では同種骨バンクが米国ほどの発展をみせていないこともあったが,日本のマテリアル工学研究の高い技術力があったことによる部分が大きい.1980年代から90年代には,完全合成による製造法でさまざまな材質のバイオセラミックスが発明され,人工骨として臨床応用された.われわれは90年代の終わりに,このようなマテリアル研究のトップサイエンティストと巡り会い,また新しい医療機器開発を目指すベンチャー企業と巡り会って,材質ではなくマクロ構造に着目した新たな人工骨“ネオボーン®”を開発することに成功した.この人工骨は,優れた気孔連通性と術中の操作に適した強度を併せ持つ人工骨として,それまでの人工骨とは異なる特徴をもつ.その後,2000年代には本製品を追うようにして,構造に着目して開発,改良された種々の人工骨が上市され,これらのマクロ構造に着目した人工骨は第2世代の人工骨と言ってもよいと筆者は考えている.

足趾移植による小指再建

著者: 吉村光生

ページ範囲:P.1199 - P.1200

背景

 手指の損傷や欠損に対する再建法として,現在,足部を利用する多くの方法がある.母指や多数指の欠損は機能的再建であり,単指の損傷や欠損は整容的な再建であり,後者の代表的なものとして日本では小指の再建があり,社会的適応とも言える.足趾移植による小指の再建を始めるきっかけについて述べる.

調査報告

骨折の疫学と転倒予防

著者: 津田隆之

ページ範囲:P.1201 - P.1208

 骨折の発生率や予後の疫学についてのエビデンスを,4つの骨脆弱性骨折について述べる.脊椎圧迫骨折は転倒をせずに発生する割合が高いのに対して,それ以外の非椎体骨折は転倒を契機に発生しており,受傷機転や転倒方向の違いによってさまざまな形態の骨折が発生していると考えられる.非椎体骨折の多数は骨密度が正常ないし骨減少領域で発生していることが明らかになっており,その予防には骨粗鬆症の治療に加えて転倒予防が重要である.高齢者の転倒予防介入を有用とする報告は数多くあるが,骨折予防については骨粗鬆症治療に比べて効果が高く確立した方法はいまだなく,今後の研究・発展が期待される.

最新基礎科学/知っておきたい

肩甲帯のバイオメカニクス

著者: 大木聡

ページ範囲:P.1210 - P.1213

■はじめに

 肩関節は人体の中で最も大きな可動域を持つ関節である.体幹に対して上肢を適切な場所に位置させることが重要な機能となるため,胸郭に対しての上腕の動きが肩関節の動きとして評価されることが多い.しかし,これは肩甲胸郭関節と肩甲上腕関節の動きの複合である.拘縮肩や腱板断裂といった肩疾患による肩関節疾患は肩甲上腕関節に病変が起こるため,肩甲上腕関節の動きが評価される一方で,肩甲胸郭関節の運動の病的意義は依然として不明な点が多い.

 ここでは肩甲胸郭運動の表記方法と,代表的な疾患での肩甲帯運動異常について述べる.

連載 整形外科の歴史・9

マイクロサージャリーの歴史

著者: 玉井進

ページ範囲:P.1214 - P.1222

 Microsurgeryとは手術用顕微鏡下に微細な組織を剝離したり,微小な血管や神経を縫合することにより,切断された手・指を再接着したり皮弁や骨などを血管柄付きで移植する手術であることは,現在では知らない人はいないであろう.

 マイクロサージャリーの歴史はすでに国際雑誌Plastic & Reconstructive Surgery70)に「History of Microsurgery」と題して詳しく述べているので,その縮小版として書かせていただきたい.

整形外科の歴史・10

腫瘍の歴史

著者: 内田淳正 ,   松峯昭彦 ,   江原茂 ,   野島孝之

ページ範囲:P.1223 - P.1227

 2013年に米国の研究チームが,12万年前のネアンデルタール人の肋骨にある線維性骨異形成をマイクロCTスキャナーで見つけ出した.これまでの記録を約10万年更新したことになる.現在の人類の祖先であるホモサピエンスが世界中に拡がる以前から,骨や軟部の腫瘍が存在していたことが想像される.しかし,われわれが記憶にとどめなければならない業績は,1891年に腫瘍外科医であったWB Coley(1862〜1936)がNew York Academy of Medicineで講演した“Contribution to the knowledge of sarcoma”を嚆矢とする一連の研究である.16歳女性の大腿骨遠位部に発生したround celled sarcoma(おそらく骨肉腫)に培養した連鎖球菌を局所投与したところ,腫瘍が著しく縮小したことを確認した.若い女性の第2胸椎の骨肉腫においても同様の結果を報告し,悪性腫瘍の免疫療法のきっかけとなった.現在ではこの現象がTNFαによることが明確にされている.後にCancer Research Institute(USA)はColeyの業績を称えた賞を創設し,優れた免疫研究で業績を挙げた研究者を表彰している.この受賞者はその後ノーベル賞を多数受賞している.

 EA Codman(1869〜1940)は,骨軟部腫瘍での業績はもとより,それ以外でも多くの成果をなした人である.麻酔医,放射線医,消化器外科医,腫瘍整形外科医に加えて,肩関節外科医など実に多彩な才能を発揮した.肩関節ではCodman体操の名が知られているが,骨腫瘍では,骨肉腫のX線診断でCodman triangleを知らない者はいない.軟骨芽細胞腫を最初に報告したのも彼である.病院全体で患者をフォローすることが病院の質を保証することになると最初に提案し,多くの医師の反発に合いながらも,患者登録が治療結果を知る手立てとなり,医療の質の向上に大きく繋がることを訴え続けた.そして1925年に米国で初めて骨腫瘍登録制度を作り上げ,他のどの癌腫よりも早くスタートした1)

臨床経験

弛緩脊髄(仮称;slack spinal cord)の病態について

著者: 藤田勝 ,   河野宗平 ,   日野雅之 ,   冨永康浩 ,   藤井充 ,   松田芳郎 ,   渡部昌平

ページ範囲:P.1229 - P.1232

 背景:脊柱管狭窄部の頭側部で脊髄が弛緩することがあるが,この病態についての報告はなく,弛緩脊髄(仮称;slack spinal cord)の病態について検討した.

 対象:7例(男5例,女2例),平均年齢は67.7歳であった.全例胸腰椎移行部の狭窄を認め,最頭側の狭窄高位はL1/2が4例,Th12/L1が3例で,狭窄高位の頭側に弛緩脊髄を認めた.臨床症状は脊髄症が2例,馬尾神経症状が5例であった.狭窄部の除圧で弛緩脊髄は改善した.

 まとめ:弛緩脊髄の発生機序として,胸腰椎移行部の狭窄により脊髄円錐部が頭側に押し上げられ脊髄が弛むのではないかと推測した.

症例報告

ムコリピドーシスⅢ型に伴った脊柱後弯症の1例

著者: 久島雄宇 ,   渡辺航太 ,   戸山芳昭 ,   松本守雄

ページ範囲:P.1233 - P.1238

 ムコリピドーシスⅢ型(ML-Ⅲ)はリン酸転移酵素異常のため糖脂質や糖蛋白が全身に蓄積する,約42万出生に1人という稀な疾患である.今回われわれはML-Ⅲに伴う後弯症に対し,L1のvertebral column resection(VCR)を併用した後方矯正固定術を施行した.術後,胸腰椎部の52°の後弯は6°に矯正された.十分な呼吸循環器評価と術中術後管理を行い,周術期の合併症もなかった.しかし,術後1.5年で偽関節が判明したため,自家肋骨を用いた再建術を行った.VCRを併用した矯正固定術施行の際には,十分な周術期の呼吸循環管理と,偽関節を予防するための自家肋骨や腸骨移植が必要であると考えられた.

内視鏡下椎間板ヘルニア摘出術(MED)後に発生したepidural gasの1例

著者: 清田康弘 ,   奥山邦昌 ,   谷英明 ,   中島由加里 ,   名倉重樹 ,   山下太郎 ,   古川満 ,   菊池謙太郎

ページ範囲:P.1239 - P.1243

 症例は84歳男性で,椎間板ヘルニアに対して内視鏡下椎間板ヘルニア摘出術(MED)を施行した.術翌日には症状が改善したが,術後2日目に再発した.CT,MRIにより,epidural gasによる神経根の圧迫と診断した.Epidural gasは,vacuum phenomenonにより生じた椎間板内gasが,手術操作によって硬膜外に脱出することで形成される.その発症を防ぐため,椎間板ヘルニアの手術時には,椎間gasの十分な排出が必要である.治療は保存的加療が第一選択だが,保存的加療が奏功しない場合,手術による排出を考慮する.本症例では術後8日目に内視鏡下にepidural gasを排出し,良好な術後経過を得た.

環軸椎亜脱臼と軸椎下後弯を合併した頚髄症に対し椎弓形成術を単独施行後に再手術を要した1例

著者: 伊藤嘉奈子 ,   清水敬親 ,   井野正剛 ,   田内徹

ページ範囲:P.1245 - P.1249

 76歳女性で,環軸椎亜脱臼 atlantoaxial subluxation(AAS)と中下位頚椎後弯位を呈する頚髄症に対し,他医で椎弓形成術(C3-6)施行後,後弯の進行およびAASの悪化〔垂直性亜脱臼 vertical subluxation(VS)への進展〕による脊髄症の増悪を生じた1例を経験した.当院初診時,臨床所見として上位頚髄由来の症状も認めたため,C1後弓切除とC3-6椎弓切除による後方除圧,C0-7後方矯正固定術を施行したところ,症状の改善が得られた.本症例のようなケースでは,AASと後弯位頚髄症の同時手術を考慮するべきであると思われた.

外固定期間中に尺骨頭が掌側脱臼したGaleazzi骨折の1例

著者: 木村洋朗 ,   西脇正夫 ,   高松広周 ,   森智章 ,   水谷憲生 ,   關口治 ,   上田誠司 ,   吉田宏

ページ範囲:P.1251 - P.1255

 外固定期間中に尺骨頭が掌側脱臼した稀なGaleazzi骨折の1例を経験した.症例は35歳,男性で,スケートボード中に転倒し,転位がわずかな橈骨骨幹部骨折を受傷した.前医で保存的治療を行っていたが,受傷後2週で骨折部の背屈転位が増悪し,尺骨頭が掌側脱臼した.受傷後3カ月で当科に紹介された.橈骨骨幹部骨折を整復内固定することにより遠位橈尺関節は整復され,さらに三角線維軟骨複合体直視下縫合術を追加することで,不安定性が消失した.橈骨骨幹部骨折の治療では,遠位橈尺関節の損傷を念頭におき,骨折部を整復し強固に内固定することが重要である.

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欧文目次 フリーアクセス

ページ範囲:P.1143 - P.1143

次号予告 フリーアクセス

ページ範囲:P.1257 - P.1257

あとがき フリーアクセス

著者: 松山幸弘

ページ範囲:P.1260 - P.1260

 「温故知新」「承前啓後」という四字熟語がある.これは過去の事実を研究し,そこから新しい知識や見解をひらくこと,また過去のものを継続し,それを発展させながら将来を開拓していくことを示すものであるが,まさに今月号の特集は「世界にインパクトを与えた日本の整形外科」に加えて「整形外科の歴史」が取り上げられ,この四字熟語にぴったりフィットする内容である.

 諸先輩が苦労の末築き上げてきた独創的な研究は,私たちはもちろんのこと世界中に大きなインパクトを与えてきた.これらの研究は整形外科の歴史からヒントを得て築き上げられ,そしてその研究がまさに整形外科の新しい歴史として刻まれるに違いない.若い整形外科医にとって,またベテラン整形外科医にとっても今月号は特に心を打つ内容となっていると思う.

基本情報

臨床整形外科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1286

印刷版ISSN 0557-0433

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