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コラム
慶應義塾医学所と松山棟庵
著者: 三笠元彦1
所属機関: 1新横浜整形外科リウマチ科クリニック
ページ範囲:P.438 - P.439
文献購入ページに移動松山棟庵は,住居が福澤邸の北側にあり,医学所の東側に屋敷があった小幡篤次郎とともに,諭吉の高弟である.医学所閉校後,棟庵は明治13年(1880年)11月に英国から帰国した高木兼寛とともに成医会を発足し,有志共立東京病院(のちの慈恵医大)を設立した4,5).また,1875年に福澤邸の南側,国道を挟んだ反対側に診療所 尊生舎を開設し,1893年に尊生病院,1906年に松山病院と改称し,1936年に新築された(図3).松山病院には,前田友助が東大外科から慶大医学部整形接骨科初代教授に転ずる前,1917〜1919年の2年間,外科部長として赴任していた6).松山病院は地域病院として繁盛していたが,昭和20年5月25日の空襲で焼失して,再建されることなく閉院した.筆者は焼失前の松山病院を憶えている.5歳の時の記憶でおぼろげであるが,白亜の2階建ての瀟洒な病院であった.
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