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文献詳細

雑誌文献

臨床整形外科56巻1号

2021年01月発行

文献概要

特集 パラスポーツ・メディシン入門

日本における障害者スポーツの先駆者 中村裕

著者: 中村太郎1

所属機関: 1社会医療法人恵愛会大分中村病院整形外科

ページ範囲:P.21 - P.26

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 中村裕は,国立別府病院(現 独立行政法人国立病院機構別府医療センター)整形外科科長時の1960年に,英国のストーク・マンデビル病院(Stoke Mandeville Hospital),ルードヴィヒ・グットマン(Ludwig Guttmann)のもとへ留学し,スポーツを用いた脊髄損傷者のリハビリテーションを学んだ.1961年には,大分県身体障害者体育大会を開催した.1962年には脊髄損傷の自分の患者2人を選手として連れて,日本初の国際Stoke Mandeville競技会参加を果たした.その後,1964年の東京パラリンピック開催に尽力し日本選手団団長を務めた.1965年に,障害者の働く場として社会福祉法人太陽の家を創設した.1975年にはフェスピック連盟(現アジアパラリンピック競技委員会)を組織し,第1回大会を大分市・別府市で開催した.1981年には,大分国際車いすマラソンを提唱した.1964年の東京パラリンピック以降,5大会連続でパラリンピック夏季大会の日本選手団団長を務めた.この世を去った1984年のStoke Mandeville病院でのパラリンピックでは,開催中にその訃報が知らされ,会場には半旗が掲げられた.

参考文献

1) 中村太郎.パラリンピックへの招待—挑戦するアスリートたち.東京:岩波書店;2002.
2) 緒方 甫(監),中村太郎(編).車いすマラソン—大分から世界へのメッセージ—.東京:医療文化社;2004.
3) 東京都江戸東京博物館,行吉正一,米山淳一(編著).東京オリンピックと新幹線.京都:青幻社;2014.
4) 中村太郎.日本脊髄障害医学会(旧 日本パラプレジア医学会)設立の経緯—1964東京パラリンピックから『第1回日本パラプレジア医学会』まで.日本脊髄障害医学会.日本脊髄障害医学会50周年記念誌.2018.pp.40-48.
5) 中村太郎:障がい者スポーツの歴史と将来への展望—History of disability sports and future prospects.京都リハビリテーション医学会誌2019;6:5-9.

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1286

印刷版ISSN:0557-0433

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