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スギ花粉症
著者: 馬場廣太郎1 森朗子1 吉田博一1
所属機関: 1獨協医科大学耳鼻咽喉科学教室
ページ範囲:P.230 - P.239
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かつて日本には存在しないとされていた花粉症が最初に報告されたのは,1961年ブタクサ花粉症であった。その3年後斉藤らによって提唱されたスギ花粉症は,1979年頃からの花粉大量飛散により,多数の患者輩出と症状の激烈さから,日本における代表的花粉症となった。必然的に研究対象として興味深いものとなり,学会,誌上報告は枚挙にいとまがない。しかし,患者側の関心やマスコミの報道指向に影響されてか,花粉飛散の観測や予測に多大な精力を割くことになったのは,医師が行う研究としては些か歪曲した方向にあるのではないかと反省もしている。
一方,抗原としての花粉の多寡は,症状の発現,程度と関連を持つのは当然であることから,ここでは疾患としてのスギ花粉症を中心に,それを惹起する抗原の検索としての花粉観測である立場を確認しながら論を進めたいと考える。また,当地方での疫学調査の結果,治療としての初期療法について私見を示し,諸賢の御参考に供するとともに,御批判を頂載できれば幸いと考える。
かつて日本には存在しないとされていた花粉症が最初に報告されたのは,1961年ブタクサ花粉症であった。その3年後斉藤らによって提唱されたスギ花粉症は,1979年頃からの花粉大量飛散により,多数の患者輩出と症状の激烈さから,日本における代表的花粉症となった。必然的に研究対象として興味深いものとなり,学会,誌上報告は枚挙にいとまがない。しかし,患者側の関心やマスコミの報道指向に影響されてか,花粉飛散の観測や予測に多大な精力を割くことになったのは,医師が行う研究としては些か歪曲した方向にあるのではないかと反省もしている。
一方,抗原としての花粉の多寡は,症状の発現,程度と関連を持つのは当然であることから,ここでは疾患としてのスギ花粉症を中心に,それを惹起する抗原の検索としての花粉観測である立場を確認しながら論を進めたいと考える。また,当地方での疫学調査の結果,治療としての初期療法について私見を示し,諸賢の御参考に供するとともに,御批判を頂載できれば幸いと考える。
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