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文献詳細

雑誌文献

耳鼻咽喉科・頭頸部外科77巻4号

2005年04月発行

文献概要

鏡下咡語

なぜ耳鼻咽喉科か,なぜカタツムリ集めか

著者: 瀧本勲

所属機関: 1愛知医科大学 2日本聴能言語福祉学院

ページ範囲:P.302 - P.304

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1.耳鼻咽喉科選択の理由

 私の周囲には医者が多く私も医者になろうと思っていた。一方,花や樹木も好きで園芸家も選択肢の1つだった。旧制高校での理科乙類は医学部と農学部が選べたが,終戦直後の昭和23年頃は専門性,職種としての安定性からみても医師の有利性は明白であった。名古屋大学を卒業し,1年間のインターンも終わりに近づき診療科の選択に入ったが,手術系で夜間起こされずにすみ,また戦後白人をみてからの審美的欲求の花形になった隆鼻術などの組み合わせた美容外科,形成外科がよいのではないかと考えたが,講座,診療科としてまだなかった時代である。それなら基本習得も意義ありとして,母校の後藤教授の門下に入った。即ち,選択の根拠は結構生臭かったともいえる。

 当時の名古屋大学医局は,前年の宿題報告の続きで内耳基礎研究,臨床では日本でのパイオニアとして全国から患者が集まり「聴力増進中耳根治手術」(現,鼓室形成術)が真っ盛りであった。教授から貰った研究テーマは「内耳の核酸」という簡単なもので,エアコンも暖房もない真夏,真冬にも,モルモットの中耳骨胞を開け蝸牛の膜迷路を3倍ルーペで苦労して採取した。論文も漸くできて関連病院に赴任し,大学病院に入院しきれない患者を受けもち耳手術を堪能した。この病院赴任中に学会発表や論文を投稿したのが原因か,数年後に講師として帰局せよとの命令が出た。入局当時の講師は雲上人的存在で,自分もそれになれるのかとにんまりしたのも束の間,医局長も拝命。3年後の名古屋初めての医学会総会の手伝いと耳鼻咽喉科分科会担当の事務局長業務でてんやわんやとなった。これが帰局の本目的だったかと気づいたが後の祭りで,以後はずっと大学生活になったが,振り返ってみれば有り難い経験になったと思う。

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1882-1316

印刷版ISSN:0914-3491

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