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鏡下囁語
Lucerne Festival(ルツェルン音楽祭)
著者: 髙坂知節12
所属機関: 1東北文化学園大学 2東北大学
ページ範囲:P.405 - P.408
文献購入ページに移動 スイスのほぼ中央部にある州都ルツェルンは,人口約7万5千人の比較的小さな湖畔の街である(写真1)。この街を世界的に有名にしているのがクラシック音楽祭で,特に毎年夏に行われている音楽祭には世界各国からクラシックファンが集まってくる。この音楽祭の起源は,1910年代に遡ることができるほど歴史的なイベントであるが,オーストリアのザルツブルグ音楽祭が隆盛を極めるに従って徐々に衰退し,1920年代にはほとんど行われなくなったという。ところが,ナチスによる強引なオーストリア併合があってザルツブルグ音楽祭が中止されてしまうと,状況が一変して再びこの地での音楽祭が息を吹き返すことになった。もともとこの風光明媚な湖畔には,リヒャルト・ワーグナーやセルゲイ・ラフマニノフが暮らしたことがあり,ヨーロッパ各地の音楽家達がしばしば彼らを訪れたこともあって,有名な観光地としてはクラシック音楽との所縁が深い土地柄でもあった。なかでも,ルツェルン音楽祭の発祥にかかわりのある,リヒャルト・ワーグナーとその妻コジマが愛の巣を営んだ郊外のトリープシェンにある白亜の館は,現在もワーグナー博物館として一般に公開されている(写真2)。超絶技巧のピアニスト兼作曲家として有名なフランツ・リストの娘であり,父親の愛弟子に当たる指揮者のハンス・フォン・ビューローとの間に既に2人の子どもをもうけていたコジマが,1862年にリヒャルト・ワーグナーと初めて出会い,次第に惹かれるようになった。その3年後にはワーグナーとの間に長女イゾルデが誕生し,やがてルツェルン郊外トリープシェンの館に移り住むことになったのだ。有名な『ジークフリート牧歌』は,1870年12月25日のコジマの誕生日のプレゼントとして作曲され,その朝に館の寝室横の階段で,ワーグナー自らが指揮をして友人達によって演奏された。事前にそのことを知らされていなかったコジマは,寝室から出てきてその様子を見て驚くと同時にいたく感激したと伝えられている。『ジークフリート牧歌』は室内オーケストラのための音詩あるいは交響詩といわれ,その初演の朝には狭い階段に譜面台が慎重に並べられてチューリッヒから駆けつけた選りすぐりの楽団員達によって数回にわたって繰り返し演奏されたという。ワーグナー家では,この曲を『階段の音楽』と呼んで大切に保管したため,楽譜が出版されて一般に公開されるまでにはそれから8年ほどを要した。
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