文献詳細
鏡下囁語
文献概要
第六編の概要
Menièreが最初にMenière病について発表したのは1861年1月8日の公開論文朗読講演であった。正式で主要な論文は公開朗読で全文を読み上げて,審査委員会に提出して後に論文として掲載される。この後者が1861年9月21日に掲載されたMenièreの主論文であり後世に引用される文献である。しかし,1月8日から9月21日の間に三編の典型的な症例を追加して症例報告とし,独立した疾患単位であることを主張して立証した。第六編は6月15日に掲載された最終の症例報告である。第三の症例報告は本質的には先の二編の症例報告とは変わりがないが,論調に次第に主張が強くなってきた。von Tröltschの印象では「Menière氏は猶予も与えずに行うことを意識するあまりに,彼の見解とすべての症例をGaz. méd. の1861年巻に129頁,55頁,88頁,239頁,および379頁に投稿した」と脚注(文献1)で特記したが,やはり読者によってはMenièreの執念があまりにも強いとの印象を受けたのであろう。なお,この第六編では,場所違いの観があるがMenièreの引用が簡略すぎて真意が伝わっていない怖れがあるFlourensの論文について第二部で記述する。
(文献1)von Tröltsch:Lehrbuch der Ohrenheilkunde mit Einschluss der Anatomie des Ohres. Stahl, Würzburg, 1868. p.410, footnote
Menièreが最初にMenière病について発表したのは1861年1月8日の公開論文朗読講演であった。正式で主要な論文は公開朗読で全文を読み上げて,審査委員会に提出して後に論文として掲載される。この後者が1861年9月21日に掲載されたMenièreの主論文であり後世に引用される文献である。しかし,1月8日から9月21日の間に三編の典型的な症例を追加して症例報告とし,独立した疾患単位であることを主張して立証した。第六編は6月15日に掲載された最終の症例報告である。第三の症例報告は本質的には先の二編の症例報告とは変わりがないが,論調に次第に主張が強くなってきた。von Tröltschの印象では「Menière氏は猶予も与えずに行うことを意識するあまりに,彼の見解とすべての症例をGaz. méd. の1861年巻に129頁,55頁,88頁,239頁,および379頁に投稿した」と脚注(文献1)で特記したが,やはり読者によってはMenièreの執念があまりにも強いとの印象を受けたのであろう。なお,この第六編では,場所違いの観があるがMenièreの引用が簡略すぎて真意が伝わっていない怖れがあるFlourensの論文について第二部で記述する。
(文献1)von Tröltsch:Lehrbuch der Ohrenheilkunde mit Einschluss der Anatomie des Ohres. Stahl, Würzburg, 1868. p.410, footnote
参考文献
1)M. Flourens:Expériences sur les canaux semi-circulaires de l'oreille dans les oiseaux.(Lues à l'Académie royale des Sciences, le 11 aout 1828)Memoirès de l'Académie des Sciences de L'Institude de France. 9:455-466, 1830.
2)M. Flourens:Expériences sur les canaux semi-circulaires de l'oreille dans les mammifères.(Lues à l'Academie royale des Scieces, le 13 octobre 1828)Memoirès de l'Academie royale des Sciences de l'Institude de France. 9:467-477, 1830.
3)M. Flourens:Recherches experiméntales sur les propriete et les fonctions du systéme nerveux dans les animaux vertébré. Baillière, Paris, 1824.
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