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雑誌目次

雑誌文献

理学療法ジャーナル23巻11号

1989年11月発行

雑誌目次

特集 筋力増強

筋組織からみた筋力

著者: 猪飼哲夫 ,   米本恭三

ページ範囲:P.742 - P.748

 Ⅰ.初めに

 筋力とは筋収縮によって発生する張力であり,その強さは収縮に参加する筋線維の数によって決定される.この筋力の減弱した状態である筋力低下は,リハビリテーションにおける重要な機能障害(impairment)の一つであり,これを改善する筋力増強は,理学療法の中で大きなウェイトを占めている.

 筋が量的に減少した状態を萎縮と呼んでおり,一般に萎縮筋に筋力低下は認められる.しかし,筋萎縮と筋力は並行して進むとは限らず,筋原性疾患のように萎縮の程度が軽くても,変性がある場合には筋力低下が著しいことが多い.

 筋力低下をきたす原因には,神経原性(中枢性,末梢神経性),筋原性,廃用性,加齢などがある(表1).これらの病態に関して多くの組織学的研究があり,動物を用いた基礎的実験が行なわれてきた.本論文は,筋力低下(筋萎縮)をきたす病態の臨床および基礎(動物)実験について主に組織学的側面から述べ,筋力増強のメカニズムについて論じる.特に最近,多くの論文が発表されている廃用性筋萎縮の病態については,少し詳しく述べてみたい.

筋力増強訓練の処方基準

著者: 大川弥生 ,   木村伸也

ページ範囲:P.749 - P.756

 Ⅰ.初めに

 筋力増強訓練はリハビリテーション(以下リハ)において,特にimpairmentレベルでのアプローチ法としてきわめて基本的なものとして位置づけられ,その処方基準もすでに疑問の余地なく確立されたもののように考えられてきた.しかし,近年顕著になりつつあるリハ対象患者の老齢化,重症化,重度化,重複化の傾向1~5)の中で,筋力増強訓練についても再検討が必要となってきた.特に全体としてのリハ・プログラムの中での位置づけという視点から,その在りかた,および実際の施行法について,より明確にし,強調すべき点がいくつか鮮明になってきたと考えられる.

 東京大学リハ部では最近数年間にわたって対象患者の重症化・重度化が著しく,それに対処する中で,そしてまた脳卒中患者の廃用症候群についての一連の研究の過程で,われわれが特に重要視すべきと考えるに至った点を中心にして,その背景を含めて以下に述べることにしたい.

中・高齢者の運動と筋力増強効果

著者: 中田昌敏 ,   丹羽滋郎 ,   小林章雄

ページ範囲:P.757 - P.762

 Ⅰ.初めに

 高齢化社会を迎え,21世紀には65歳以上の人口が,2000万人を超えると言われている.高齢者には,明らかな疾患と言えないまでも何らかの身体生理機能低下を有するものが多い.今後,理学療法の現場においてもこれらの恒常性機能低下を伴う高齢者の運動機能や身体活動能力の評価および体力維持増強訓練を行なう機会は多くなるものと思われる.

 Curetonは体力を身体適性(physical fitness)と運動適性(motor fitness)とに分類している.physical fitnessとは,性,年齢,生活環境など各種の条件にそれぞれの能力が適合している状態と解釈されている.また名取らは体力を,外部環境からくる働きかけ(ストレッサー)に対して人間の生命を生存させるための防衛体力と,積極的に外界に向かって働きかける行動体力とに分けている.スポーツマンや活動的な壮年期の人々には,この行動体力の要素がより重要な意味をもつが,高齢者の身体機能に関しては防衛体力維持のレベルが最低限確保されることが目標となる.中原らは,現代に必要な体力の模型図(図1)により人間の生理機能の統合された防衛体力の維持を挙げている1,2).筋力の要素はこの頂点,すなわちもっとも基礎的な部分であり,また行動の発現器官として重要なものと考えられている.

 加齢に伴って身体諸機能にはさまざまな変化が表れてくる,加齢変化を停止させることは不可能であるが,生理機能の低下速度を遅くし,身体機能の維持を図る試みは必要かつ不可欠のものである.

 本稿では,中高年者の健康づくり活動を通じて高齡者の筋力増強プログラムの効果とリスクファクターとについて述べる.

スポーツ選手の筋力増強訓練

著者: 浦辺幸夫 ,   中ノ瀬友乃 ,   小林寛和 ,   山賀寛 ,   横江清司 ,   松井秀治 ,   川野哲英

ページ範囲:P.763 - P.769

 Ⅰ.初めに

 スポーツ外傷・障害のリハビリテーションを行なう上で,選手の筋力の把握は不可欠である.筋力の評価にはさまざまな方法があるが,等速度性筋力測定・訓練機器の普及により,動的な関節運動を通じ筋トルクを多角的に分析して多くの客観的情報が得られるようになった.しかし,これらの数値の信頼性およびその解釈について一定の指標が示されているとは言い難い現状である.

 今回,スポーツ選手に対する筋力増強訓練について考えるに当たり,われわれが治療してきた選手の筋力の一例を示し,スポーツ選手に必要な筋力について検討したい.次に,下肢疾患に対し多く使用している筋力増強訓練の意味,方法の原則,施行上のくふうなどについて紹介する.さらに,実際の疾患では筋力増強訓練によりどのような経過で回復がみられるのか膝内側側副靱帯(MCL)損傷について報告したい.

電気刺激による筋力増強法

著者: 江﨑重昭 ,   小野仁之 ,   川村次郎 ,   伊勢眞樹 ,   広瀬一史

ページ範囲:P.770 - P.775

 Ⅰ.初めに

 1979年にErikssonらは膝関節手術後のギプス固定例に対し,電気刺激による大腿四頭筋の筋力増強を報告した1)

 電気刺激による筋力増強法は,膝前十字靱帯(以下,ACLと略す.)再建術後の患者のような筋力増強法の安全性が問題になる場合に,最適な条件を設定し,安全にしかも確実に筋力増強訓練が行なえるという特徴をもっている.

 われわれはACL再建術後のギプス固定例に対し,電気刺激を用いて筋力増強を行ない良好な成績を収めている.

 本文では,その具体的な方法と成績を示し,電気刺激による筋力増強法の特徴と問題点について考察する.

とびら

自分をたいせつに

著者: 大峯三郎

ページ範囲:P.741 - P.741

 一昨年,ある事柄に関連して県士会員の学術的活動などへの参加状況についてアンケート調査を行なう機会があった.その中で,参加状況を年齢別にみると卒業後間も無い,しかも経験年数の比較的若い会員の参加状況率がほぼ中堅と思われる会員のそれよりもかなり低いという調査結果が得られた.アンケート調査という点において正確に会員の動向が反映されにくい面を考慮したとしても,私としてはやや意外な結果であり,それと同時にもっと自分自身をたいせつにしてほしいと感じた.

 この参加状況率の低下については幾つかの要因が考えられる.例えば講師,テーマ,内容などに対する個人的価値観からの判断やそのものに対する興味に関する問題,さらには一人理学療法士職場などを含めた労働環境の問題や学術的活動が開催される日時,場所などの時間的あるいは経済的制約などが挙げられるであろう.しかしながら,これらの要因については多少の差があっても,若年会員であろうと中堅会員であろうとさほど大きな差異があるとは思われない.それでは調査結果が意味するものは何かとすれば,おそらくこれは理学療法士としてのプロ意識のもちかたの相違によるものではないかと考えられる.

講座 理学療法評価・11

高次脳機能障害の評価―半側無視例を中心として

著者: 網本和

ページ範囲:P.777 - P.784

 Ⅰ.初めに

 脳損傷例のリハビリテーションにおける主要で最大の問題は,高次脳機能障害であることは多くの報告23,24,27,55,82)が指摘するところであり,すでに多彩な評価方法が開発され75),幾つかのアプローチ49,50,62,79,86,87)が試みられている.しかし理学療法の分野における高次脳機能障害への接近はその関心の高さと重要性に比べ,必ずしも十分とは言えない.この理由としで第一に高次脳機能障害がきわめて多様で複雑な臨床像を示すことから,その把握が少なからず困難であることが挙げられる.第二に高次脳機能障害がリハビリテーション上の阻害因子として強調される90,91)あまり,いわば治療困難なものとして認識され,「除外対象」に陥る傾向が無いとは言えないものと考えられる.そこで本論に入る前に,高次脳機能障害が歩行の自立度にどのような影響を及ぼしているかについて概観し,問題点を再確認しておく必要がある.

 表1は聖マリアンナ医科大学病院における最近3年間にリハビリテーションが施行された脳損傷例477例のうち,初回発作で一側性脳血管障害192例のデータである.なお発症からリハビリテーション開始までの平均は19日,退院までの経過は約90日である.ここに示されているように何らかの高次脳機能障害をもつ者の歩行自立度は全体として26%から41%であり,もっとも歩行自立度が低いものは,失認すなわち半側空間無視であることがわかる.一方リハビリテーション開始時にいずれの高次脳機能障害も示さなかったものの自立度はきわめて高く(89%),換言すれば脳損傷例のリハビリテーションの問題はとりもなおさず高次脳機能障害の問題であることが改めて理解される.

 しかしここで注目しなければならないのは高次脳機能障害例であっても,発症から数か月のうちにかなりの頻度で歩行自立に至る,という事実である.このことは高次脳機能障害の回復に関する幾つかの報告20,42)とも対応し,高次脳機能障害は困難であるものの決して治療不可能ではない,ということを示している.このような視角から,すなわち「回復可能な対象」として高次脳機能障害をとらえるとき,何が変化し,どの機能が治療によって変容しえたかを適切に把握することが重要となる.

 そこでこの小論では,まず臨床的評価方法として①ベッドサイドで簡便に行なえる高次脳機能評価法を紹介し,②しばしば問題となる右半球機能障害のうち空間情報操作の障害および空間知覚障害17,36)の中で半側空間無視と視覚的垂直定位障害とに注目し,平衡機能障害との関連においてその評価方法を述べることにする.

哲学・5

医療倫理と哲学―<操作主義的生命観>と<イデオロギーとしての医療倫理>の批判のために

著者: 細見博志

ページ範囲:P.785 - P.791

 Ⅰ.初めに

 老子における「大道廃(すた)れて仁義あり」ではないが,倫理や道徳の必要性が声高に語られる時代というのは,とりもなおさず,倫理や道徳が動揺し危機に陥っている時代である,と言えるのかもしれない.現在の日本の社会において,政治倫理が強調されているのは,正しくそういう状況を反映している.しかしまだしもこれは,道徳の乱れに対する,道徳意識の側からの批判なのであって,それ自体道徳の現れ,と考えることができる.しかし道徳の問題は表面上現れたその動揺と混乱に尽きるのではない.むしろ道徳が動揺するのは新しいモラルが台頭しつつある証拠とも考えられる.より本質的な問題は,例えば戦前の日本,軍政下にあった韓国,ギリシャでそうであったように(おそらく現在のチリや南アフリカでも,そしてなかんずく天安門事件後の中国では,きっとそうであろうが),ことさらに崇高な(しかし結局は人権を抑圧するような)精神性や道徳性が声高に主張されるときにこそ存在する.1974年7月まで軍政下に置かれていたギリシャでは,上半身裸で往来を歩けば,それだけで風俗紊(びん)乱の廉(かど)で警察に逮捕された,と言われている.実は倫理や道徳を強調するのは,民意を体現しない独裁政権における,民衆の不満を抑圧する常套手段なのである.(厳しい校則を課するのは,生徒の自主性を尊重しない学校における,生徒を管理するための常套手段なのである.)上から道徳が押し付けられるとき,そこにはある種のいかがわしさが潜んでいる.私たち民衆としては,このような<イデオロギーとしての道徳>が垂訓されるとき,むしろそのいかがわしさを嗅(か)ぎ取り,そのイデオロギー性を露呈させることが必要なのではないだろうか.ちょうど武谷三男氏がどこかで,民衆にとって重要な徳目は,「嘘をつくな」ではなく「嘘を見破れ」なのであると語っているように(註1).

 現代において,医療倫理の重要性がますま意識されるようになったということは,政治倫理の場合と同じように,医療倫理そのものが大きく動揺し混乱している,ということがまずその背景にある.この問題は,特に先端医療の領域において,<生命の操作>に対する危惧となって現れている(第Ⅱ節).しかしこれは,まだしも倫理意識の覚醒の契機とみなすことができる.それ以上に深刻な問題は,このような医療倫理の動揺が必ずしも倫理意識の深化・反省につながらず,単に従来からの徳目―例えば<生命の尊厳>―のドグマ化に終わる場台である.もとより医療の現場で,反省や懐疑だけでなく,つねに何らかの決断が必要である.そのために,確固とした信念,つまり一種のドグマがなくてはならない.しかし公式を丸覚えしているだけでは応用問題が解けないように,単にドクマと化した徳目では,もはや脳死や男女産み分けといった先端医療に対応できない―先端医療の問題が,従来の倫理原則の応用問題であるか,あるいはまったく新しい原理を要する問題であるが,という議論には,ここでは立ち入らない.どちらにしてもドグマ化した徳目では対応できないことには変わりはない―のみならずこのようなドグマに,それと無関係な,あるいはしばしばそれと正反対の,中身が盛りこまれ,ドグマが単にその正当化の「だし」に使われることがある.つまりそれが,特定の利害意識を本音として抱きながら,建前ではあくまで医療倫理を標榜する,<イデオロギーとしての医療倫理>である.日常医療ではしばしば,医療倫理の美名を騙(かた)って,営利の論理が自己貫徹しているのである(第Ⅲ節).医療が営利の手段と化すならば,そこで当然ながら患者の人権に対する配慮などは希薄とならざるをえない.日本の医療の現場では,未だに患者の熟知了承(informed consent)や自己決定権(self-determination)などは絵に画いた餅にすぎない.欧米でこの二十年余りの間にコンセンサスとなったこのような考えかたを瞥見すれば,日本において何が欠けているのか,が明らかになるであろう.その場台,医療倫理はそれぞれの国の文化風土で培われなければならない,ということも一つの真理である.でき合いの成果を直輸入して済むものではない.しかしそれが,informed concentというような基本的な原則の否定につながるのであるならば,このような風土的「変容」には問題がある,と言わざるをえない(第Ⅳ,Ⅵ節),むしろほんとうの意味での風土的変容は,欧米の医療倫理に潜む特有の人間観―<意識中心主義>―を明らかにし,それに対して生命中心の人間観を立て,その両者の緊張関係の中から,風土に根ざした医療倫理が生まれてくるのではないだろうか(第Ⅵ節).

 動揺する医療倫理という事態を前にして,哲学には,確固とした基盤を提示し,混乱する医療現場に行動の処方箋を下すことが期待されているのかもしれない.しかしそれは,重要ではあるが困難な課題であり,正直言って私は,何か確固とした宗教的信念でもなければ,すぐには答えは出せないのではないだろうか,といぶかっているのである.と言うのも,動揺する倫理は新たな倫理によってしか,混乱する価値観は新たな価値観によってしか,安定されないのではないだろうか,そして,哲学は,多くの場合,この交替を後から理論的に正当化してきただけではないだろうか,と思うからである.他方で,不幸なことに,少なくともこと私に関しては,このような確固とした宗教的信念を欠いており,またそれに代わる確固とした倫理観,価値観も必ずしももち合わせていない.何かがっしりした倫理学の体系が仮にあって,電話帖の分厚いページをぺらぺらめくるように,それをめくれば解答が得られる,とすればどんなに楽であろうか.しかしこのようなことは,単なる夢想でしかない.しかもなお,現実の医療の問題は,狐疑逡巡に終始することを許してはくれない,ここでは,決断しないことも必然的に一つの決断に化する.進むも地獄,退くも地獄,進退窮まって,無様(ぶざま)なまでに途方に暮れるばかりである.

 しかし今必要なことは,いたずらに「失楽園」を追い求めることではない.既成のドグマに依拠できない,というのは近代の自律の理念のしからしむるところでもあるはずだ.むしろ,動揺する医療倫理を真向から見据(す)え,その底にある操作主義的生命観を批判し,建前に堕(だ)している医療倫理のイデオロギー性を剔抉(てっけつ)することが必要であろう.それが医療倫理に対する,哲学の差し当たっての課題でなければならないだろう.(なお医療倫理(medical ethics)という概念は,医の倫理であり,それは医者の倫理である,と受け取られやすいが,医療が医師中心からさまざまな医療従事者を含むコー・メディカルなチーム医療へと枠を広げ,同時にその中心に,医者と対等な関係にあるものとしての患者を据えることによって,医療倫理の概念の狭さが意識され,現代においてはむしろ生命倫理(bioethics)という概念に置き換えられつつある(註2).しかしここでは,その用語上の差異は特に問題としない.)

クリニカル・ヒント

脳性麻痺児治療のくふう・二題

著者: 北野嘉孝

ページ範囲:P.792 - P.793

 1.初めに

 小児施設に長く勤務し臨床にかかわっていると,成書にあるとおりの治療とまったく逆のことをして,それがまた治療の成功に結び付いたりする経験を何回かした.その中から,踵足変形に対する装具療法の経験から得た「尖足治療のくふう」について最初に述べる.次いで「後弓反張(Opisthotonus)の抑制と呼吸との関連」について,同じく症例報告(溺水による低酸素脳症児)を通して述べてみる.

1ページ講座 臨床検査値のみかた・11

「正常値一覧・1」

著者: 大川弥生

ページ範囲:P.794 - P.794

 Ⅰ.尿

 Ⅱ.血液学的検査

 Ⅲ.免疫学的検査

プログレス

在宅酸素療法

著者: 萩原弘一

ページ範囲:P.795 - P.795

 安静時PaO2 60 Torr以下の患者,すなわち慢性呼吸不全患者に対する在宅酸素療法は,1985年3月に社会保険が適用されて以来急速に普及している.厚生省特定疾患「呼吸不全」調査研究班の全国調査によると,社会保険適用後約2年間で,約5500例が在宅酸素療法を新規に開始したという.

 酸素供給源としては,酸素濃縮器(膜型,吸着型),酸素ボンベがある.膜型は静隠であるが得られる酸素濃度が低く,吸着型はややうるさいが高濃度酸素が得られる.また,酸素ボンベは100%酸素が得られるが,頻繁にボンベの交換を必要とする.それぞれ一長一短があるが,最近では吸着型の使用が増している.装置の改良も進み,計量化,静隠化が計られ,一部には携帯型の製品も発表されている.

PT最前線

専門学校設立から短期大学へ―出発点から推進の中心で尽力 関 勝男氏

著者: 本誌編集室

ページ範囲:P.796 - P.797

 自分の得たものを学生に財産分与する.受け取れたものに,学生自身の得たものを加えて次の人に伝えていってほしい.今回の登場人物,関勝男氏の教育の基本だ.氏は,私学では初の,専門学校から短期大学への改編の中心であった.

あんてな

1人職場の現状と課題

著者: 半田一登

ページ範囲:P.798 - P.799

 ここ数年来,日本理学療法士協会の課題に1人職場問題がクローズアップされてきた.現在,ほぼ1300施設が1人職場であり,この数は老健施設や民間病院などの求人・雇用情況から今後飛躍的に増加すると予測される.また,理学療法士の行く末を案じた場合にこの問題把握が必要と考えている.

資料

第24回理学療法士・作業療法士国家試験問題(1989年度) 模範解答と解説・Ⅳ―理学療法・作業療法共通問題(2)

著者: 和才嘉昭 ,   橋元隆 ,   中山彰一 ,   高橋精一郎 ,   千住秀明 ,   田原弘幸 ,   中野裕之 ,   井口茂 ,   鶴崎俊哉 ,   大島吉英 ,   佐藤豪 ,   神津玲 ,   安永尚美 ,   古場佐登子

ページ範囲:P.800 - P.804

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文献抄録

ページ範囲:P.806 - P.807

編集後記

著者: 鶴見隆正

ページ範囲:P.810 - P.810

 立冬というのに暖かな日ざしで,地球全体の温暖化現象を肌で感ずる今日このごろです.

 今月号の特集は「筋力増強」です.筋力増強は理学療法の基本となるだけに,臨床現場に即した効率的な方法論の追求と組織学的な検討とが重要となってきます.そこで猪飼氏には,筋萎縮のメカニズムを組織学的に解説していただき,一方,その筋力低下を改善すべき処方を出す立場の大川氏からは,処方の理論的根拠を具体的に述べていただきました.いずれもおおいに参考となります.中田氏には,高齢者の筋力増強について健康づくり教室の実践活動を通しての効果,リスク管理までを報告していただきました.浦辺氏には,スポーツ選手の筋力と筋力増強訓練についての特異性を,また江﨑氏には,電気刺激を用いた筋力増強の効果について詳述していただきました.両氏とも組織学的,運動学的な検討の必要性を強調しています.

基本情報

理学療法ジャーナル

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1359

印刷版ISSN 0915-0552

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