文献詳細
文献概要
特集 卒後教育(含新人教育)
理学療法士の卒後教育の体系化
著者: 紀伊克昌1
所属機関: 1Bobath記念病院
ページ範囲:P.150 - P.155
文献購入ページに移動 Ⅰ.初めに
最近職場に就職してくる新卒理学療法士は,昭和40年代生まれの若者である.自然と私が理学療法士として仕事を始めたころに想いを馳(は)せる.それだけ自分も老いたなどと,慌てているのでなく,新卒理学療法士が職業人としてスタートラインに着いた現在の状況と,自分たちが仕事を始めたころの状況とを比較してみたくなる.
社団法人日本理学療法士協会に設けられた倫理規定の原則第3項に「理学療法士は,患者の医療・福祉に寄与するために,常に高水準の専門知識と技術の習得,維持に努めこれを実践に生かす」とある.昭和40年代当時,私たちはこのように明文化された規定を持ち合わせていなかったが,理学療法士同士が顔を合わせれば,専門知識と技術との習得に結び付くと思われる情報の交換に熱心であった.
当時は,リハビリテーションや理学療法士ということばそのものの啓蒙に努力しなければならなかった社会状況ゆえに,理学療法士各人が自己研讃に励みその成果を,周囲に認めさせることを意識していた.
身近な例では理学療法を処方した医師に対する治療技術への信頼獲得であった.理学療法士に処方を出し,治療成果を上げるには,理学療法士の資質を向上させる必要から,理学療法士に対する職場実践教育の大半は医師が担っていた.関連する文献の紹介,文献の解釈,発表論文の作成,学会発表技術など臨床場面以外でも,多くのことについて具体的に指導を受けた.医師は私たち理学療法士に対して,医療従事者として医学の進歩発展,適切な学問情報収集,新しい医学技術の開発,検査方法の進歩,治療手段の発達,医療範囲の拡大などの医学の日進月歩に乗り遅れないように,あらゆる機会をとらえて,生涯学習の必要性とその実践とを教えてくれた.
私たち理学療法士もそれに応えて一所懸命に勉強していたつもりであるが,今から思えば断片的で効率の悪い学習を繰り返していたかもしれない.第一,基礎医学や一般臨床医学に比して,理学療法士に直結した日本語文献はきわめて少なく,辞書を片手の外国文献解釈に頼らざるをえなかった.
その後,職場実践教育は理学療法士が経験を積むにつれ,先輩による後進育成に委(ゆだ)ねられる職場がしだいに増していった.理学療法士の歴史が10年くらいを経過するころには,多人数スタッフの職場から新任職員に対する院内教育がシステム化されるようになった1).施設の設立目的,職場の特性を一日も早く新任職員にのみ込んでもらい,患者対応への戦力となることを目的に教育した.養成校を卒業した新任職員に,職業人としての意識を植え付けたり,新しい職場への適応性を養成したり,職場組織と運営とに関するルールを身に付けさせたりする教育とその後のチェックは,職場の長となった理学療法士にとって現在にも続く重要な任務であった.
私自身は1970年以来,大所帯(30~60名前後の部下)のスタッフを,教育・管理する立場を続けているが,専門職として意識の植え付けや職場倫理に関しては,昔のほうがやりやすかったように思える.最近の卒前教育カリキュラムで職場管理や人間教育は以前よりも充実しているようにみえる.それでも昔のほうがやりやすかったというのは,養成校へ入学する時点で昔の学生のほうが,職業人への志向性が明確であったように思えるからだ.だから新卒であっても就職してくれば,同じ目的に向かう仕事仲間として処すれば良かった.
ただ厳しかったのは新卒職員でも,戦力の一員として先輩職員と同等の対外的信用を得なければならなかったことである.高度な理学療法技術を売り物にする脳性麻痺児・者治療施設という私の職場の特殊性に由来していて,一般的ではなかったとは思うが,経験者と新卒者とがおのおのに患者を担当して治療を続けている際に,担当の好運・不運といったことばで,患者と家族そして医師から新卒者に厳しい目が向けられていた.職場の長としては,多くの患者にできるだけ公平な技術サービスを提供するには,新人および若年層の治療技術水準の引き上げに力を注がざるをえなかった.
新卒者には入職とともに正規の講習会に近いプログラムで,知識と技術とを教授し,その後の3~4年間の臨床経験を,職員各人の義務的自己研讃の課題となるようにくふうした.
こうした院内教育の充実は,どこの職場でも当然の推移であった.充実した院内教育の職場に出向き,理学療法士専門職の水準向上に役だてている積極的な理学療法士の例も多く知っている.これは,これからも奨励されるべきことであり,特に一人職場の理学療法士にとって,より良き卒後学習の一つである.
現在では,学習に値する職場や理学療法士指導者を探すのは私が新人であったころよりも,はるかに容易な状況である.また文献情報にしても理学療法専門誌だけでも国内で3種類も発行されているし,専門書,参考書も質量ともに非常に豊富であり,むしろ多すぎる情報を整理し,各人の知識の中に効率良く統合していかねばならない環境になっている.理学療法士個人としてのプロフェッショナル意識と生涯学習の意欲が強ければ,いくらでも向上できる環境にある現在の新卒理学療法士に,かつての新人であった私をダブらせて羨(うらやま)しくもあるが,私たちが経験した非効率性を,彼らも繰り返していては,理学療法職種そのものの発展性を望めない.
第19回日本理学療法士学会において,時の学会長が「理学療法におけるプロフェッショナルの条件」について講演している2).
理学療法職種において,特権または地位の法的,社会的承認が未完成であることを指摘しているが,同時に教育訓練の項で人材育成の重要性とそれの整備を強調している.一般社会の企業体が組織の盛衰を検討するとき,設備に対する投資よりも,先行投資すなわち人材育成が最重要課題であると強調される.急速な若年層増加の構成と,社会的承認に向けての組織活動の課題を抱えている我が国の理学療法士界は,人材育成の充実を早急にシステム化しなければならないと私も考える.理学療法士の人材育成のシステム化について,キャスティングボードを握っているのは,先進国の例をみるまでも無く,その国の理学療法士協会であろう.
最近職場に就職してくる新卒理学療法士は,昭和40年代生まれの若者である.自然と私が理学療法士として仕事を始めたころに想いを馳(は)せる.それだけ自分も老いたなどと,慌てているのでなく,新卒理学療法士が職業人としてスタートラインに着いた現在の状況と,自分たちが仕事を始めたころの状況とを比較してみたくなる.
社団法人日本理学療法士協会に設けられた倫理規定の原則第3項に「理学療法士は,患者の医療・福祉に寄与するために,常に高水準の専門知識と技術の習得,維持に努めこれを実践に生かす」とある.昭和40年代当時,私たちはこのように明文化された規定を持ち合わせていなかったが,理学療法士同士が顔を合わせれば,専門知識と技術との習得に結び付くと思われる情報の交換に熱心であった.
当時は,リハビリテーションや理学療法士ということばそのものの啓蒙に努力しなければならなかった社会状況ゆえに,理学療法士各人が自己研讃に励みその成果を,周囲に認めさせることを意識していた.
身近な例では理学療法を処方した医師に対する治療技術への信頼獲得であった.理学療法士に処方を出し,治療成果を上げるには,理学療法士の資質を向上させる必要から,理学療法士に対する職場実践教育の大半は医師が担っていた.関連する文献の紹介,文献の解釈,発表論文の作成,学会発表技術など臨床場面以外でも,多くのことについて具体的に指導を受けた.医師は私たち理学療法士に対して,医療従事者として医学の進歩発展,適切な学問情報収集,新しい医学技術の開発,検査方法の進歩,治療手段の発達,医療範囲の拡大などの医学の日進月歩に乗り遅れないように,あらゆる機会をとらえて,生涯学習の必要性とその実践とを教えてくれた.
私たち理学療法士もそれに応えて一所懸命に勉強していたつもりであるが,今から思えば断片的で効率の悪い学習を繰り返していたかもしれない.第一,基礎医学や一般臨床医学に比して,理学療法士に直結した日本語文献はきわめて少なく,辞書を片手の外国文献解釈に頼らざるをえなかった.
その後,職場実践教育は理学療法士が経験を積むにつれ,先輩による後進育成に委(ゆだ)ねられる職場がしだいに増していった.理学療法士の歴史が10年くらいを経過するころには,多人数スタッフの職場から新任職員に対する院内教育がシステム化されるようになった1).施設の設立目的,職場の特性を一日も早く新任職員にのみ込んでもらい,患者対応への戦力となることを目的に教育した.養成校を卒業した新任職員に,職業人としての意識を植え付けたり,新しい職場への適応性を養成したり,職場組織と運営とに関するルールを身に付けさせたりする教育とその後のチェックは,職場の長となった理学療法士にとって現在にも続く重要な任務であった.
私自身は1970年以来,大所帯(30~60名前後の部下)のスタッフを,教育・管理する立場を続けているが,専門職として意識の植え付けや職場倫理に関しては,昔のほうがやりやすかったように思える.最近の卒前教育カリキュラムで職場管理や人間教育は以前よりも充実しているようにみえる.それでも昔のほうがやりやすかったというのは,養成校へ入学する時点で昔の学生のほうが,職業人への志向性が明確であったように思えるからだ.だから新卒であっても就職してくれば,同じ目的に向かう仕事仲間として処すれば良かった.
ただ厳しかったのは新卒職員でも,戦力の一員として先輩職員と同等の対外的信用を得なければならなかったことである.高度な理学療法技術を売り物にする脳性麻痺児・者治療施設という私の職場の特殊性に由来していて,一般的ではなかったとは思うが,経験者と新卒者とがおのおのに患者を担当して治療を続けている際に,担当の好運・不運といったことばで,患者と家族そして医師から新卒者に厳しい目が向けられていた.職場の長としては,多くの患者にできるだけ公平な技術サービスを提供するには,新人および若年層の治療技術水準の引き上げに力を注がざるをえなかった.
新卒者には入職とともに正規の講習会に近いプログラムで,知識と技術とを教授し,その後の3~4年間の臨床経験を,職員各人の義務的自己研讃の課題となるようにくふうした.
こうした院内教育の充実は,どこの職場でも当然の推移であった.充実した院内教育の職場に出向き,理学療法士専門職の水準向上に役だてている積極的な理学療法士の例も多く知っている.これは,これからも奨励されるべきことであり,特に一人職場の理学療法士にとって,より良き卒後学習の一つである.
現在では,学習に値する職場や理学療法士指導者を探すのは私が新人であったころよりも,はるかに容易な状況である.また文献情報にしても理学療法専門誌だけでも国内で3種類も発行されているし,専門書,参考書も質量ともに非常に豊富であり,むしろ多すぎる情報を整理し,各人の知識の中に効率良く統合していかねばならない環境になっている.理学療法士個人としてのプロフェッショナル意識と生涯学習の意欲が強ければ,いくらでも向上できる環境にある現在の新卒理学療法士に,かつての新人であった私をダブらせて羨(うらやま)しくもあるが,私たちが経験した非効率性を,彼らも繰り返していては,理学療法職種そのものの発展性を望めない.
第19回日本理学療法士学会において,時の学会長が「理学療法におけるプロフェッショナルの条件」について講演している2).
理学療法職種において,特権または地位の法的,社会的承認が未完成であることを指摘しているが,同時に教育訓練の項で人材育成の重要性とそれの整備を強調している.一般社会の企業体が組織の盛衰を検討するとき,設備に対する投資よりも,先行投資すなわち人材育成が最重要課題であると強調される.急速な若年層増加の構成と,社会的承認に向けての組織活動の課題を抱えている我が国の理学療法士界は,人材育成の充実を早急にシステム化しなければならないと私も考える.理学療法士の人材育成のシステム化について,キャスティングボードを握っているのは,先進国の例をみるまでも無く,その国の理学療法士協会であろう.
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