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講座 哲学・1
哲学の始まり
著者: 内山勝利1
所属機関: 1京都大学文学部哲学科
ページ範囲:P.485 - P.490
文献購入ページに移動 Ⅰ.哲学の根源
すべての人間は,生まれつき,知ろうとする欲求をもっている.感覚への愛着がその証左である.つまり,感覚はその有用性を別にしても,それ自体のゆえに好ましいものとされ,中でもとりわけ目による感覚が好まれる.事実,われわれは,行為のためばかりでなく,何も行なうつもりがない場合にでも,言わば他の何事よりもさきに,まず見ようとするのであるから.
(Aristoteles『形而上学』A巻第1章980a 1-6)
哲学とは知的感動に生を賭けることであると言ってもいいのではないか.しかも,知そのものよりも感動という生き生きとした心の状態が,より重要な要因をなしているように思われる.とすれば,それはわれわれの日常の生の地平を越えたものでありながら,同時に,日常的経験のすみずみにまで深く行きわたっている精神活動の一側面にほかなるまい.ふと身近かな何事かに興味を引かれる瞬間の心のひらめき,美しい花に見とれているときの心の喜びなどに,哲学はすでにもっとも純粋なしかたで兆(さざ)しているのである.
すべての人間は,生まれつき,知ろうとする欲求をもっている.感覚への愛着がその証左である.つまり,感覚はその有用性を別にしても,それ自体のゆえに好ましいものとされ,中でもとりわけ目による感覚が好まれる.事実,われわれは,行為のためばかりでなく,何も行なうつもりがない場合にでも,言わば他の何事よりもさきに,まず見ようとするのであるから.
(Aristoteles『形而上学』A巻第1章980a 1-6)
哲学とは知的感動に生を賭けることであると言ってもいいのではないか.しかも,知そのものよりも感動という生き生きとした心の状態が,より重要な要因をなしているように思われる.とすれば,それはわれわれの日常の生の地平を越えたものでありながら,同時に,日常的経験のすみずみにまで深く行きわたっている精神活動の一側面にほかなるまい.ふと身近かな何事かに興味を引かれる瞬間の心のひらめき,美しい花に見とれているときの心の喜びなどに,哲学はすでにもっとも純粋なしかたで兆(さざ)しているのである.
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