文献詳細
文献概要
特集 隣接領域における理学療法教育
養護学校教育における理学療法士の役割
著者: 佐藤秀紀1
所属機関: 1東京都立町田養護学校
ページ範囲:P.146 - P.155
文献購入ページに移動 Ⅰ.初めに
肢体不自由養護学校に就学する児童・生徒は,年々重度・重複化している.そのような状況の中で筆者が養護・訓練を主に携わって8年が過ぎ去ろうとしている.
肢体不自由教育の歴史と肢体不自由教育に関する法律は,以下のような経過を経て今日に至っている.
1932年に日本で最初の肢体不自由児の学校として東京市立光明学校が,小学校に類する各種学校として設立された.1942年から東京市立国民学校となり,公立の義務教育機関となった.第二次大戦後,1949年の世界人権宣言に代表されるように,個人についての基本的人権の尊重が不動の原理として成立した.それに伴い,肢体不自由児も含めて全障害児のための教育が国際的に拡充発展していく基盤が整った.1947年「学校教育法」において,特殊教育は学校教育制度の一環を成すものとして位置付けられ,第71条で養護学校は障害が有る者に対して教育を施す学校とされ,第74条で各都道府県に養護学校の設置が義務付けられた.しかしながら,第93条で施行期日は政令で定めるとして養護学校義務化は将来の課題とされた.
1954年に養護学校を義務制とする前提で各都道府県への設置を推進し,国が財務補助を講ずるという提言が為された.1956年6月に公立養護学校整備特別措置法が公布されてから,全国各地に設置されるに至った.1956年に大阪府と愛知県で同時に初めての公立肢体不自由養護学校が創設され,1969年には全国各都道府県に肢体不自由養護学校の設立をみた.
1971年学校教育法の一部改正で,これまでの養護学校教育の対象を改め心身の障害の程度(同法第71条の2)で定めた.この規定により学校教育法施行令第22条2において障害の程度を定め,義務制実施の前提としての対象児童生徒の障害程度を明確にした.
1973年に学習指導要領肢体不自由教育編が文部省事務次官通達として出された.当時は「体育・機能訓練」として教科に位置付けられ,機能訓練の内容は,「機能の訓練」「職能の訓練」「言語の訓練」の三つの柱から成り立ち,その実施については学校医の処方に基づき,体育の教師あるいは実習助手により指導が為された.
1960年後半に入り,肢体不自由養護学校に在籍する児童・生徒の主たる原因が脳性麻痺となってきた.しかも従来は対象とされなかった,障害程度が重度・重複化した児童・生徒が就学するようになり,1971年度から「養護・訓練」が養護学校における第四の領域として,各教科,道徳,特別活動に次いで位置付けられたのである.従来の指導要領では,担当者は「学校医の処方に基づき特別の技能を有する教職員が行う」とされていたのが,この学習指導要領では「専門的な知識,技能を有する教師が行うことを原則とし」とされ,教師が主体となって展開することとなった.さらに,「学校医の処方に基づき,必要がある場合にはその指導を求め」と示されていたのが,「必要に応じて専門の医師およびその他の専門家の指導・助言を求め」に変わっていった.
文部省は,政令第339号を1973年11月20日に公布し,ようやく養護学校の義務制が1979年度全面的に実施されることになった.さらに,同年の学習指導要領の改訂で,養護・訓練の内容が「心身の適応」「感覚機能の向上」「運動機能の向上」「意思の伝達」の全内容に拡充してとらえ,そこから子どもに必要な事項を選択するようになり,養護・訓練の担当者も,限られた技能を有する教師から,一般教師全員へと拡がっていった.
「養護・訓練」の意義については従来の機能訓練が個々の子どもの機能の改善といった点に主眼をおいていたのに対し,「養護・訓練」においては心身の調和的発達を目指し,全人的発達を図ることにその主眼があると説明されているが,積極的側面と同時にさまざまな問題点・課題が引き起こされている.
肢体不自由養護学校に就学する児童・生徒は,年々重度・重複化している.そのような状況の中で筆者が養護・訓練を主に携わって8年が過ぎ去ろうとしている.
肢体不自由教育の歴史と肢体不自由教育に関する法律は,以下のような経過を経て今日に至っている.
1932年に日本で最初の肢体不自由児の学校として東京市立光明学校が,小学校に類する各種学校として設立された.1942年から東京市立国民学校となり,公立の義務教育機関となった.第二次大戦後,1949年の世界人権宣言に代表されるように,個人についての基本的人権の尊重が不動の原理として成立した.それに伴い,肢体不自由児も含めて全障害児のための教育が国際的に拡充発展していく基盤が整った.1947年「学校教育法」において,特殊教育は学校教育制度の一環を成すものとして位置付けられ,第71条で養護学校は障害が有る者に対して教育を施す学校とされ,第74条で各都道府県に養護学校の設置が義務付けられた.しかしながら,第93条で施行期日は政令で定めるとして養護学校義務化は将来の課題とされた.
1954年に養護学校を義務制とする前提で各都道府県への設置を推進し,国が財務補助を講ずるという提言が為された.1956年6月に公立養護学校整備特別措置法が公布されてから,全国各地に設置されるに至った.1956年に大阪府と愛知県で同時に初めての公立肢体不自由養護学校が創設され,1969年には全国各都道府県に肢体不自由養護学校の設立をみた.
1971年学校教育法の一部改正で,これまでの養護学校教育の対象を改め心身の障害の程度(同法第71条の2)で定めた.この規定により学校教育法施行令第22条2において障害の程度を定め,義務制実施の前提としての対象児童生徒の障害程度を明確にした.
1973年に学習指導要領肢体不自由教育編が文部省事務次官通達として出された.当時は「体育・機能訓練」として教科に位置付けられ,機能訓練の内容は,「機能の訓練」「職能の訓練」「言語の訓練」の三つの柱から成り立ち,その実施については学校医の処方に基づき,体育の教師あるいは実習助手により指導が為された.
1960年後半に入り,肢体不自由養護学校に在籍する児童・生徒の主たる原因が脳性麻痺となってきた.しかも従来は対象とされなかった,障害程度が重度・重複化した児童・生徒が就学するようになり,1971年度から「養護・訓練」が養護学校における第四の領域として,各教科,道徳,特別活動に次いで位置付けられたのである.従来の指導要領では,担当者は「学校医の処方に基づき特別の技能を有する教職員が行う」とされていたのが,この学習指導要領では「専門的な知識,技能を有する教師が行うことを原則とし」とされ,教師が主体となって展開することとなった.さらに,「学校医の処方に基づき,必要がある場合にはその指導を求め」と示されていたのが,「必要に応じて専門の医師およびその他の専門家の指導・助言を求め」に変わっていった.
文部省は,政令第339号を1973年11月20日に公布し,ようやく養護学校の義務制が1979年度全面的に実施されることになった.さらに,同年の学習指導要領の改訂で,養護・訓練の内容が「心身の適応」「感覚機能の向上」「運動機能の向上」「意思の伝達」の全内容に拡充してとらえ,そこから子どもに必要な事項を選択するようになり,養護・訓練の担当者も,限られた技能を有する教師から,一般教師全員へと拡がっていった.
「養護・訓練」の意義については従来の機能訓練が個々の子どもの機能の改善といった点に主眼をおいていたのに対し,「養護・訓練」においては心身の調和的発達を目指し,全人的発達を図ることにその主眼があると説明されているが,積極的側面と同時にさまざまな問題点・課題が引き起こされている.
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