文献詳細
文献概要
理学療法草創期の証言
先導的リハ医療の三つの流れ
著者: 和才嘉昭1
所属機関: 1筑波技術短期大学理学療法学科
ページ範囲:P.338 - P.338
文献購入ページに移動 1954年10月三療の免許で就職した,別府市鶴見が丘にある九州大学医学部附属別府温泉治療学研究所の理学療法室は,当時としてはドイツ製ツアンダーなる運動機器を備えた先進的を施設ではあったが,現在各地の病院や治療施設でみられる理学療法室のレベルからすればほど遠く,非常に貧弱なものとして記憶に残っている.当時は何れの治療施設でも三療免許所有者が理学療法室と呼ばれる部門に配属され,マッサージや物理療法業務を担当しその責務を果たしていた.少なくとも1965年理学療法士・作業療法士国家試験に基づく療法士が誕生するまでは主役であった.
日本でリハビリテーション医学が,声高く叫ばれるようになるまでにも,名称こそ異なるが国内で大きく東京大学の故高木憲次先生・故小池文英先生中心の東京方式,大阪大学の故水野祥太郎先生・田村春雄先生中心の大阪方式,九州大学の故内藤三郎先生・天児民和先生中心の九州方式なる三つの更生医療の流れがあった.それらの特徴として東京方式では肢体不自由児施設で,大阪方式では身体障害者更生施設で,そして九州方式では労働災害者の労災病院で,それぞれ地道ではあったが日本のリハビリテーション医療が先導されていた.
日本でリハビリテーション医学が,声高く叫ばれるようになるまでにも,名称こそ異なるが国内で大きく東京大学の故高木憲次先生・故小池文英先生中心の東京方式,大阪大学の故水野祥太郎先生・田村春雄先生中心の大阪方式,九州大学の故内藤三郎先生・天児民和先生中心の九州方式なる三つの更生医療の流れがあった.それらの特徴として東京方式では肢体不自由児施設で,大阪方式では身体障害者更生施設で,そして九州方式では労働災害者の労災病院で,それぞれ地道ではあったが日本のリハビリテーション医療が先導されていた.
掲載誌情報