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特集 脳科学の進歩と理学療法
脳科学の進歩と理学療法
著者: 久保田競1
所属機関: 1日本福祉大学情報社会科学部
ページ範囲:P.616 - P.620
文献購入ページに移動 1.はじめに
脳に何らかの障害があって,脳機能の低下があり,同時に運動機能の低下や喪失が起こった場合,治療によって脳機能や運動機能を回復させることができることがある.このことは,19世紀の末にすでに知られていたことである.しかし,なぜ機能回復が起こるのか,最近までまったく解らなかった.したがって,機能回復のための治療は経験的に行われてきた.そのため,種々のやり方が行われ,その優劣が論じられてきた.しかし,治療効果を科学的に判定する方法が確立されていないため,いろいろな見解が今でも共存している.
1970年ごろから,神経系を多面的に研究する分野が生まれてきた.この分野では,我々の精神現象を神経系の働きとして,分子,細胞,システムのレベルで理解しようとする.これ以前の脳研究は,解剖学,生理学といった,独特の研究技術と方法論をもった学問分野で行われていたのが,種々の方法論で,多面的,包括的,総合的に研究されるようになった.このような分野は神経科学(neuroscience(s))と呼ばれている.北米で神経科学会が設立され,最初の学会大会が開かれたのは1971年であるが,その後の発展は目覚ましく,今や巨大科学となっている.神経科学のなかの研究で成果のあがっている精神過程の1つに「学習や記憶」がある.この研究で生まれてきた,脳の働きについてのの概念の1つに「神経可塑性」(neural plasticity)がある.
我々の精神過程が変わるのは,神経系が変わる性質をもっているからで,その基礎にあるのは,神経系をつくる要素である神経細胞のシナプスの可塑性(plasticity,modifiability)である.シナプスに形態学的,生理学的変化が起こるから,神経細胞の働き方が変わり,神経系の働きが変わり,精神過程が変わるのである.神経可塑性の証拠となる実現事実は1970年ごろから出始め,1990年ごろには確固たる概念となった.最近になって機能の発達や老化にも,この概念が適用されている.今や神経系で,神経細胞がシナプスでつながってできている神経回路ができあがると,固定的で変わらないものと考えることはできない.脳が変わり,働きも変わる.しかも動的に.
「神経可塑性」の概念が,脳障害後の機能回復にも適用されるようになった.その最初の報告が1996年,Nudoらによって示された3).人工的につくった運動野の脳梗塞で,手指の麻痺が起こったが,手指を強力に使わせることで,手指を支配する運動野の面積が広くなったのである.すでに他の運動を起こすのに働いていた運動野の神経細胞が,手指を動かすように働いたためと考えられた.この背景に,運動野の神経細胞につくシナプスの変化があると想定されるが,その実態はまだ明らかにされていない.人間の運動野に,同じような梗塞があれば,同じことが起こると考えられる.同じメカニズムで運動機能の回復が起こると期待できるのである.
Nudoらの研究は,リハビリテーション医学の分野で重要なことを明らかにした.脳障害のあとの機能回復の一部を,脳の働きとして理解したことになる.筆者は1996年をリハビリテーション元年と呼ぶのがよいと考えている(Nudoらの業績を筆者がボバースジャーナル1)に紹介してある.)
理学療法士を含めて,リハビリテーション医学に関係している人は,今や神経科学を勉強して,なぜ機能回復が起こるのか,そのメカニズムを理解しなければならなくなった,理解した上で,新しい治療法を開発していかねばならないことになった,と筆者は考えている.
理学療法士に,神経科学とくに神経生理を教えられる人は,残念ながら日本人にはほとんどいない.理学療法士の学会が,どうすればよいのか真剣に考えねばなるまい.理学療法を行う場合,最近の脳研究の成果を避けることはできないと思われる.
脳に何らかの障害があって,脳機能の低下があり,同時に運動機能の低下や喪失が起こった場合,治療によって脳機能や運動機能を回復させることができることがある.このことは,19世紀の末にすでに知られていたことである.しかし,なぜ機能回復が起こるのか,最近までまったく解らなかった.したがって,機能回復のための治療は経験的に行われてきた.そのため,種々のやり方が行われ,その優劣が論じられてきた.しかし,治療効果を科学的に判定する方法が確立されていないため,いろいろな見解が今でも共存している.
1970年ごろから,神経系を多面的に研究する分野が生まれてきた.この分野では,我々の精神現象を神経系の働きとして,分子,細胞,システムのレベルで理解しようとする.これ以前の脳研究は,解剖学,生理学といった,独特の研究技術と方法論をもった学問分野で行われていたのが,種々の方法論で,多面的,包括的,総合的に研究されるようになった.このような分野は神経科学(neuroscience(s))と呼ばれている.北米で神経科学会が設立され,最初の学会大会が開かれたのは1971年であるが,その後の発展は目覚ましく,今や巨大科学となっている.神経科学のなかの研究で成果のあがっている精神過程の1つに「学習や記憶」がある.この研究で生まれてきた,脳の働きについてのの概念の1つに「神経可塑性」(neural plasticity)がある.
我々の精神過程が変わるのは,神経系が変わる性質をもっているからで,その基礎にあるのは,神経系をつくる要素である神経細胞のシナプスの可塑性(plasticity,modifiability)である.シナプスに形態学的,生理学的変化が起こるから,神経細胞の働き方が変わり,神経系の働きが変わり,精神過程が変わるのである.神経可塑性の証拠となる実現事実は1970年ごろから出始め,1990年ごろには確固たる概念となった.最近になって機能の発達や老化にも,この概念が適用されている.今や神経系で,神経細胞がシナプスでつながってできている神経回路ができあがると,固定的で変わらないものと考えることはできない.脳が変わり,働きも変わる.しかも動的に.
「神経可塑性」の概念が,脳障害後の機能回復にも適用されるようになった.その最初の報告が1996年,Nudoらによって示された3).人工的につくった運動野の脳梗塞で,手指の麻痺が起こったが,手指を強力に使わせることで,手指を支配する運動野の面積が広くなったのである.すでに他の運動を起こすのに働いていた運動野の神経細胞が,手指を動かすように働いたためと考えられた.この背景に,運動野の神経細胞につくシナプスの変化があると想定されるが,その実態はまだ明らかにされていない.人間の運動野に,同じような梗塞があれば,同じことが起こると考えられる.同じメカニズムで運動機能の回復が起こると期待できるのである.
Nudoらの研究は,リハビリテーション医学の分野で重要なことを明らかにした.脳障害のあとの機能回復の一部を,脳の働きとして理解したことになる.筆者は1996年をリハビリテーション元年と呼ぶのがよいと考えている(Nudoらの業績を筆者がボバースジャーナル1)に紹介してある.)
理学療法士を含めて,リハビリテーション医学に関係している人は,今や神経科学を勉強して,なぜ機能回復が起こるのか,そのメカニズムを理解しなければならなくなった,理解した上で,新しい治療法を開発していかねばならないことになった,と筆者は考えている.
理学療法士に,神経科学とくに神経生理を教えられる人は,残念ながら日本人にはほとんどいない.理学療法士の学会が,どうすればよいのか真剣に考えねばなるまい.理学療法を行う場合,最近の脳研究の成果を避けることはできないと思われる.
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