文献詳細
文献概要
特集 理学療法士の国際協力 私の国際協力体験
中国の病院で活動して
著者: 加藤明美1
所属機関: 1巽病院リハビリテーションセンター
ページ範囲:P.1025 - P.1027
文献購入ページに移動 私は2000年7月から2002年7月まで,青年海外協力隊に参加して,中国広西チワン族自治区柳州市の第一人民医院リハビリテーションセンターに派遣され活動していました.
青年海外協力隊に参加するまで
もともと私が青年海外協力隊(以下,協力隊)に参加したいと思った動機は「国際協力」という難しいことではなく,外国で暮らしてみたいという単純なものでした.協力隊の存在を知ったのは大学1年生のときで,駅のポスターを見て説明会に行ったのですが,そこで初めて,協力隊というのは自分が行きたい場所に行くのではなく,必要とされている技術を持った人が必要としている国の申請に答える形で派遣されるのだということ,また,費用は国の税金を使うのだということを知りました.また,その説明会で,大学生が参加するのは不可能ではないが,精神的にも業務としても厳しい,なにより必要とされる技術がないと難しいと言われました.当時私は養護学校などで教員になるための特殊教育を学んでいたのですが,職種としての募集もなく,大学生の自分自身にも自信がなく,すぐに参加することはできませんでした.その後,理学療法士に進路変更し,3年間臨床経験を積んで,改めて協力隊に応募しました.その10年間はある意味,「協力隊に参加したい」という目的をもっていろいろなことにチャレンジできた期間となったように思います.
青年海外協力隊に参加するまで
もともと私が青年海外協力隊(以下,協力隊)に参加したいと思った動機は「国際協力」という難しいことではなく,外国で暮らしてみたいという単純なものでした.協力隊の存在を知ったのは大学1年生のときで,駅のポスターを見て説明会に行ったのですが,そこで初めて,協力隊というのは自分が行きたい場所に行くのではなく,必要とされている技術を持った人が必要としている国の申請に答える形で派遣されるのだということ,また,費用は国の税金を使うのだということを知りました.また,その説明会で,大学生が参加するのは不可能ではないが,精神的にも業務としても厳しい,なにより必要とされる技術がないと難しいと言われました.当時私は養護学校などで教員になるための特殊教育を学んでいたのですが,職種としての募集もなく,大学生の自分自身にも自信がなく,すぐに参加することはできませんでした.その後,理学療法士に進路変更し,3年間臨床経験を積んで,改めて協力隊に応募しました.その10年間はある意味,「協力隊に参加したい」という目的をもっていろいろなことにチャレンジできた期間となったように思います.
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