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文献概要
講座 理学療法と医療安全 3
理学療法士に関連する裁判例の検討
著者: 上拾石哲郎1
所属機関: 1上拾石法律事務所
ページ範囲:P.1041 - P.1048
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1.医療事故における法的責任の概要
まず,医療事故が発生した場合に医療関係者がどのような法的責任を問われる可能性があるのかについて,概観します.
医療事故で医療従事者が問われる可能性のある法的責任の類型は,①民事上の責任(金銭賠償),②刑事上の責任(懲役・禁錮・罰金などの刑罰),③行政上の責任(免許の取消等)に分けられます.
このうち①民事裁判とは,患者や遺族が原告となって,病院などを被告として,民法などの法律に基づいて訴訟を起こし,損害賠償(すなわち金銭の支払)を求めるものです.実際の訴訟で被告とされるのは,患者と診療契約を締結している医療施設の開設者(医療法人など)がほとんどです(医療従事者個人も共同被告とされることはあります).しかし,実際の裁判では,医師や看護師など個々の医療従事者の注意義務違反が争点となるので,いずれにしても自身が被告となったのと同様に,対応に追われることになります.これに対し,②刑事裁判は,国家権力(検察官)が主体となって,医師や看護師などの「個人」を被告人として,刑法などの刑罰法規に基づいて,刑罰を科すことを求める(起訴する)ものです.
このように,民事裁判と刑事裁判は,その当事者も,制度の目的も,裁判手続も異なるものです.そのため,場合によっては,1つの事案で,民事・刑事の両方の裁判が起こされることもあります.さらに③行政処分は,行政的な取り締まりという,民事・刑事とはまた別の観点から,監督官庁によって発動されるものです.
2.法的責任が問われるのはどんな場合か?
1)民事責任
民事上の責任が問われるのは,医療事故が発生したことについて医療従事者に「注意義務違反」がある場合です.注意義務違反があることを「過失がある」と言います.この場合の「注意義務」の中身は,2つの義務で成り立っています.
1つは,「結果予見義務」です.事故の発生を事前に予見することが可能だったのに,結果の発生を予見しなかった場合,結果予見義務違反となります.
もう1つは,「結果回避義務」です.結果発生を防ぐのが可能だったのに,適切な防止措置を取らなかったため結果が発生した場合,結果回避義務違反となります.
結果回避義務は,結果予見義務を前提としています.まず,「予見することができたこと」を前提として,次に,「予見できた結果を回避する義務」が問題とされるのです.
したがって,逆に言うと,事故が発生した場合でも,①発生を予見することが不可能だった場合や,②結果を回避することが不可能だったという場合には,注意義務違反(過失)は否定されるのです.法的責任の構造は,このような①予見可能性,②結果回避可能性のある場合に責任が問われるのであり(「過失責任主義」といいます),不可能を求めるものではないのです.
具体的に言うと,例えばリハビリテーション(以下,リハビリ)中に転倒事故が発生したとします.この場合,リハビリの前から患者が明らかにふらついていた(転倒の予見可能性がある)のに,リハビリ担当者がこれを見逃し(予見義務違反),マンツーマンで付き添うスタッフの余裕があったのに(回避可能性がある),誰も付き添わないで1人で歩行練習をさせていた(回避義務違反)ところ,患者が転倒して怪我をした,というような場合は,①予見義務違反と②回避義務違反あり(過失あり)とされ,損害賠償が命じられるということになります.
2)刑事責任
次に,医療事故における刑事責任としては,業務上過失致死傷罪が問われます.
法定刑は,5年以下の懲役もしくは禁錮または50万円以下の罰金です.
刑事判決の例としては,ブドウ糖を注射すべきところ,注射液の容器の標示紙を確認せずに,ヌペルカインを注射して患者を死亡させたという事例で,看護師らが禁錮10月に処された例があります(最判昭和28年12月22日).
この例からもうかがわれますが,民事責任だけでなく,刑事上の責任(刑罰の適用)までもが問われる場合とは,従来の判例の傾向では,①注意義務違反の程度(過失)が,「基本的な注意義務への違反」であり,かつ,②発生した結果が,死亡などの「重大な結果」であった場合に,限定的に問われる傾向があります.その理由は,刑事責任は,刑罰という重大な不利益を科すものであるため,基本的にその発動は慎重であるべきとの思想によります(刑罰の謙抑性).
しかし最近になって,医師個人の刑事責任を問う事件が増えているようです.読売新聞の報道によれば,医療事件の起訴件数は,1998年までの50年間は137件だったのが,1999年からの6年間で79件に上っているとのことです.同記事は,このように刑事責任の追及が積極的になっている傾向には,頻発する重大事件と強い遺族感情に応えるという要請が背景にあること,他方で,「刑事捜査は,医療現場を萎縮させるだけで,再発防止には役立たない」との医療界からの指摘もあることを紹介しています1).
なお,2005年12月,福島県で手術を担当した産婦人科医師が逮捕された事件2)などをきっかけに,学者や医療事件に携わる弁護士の間でも,医療事故について刑罰権が発動されるべき適切な範囲をめぐって,議論がなされ始めています.
刑事責任は,民事責任と比べると,まず医療従事者「個人」の刑事責任が問われることになる点,次に金銭の賠償のように「和解」による解決ができないことなどから,刑事責任を問われた場合の対応は,精神的にも非常に大変なものとなります.
1.医療事故における法的責任の概要
まず,医療事故が発生した場合に医療関係者がどのような法的責任を問われる可能性があるのかについて,概観します.
医療事故で医療従事者が問われる可能性のある法的責任の類型は,①民事上の責任(金銭賠償),②刑事上の責任(懲役・禁錮・罰金などの刑罰),③行政上の責任(免許の取消等)に分けられます.
このうち①民事裁判とは,患者や遺族が原告となって,病院などを被告として,民法などの法律に基づいて訴訟を起こし,損害賠償(すなわち金銭の支払)を求めるものです.実際の訴訟で被告とされるのは,患者と診療契約を締結している医療施設の開設者(医療法人など)がほとんどです(医療従事者個人も共同被告とされることはあります).しかし,実際の裁判では,医師や看護師など個々の医療従事者の注意義務違反が争点となるので,いずれにしても自身が被告となったのと同様に,対応に追われることになります.これに対し,②刑事裁判は,国家権力(検察官)が主体となって,医師や看護師などの「個人」を被告人として,刑法などの刑罰法規に基づいて,刑罰を科すことを求める(起訴する)ものです.
このように,民事裁判と刑事裁判は,その当事者も,制度の目的も,裁判手続も異なるものです.そのため,場合によっては,1つの事案で,民事・刑事の両方の裁判が起こされることもあります.さらに③行政処分は,行政的な取り締まりという,民事・刑事とはまた別の観点から,監督官庁によって発動されるものです.
2.法的責任が問われるのはどんな場合か?
1)民事責任
民事上の責任が問われるのは,医療事故が発生したことについて医療従事者に「注意義務違反」がある場合です.注意義務違反があることを「過失がある」と言います.この場合の「注意義務」の中身は,2つの義務で成り立っています.
1つは,「結果予見義務」です.事故の発生を事前に予見することが可能だったのに,結果の発生を予見しなかった場合,結果予見義務違反となります.
もう1つは,「結果回避義務」です.結果発生を防ぐのが可能だったのに,適切な防止措置を取らなかったため結果が発生した場合,結果回避義務違反となります.
結果回避義務は,結果予見義務を前提としています.まず,「予見することができたこと」を前提として,次に,「予見できた結果を回避する義務」が問題とされるのです.
したがって,逆に言うと,事故が発生した場合でも,①発生を予見することが不可能だった場合や,②結果を回避することが不可能だったという場合には,注意義務違反(過失)は否定されるのです.法的責任の構造は,このような①予見可能性,②結果回避可能性のある場合に責任が問われるのであり(「過失責任主義」といいます),不可能を求めるものではないのです.
具体的に言うと,例えばリハビリテーション(以下,リハビリ)中に転倒事故が発生したとします.この場合,リハビリの前から患者が明らかにふらついていた(転倒の予見可能性がある)のに,リハビリ担当者がこれを見逃し(予見義務違反),マンツーマンで付き添うスタッフの余裕があったのに(回避可能性がある),誰も付き添わないで1人で歩行練習をさせていた(回避義務違反)ところ,患者が転倒して怪我をした,というような場合は,①予見義務違反と②回避義務違反あり(過失あり)とされ,損害賠償が命じられるということになります.
2)刑事責任
次に,医療事故における刑事責任としては,業務上過失致死傷罪が問われます.
法定刑は,5年以下の懲役もしくは禁錮または50万円以下の罰金です.
刑事判決の例としては,ブドウ糖を注射すべきところ,注射液の容器の標示紙を確認せずに,ヌペルカインを注射して患者を死亡させたという事例で,看護師らが禁錮10月に処された例があります(最判昭和28年12月22日).
この例からもうかがわれますが,民事責任だけでなく,刑事上の責任(刑罰の適用)までもが問われる場合とは,従来の判例の傾向では,①注意義務違反の程度(過失)が,「基本的な注意義務への違反」であり,かつ,②発生した結果が,死亡などの「重大な結果」であった場合に,限定的に問われる傾向があります.その理由は,刑事責任は,刑罰という重大な不利益を科すものであるため,基本的にその発動は慎重であるべきとの思想によります(刑罰の謙抑性).
しかし最近になって,医師個人の刑事責任を問う事件が増えているようです.読売新聞の報道によれば,医療事件の起訴件数は,1998年までの50年間は137件だったのが,1999年からの6年間で79件に上っているとのことです.同記事は,このように刑事責任の追及が積極的になっている傾向には,頻発する重大事件と強い遺族感情に応えるという要請が背景にあること,他方で,「刑事捜査は,医療現場を萎縮させるだけで,再発防止には役立たない」との医療界からの指摘もあることを紹介しています1).
なお,2005年12月,福島県で手術を担当した産婦人科医師が逮捕された事件2)などをきっかけに,学者や医療事件に携わる弁護士の間でも,医療事故について刑罰権が発動されるべき適切な範囲をめぐって,議論がなされ始めています.
刑事責任は,民事責任と比べると,まず医療従事者「個人」の刑事責任が問われることになる点,次に金銭の賠償のように「和解」による解決ができないことなどから,刑事責任を問われた場合の対応は,精神的にも非常に大変なものとなります.
参考文献
1)平成18年5月24日読売新聞「検察官 医療事故 摘発どこまで」より.
2)帝王切開中に患者が失血死した事件で,執刀医が逮捕され,起訴された事件.検察官は,手術中に,胎盤が子宮に癒着していることを医師が認識した時に直ちに胎盤の剥離を中止して子宮摘出術等に移行しなかったことと,胎盤の癒着部分の剥離に用いた手段に過失があり,胎盤を無理にはがしたことによって大量出血を引き起こしたとし,現在審理が継続中である.
3)判例タイムズ1139:148,2004
4)判例タイムズ1015:222,2000
5)判例時報1843:133,2004
6)判例時報1588:117,1997
7)高野範城・青木佳史(編):介護事故とリスクマネジメント,pp26-28,あけび書房,2004年.同文献は,多くの判例を分析した上で,このような判例の傾向を指摘している.
8)前掲7)pp20-21,pp110-115
9)前掲7)p114
10)LexisNexis 判例データベースより.
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