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文献概要
講座 「複雑系」と理学療法・3
複雑系からみた歩行
著者: 横井孝志1
所属機関: 1独立行政法人産業技術総合研究所人間福祉医工学研究部門
ページ範囲:P.1023 - P.1030
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歩行や走行に代表される移動運動は,われわれにとって基本的な身体運動であると同時に,日常生活の中の重要な移動手段でもある.リハビリテーションや理学療法の分野において,これらの移動運動を解析・評価するねらいは,欠損あるいは低下した運動機能を補完・改善し,適正な自立を実現することにより,日々の生活の質を高めることにある.本稿では,この移動運動を複雑系の視点から捉えた研究を概観する.
われわれは,日頃ほとんど意識せずに歩行や走行を遂行し,様々な条件に適応しながらそれらを使い分けている.例えば,筋や関節の痛みなどによって特定の身体部位の運動状態が制約を受けると,その制約に応じて他の身体部位の動きも変化し,拙いながらも歩行や走行を継続・遂行できるように全体として動きが調整される.これとは逆に,例えば,速く歩く,悪路や坂道を歩くなどによって,歩行そのものの状態が変わると,それに応じて個々の身体部位の動きも変化し,場合によっては歩行から走行や跳躍へと運動様式を変えることもある.この変化や調整には明確なパターンや戦略があるわけではなく,身体や環境の状態にあわせて比較的適した様式が無意識的に選択される.このような現象を眺めると,多種多様な要素(例えば末梢の筋や神経)の活動状態や要素間の関係性が系全体のふるまい(歩行様態)に影響し,同時に系全体のふるまいが個々の要素の活動状態や要素間の関係性に影響しながら,全体としてそれなりの秩序が保たれていることがわかる.これは複雑系現象そのものでもある1).
1980年前後から様々な分野で自己組織化,ゆらぎ,カオス,フラクタルなどが脚光を浴び始めた.それに伴い,複雑系の特徴である自己組織化やカオス,フラクタル的な性質が生体現象においても見出されたとの報告が相次いだ2~5).これら一連の研究から,生体現象におけるカオスやフラクタル的性質は,外界への適応能力を高め,学習を強化するのに役立つのではないか,加齢によってこの性質が弱まり,結果として,適応能力や学習能力が減少するのではないか,との仮説が提唱された.このような研究に触発され,非常に高い自由度を持つ身体をどのように制御することで身体運動が成立しているのかといった疑問に答えるため,身体運動を複雑系として捉え,理解しようとする様々なアプローチが試みられ始めた6~9).しかし,科学的興味を別にすると,身体運動を複雑系の観点から捉えることが,リハビリテーションや理学療法の分野にどのように貢献するかについては,現在のところそれほど明確ではない.
本稿では,これらの点を踏まえながら,歩行や走行を複雑系として捉えたこれまでの主な研究を紹介し,このような捉え方によってリハビリテーションや理学療法の立場からどのようなことを期待できるかについて,若干の考察を加える.
複雑系領域の研究はいまだ未成熟であり,研究の方法自体も十分には整備されていない.しかし,複雑系には自己組織化やカオス,フラクタル的な性質が内在していることから,歩行や走行の複雑系としての側面は,しばしばこれらの質によって捉えられてきた.また,非線形力学系の手法などに基づいてモデル化し,シミュレートすることによって,これらの性質を再現する方法も用いられる.一方,これまで歩行や走行を複雑系として理解しようと試みた研究は,全体的な挙動としての運動リズムに関するもの,このリズムに従う身体部位の動き,部位間の運動協調に関するもの,全体の運動リズム生成と個々の身体部位の動きや運動協調との関係に関するものに分類できる.以下,この分類に沿って,これまでの主な研究を概説する.
歩行や走行に代表される移動運動は,われわれにとって基本的な身体運動であると同時に,日常生活の中の重要な移動手段でもある.リハビリテーションや理学療法の分野において,これらの移動運動を解析・評価するねらいは,欠損あるいは低下した運動機能を補完・改善し,適正な自立を実現することにより,日々の生活の質を高めることにある.本稿では,この移動運動を複雑系の視点から捉えた研究を概観する.
われわれは,日頃ほとんど意識せずに歩行や走行を遂行し,様々な条件に適応しながらそれらを使い分けている.例えば,筋や関節の痛みなどによって特定の身体部位の運動状態が制約を受けると,その制約に応じて他の身体部位の動きも変化し,拙いながらも歩行や走行を継続・遂行できるように全体として動きが調整される.これとは逆に,例えば,速く歩く,悪路や坂道を歩くなどによって,歩行そのものの状態が変わると,それに応じて個々の身体部位の動きも変化し,場合によっては歩行から走行や跳躍へと運動様式を変えることもある.この変化や調整には明確なパターンや戦略があるわけではなく,身体や環境の状態にあわせて比較的適した様式が無意識的に選択される.このような現象を眺めると,多種多様な要素(例えば末梢の筋や神経)の活動状態や要素間の関係性が系全体のふるまい(歩行様態)に影響し,同時に系全体のふるまいが個々の要素の活動状態や要素間の関係性に影響しながら,全体としてそれなりの秩序が保たれていることがわかる.これは複雑系現象そのものでもある1).
1980年前後から様々な分野で自己組織化,ゆらぎ,カオス,フラクタルなどが脚光を浴び始めた.それに伴い,複雑系の特徴である自己組織化やカオス,フラクタル的な性質が生体現象においても見出されたとの報告が相次いだ2~5).これら一連の研究から,生体現象におけるカオスやフラクタル的性質は,外界への適応能力を高め,学習を強化するのに役立つのではないか,加齢によってこの性質が弱まり,結果として,適応能力や学習能力が減少するのではないか,との仮説が提唱された.このような研究に触発され,非常に高い自由度を持つ身体をどのように制御することで身体運動が成立しているのかといった疑問に答えるため,身体運動を複雑系として捉え,理解しようとする様々なアプローチが試みられ始めた6~9).しかし,科学的興味を別にすると,身体運動を複雑系の観点から捉えることが,リハビリテーションや理学療法の分野にどのように貢献するかについては,現在のところそれほど明確ではない.
本稿では,これらの点を踏まえながら,歩行や走行を複雑系として捉えたこれまでの主な研究を紹介し,このような捉え方によってリハビリテーションや理学療法の立場からどのようなことを期待できるかについて,若干の考察を加える.
複雑系領域の研究はいまだ未成熟であり,研究の方法自体も十分には整備されていない.しかし,複雑系には自己組織化やカオス,フラクタル的な性質が内在していることから,歩行や走行の複雑系としての側面は,しばしばこれらの質によって捉えられてきた.また,非線形力学系の手法などに基づいてモデル化し,シミュレートすることによって,これらの性質を再現する方法も用いられる.一方,これまで歩行や走行を複雑系として理解しようと試みた研究は,全体的な挙動としての運動リズムに関するもの,このリズムに従う身体部位の動き,部位間の運動協調に関するもの,全体の運動リズム生成と個々の身体部位の動きや運動協調との関係に関するものに分類できる.以下,この分類に沿って,これまでの主な研究を概説する.
参考文献
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11)Hausdorff JM, et al:Fractal dynamics of human gait:stability of long-range correlation in stride interval fluctuations. J Applied Physiol 80:1448-1457, 1996
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