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編集後記
著者: 吉尾雅春
所属機関:
ページ範囲:P.526 - P.526
文献購入ページに移動 最近,世の中は狭いなあ,と感じることが多い.思いがけない地で知人の知人に遭遇することが多くなった.私は12人兄弟の12番目,末っ子であるが,一番上の姉は二回り,24歳も年の差がある.大阪で大学に入学したとき,「昔,吉尾孝子さんという同級生がいたが,あなたはどこの出身か?」と高齢の紳士が声を掛けてきた.その紳士は私の同級生として大学に入学された方であるが,なんと,私の長姉と小学校時代の同級生だったのである.海外で,3組の知り合いと遭遇したこともある.交通機関の発達が世界を狭くしているわけであるが,マスメディア,インターネットの充実なども世の中を狭くしている背景にあるだろう.情報が瞬時に世界を駆けめぐる時代でもある.しかし,環境の変化だけで世の中が狭くなったわけではない.私の知人は職業を通じての縁であることが多いので,理学療法士やその他の医療従事者が必然的に多くなる.年間に1万人を養成する時代になって,理学療法士の社会浸透がこの数年でかなり進んだような印象を受けている.この数の急増は私の知人の知人が多くなることでもあり,社会に大きな影響を与えていくことにもなる.私自身と,私の知人,そしてその知人の知人たちの活動が旺盛になればなるほど,社会へのメッセージは多くなり,世の中はますます狭くなっていくことになる.社会的責任も重くなる.責任を全うすべく,足腰を強くしなければならないし,栄養もつけなければならない.足腰が弱いのに踏ん張ることはできない.栄養が不足していれば粘ることはできず,簡単に潰れてしまう.40年近くも神経生理学的アプローチに影響を受けて展開してきた日本の理学療法界は,基礎がまだ貧弱であるように思う.流行に左右されるのではなく,地に足をしっかりと着けて踏ん張るだけの力をつけないと,社会の要請にきちんと応えることはできない.狭くなった世の中故に,理学療法士の姿は社会に見えやすくなっている.栄養を十分とって,足腰を強くする努力を日々怠ってはならないと考えてはいるのだが.
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