文献詳細
文献概要
新たな50年に向けて いま伝えたいこと・第11回
橋元 隆
著者:
所属機関:
ページ範囲:P.175 - P.179
文献購入ページに移動 高校を卒業する1966年1月に,親戚が脳梗塞で九州労災病院に入院しました.母がお見舞いに行ったときに,偶然学生募集のポスターを見つけたのです.母はその足で,誰にも相談せずに開設準備室に行き,願書をもらってきました.私は志望校の入学試験に落ち,浪人するかどうか進路を迷っていた時期だったので,母に言われるがまま受験書類を書いて手続きしたのですが,締切に間に合わなかったんですよ.一か八か連絡してみたところ,「書類が多少遅れてもいいですよ」と受験を許された.本当に偶然の出会いでした.
今でもはっきり覚えていますが,九州労災病院の体育館(元運動療法室)で行われた4月15日の開校式には,私たち新入生自身が机・椅子を運んで設営しました.そんな形で迎えたのですが,Tali Conine女史をはじめWHOから派遣されてきた外国人など,今思えば著名な人たちが大勢出席していましたし,多数の新聞社やテレビ局が取材に来ていました.入学後も連日「君たちは金の卵だ」とおだてられているうちに,WHOから派遣された外国人講師による英語での講義が始まりました.
今でもはっきり覚えていますが,九州労災病院の体育館(元運動療法室)で行われた4月15日の開校式には,私たち新入生自身が机・椅子を運んで設営しました.そんな形で迎えたのですが,Tali Conine女史をはじめWHOから派遣されてきた外国人など,今思えば著名な人たちが大勢出席していましたし,多数の新聞社やテレビ局が取材に来ていました.入学後も連日「君たちは金の卵だ」とおだてられているうちに,WHOから派遣された外国人講師による英語での講義が始まりました.
掲載誌情報