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文献概要
とびら
私を育ててくれたもの
著者: 松田淳子1
所属機関: 1大阪行岡医療大学医療学部理学療法学科
ページ範囲:P.101 - P.101
文献購入ページに移動 理学療法士になって30年以上が過ぎました.長い間仕事をしてこられたのは,たくさんの人たちに支えられ,育てられ,この仕事のやりがいと面白さを感じ続けてこられたから.その原点には二人の師との出会いがあります.
「僕は患者さんのことや学術的なことを話すときには,君たちと対等でありたい.『先生』と呼ばれたら,それだけで上下関係ができてしまい,自由な議論ができなくなる.だから僕のことは『さん』づけで呼んでください」.遠い昔,上司になったその人は,若いスタッフたちにそう言いました.今では信じられないかもしれませんが,当時,目上のセラピストのことは「先生」と呼ぶことが当たり前の時代でした.ましてや大先輩のその人を「さん」づけで呼ぶことは難しく,困惑したことを今も思い出します.しかし,実践できるようになると,大げさでなく世界観が変わるのを感じました.一人前に認めてもらえている嬉しさは発言や患者さんに対する責任の自覚を生みました.組織に議論がしやすい風土が生まれました.心理的な距離が近くなりました.勉強不足がたたり,学術的な議論にはなかなか発展させてもらえませんでしたが,それでも議論の機会をもらえるなかで学術的な興味や患者さんへの理解が深まっていきました.
「僕は患者さんのことや学術的なことを話すときには,君たちと対等でありたい.『先生』と呼ばれたら,それだけで上下関係ができてしまい,自由な議論ができなくなる.だから僕のことは『さん』づけで呼んでください」.遠い昔,上司になったその人は,若いスタッフたちにそう言いました.今では信じられないかもしれませんが,当時,目上のセラピストのことは「先生」と呼ぶことが当たり前の時代でした.ましてや大先輩のその人を「さん」づけで呼ぶことは難しく,困惑したことを今も思い出します.しかし,実践できるようになると,大げさでなく世界観が変わるのを感じました.一人前に認めてもらえている嬉しさは発言や患者さんに対する責任の自覚を生みました.組織に議論がしやすい風土が生まれました.心理的な距離が近くなりました.勉強不足がたたり,学術的な議論にはなかなか発展させてもらえませんでしたが,それでも議論の機会をもらえるなかで学術的な興味や患者さんへの理解が深まっていきました.
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