文献詳細
連載 神経学を作った100冊(2)
文献概要
はじめに
ヨハネス・ペトリュス・ミュラー(1801~1858年4月)は1801年に,ライン川のほとり,コブレンツに靴匠の子として生まれた。学校に進むと数学と美術を得意とし,特にラテン語は母国語であるドイツ語よりも堪能であったという。18歳でボン大学に入学した。そして21歳でドクターになり,2年間をベルリンで過ごした後,26歳でボン大学の人体および比較解剖学の助手に任ぜられた。1833年にルドルフィ教授の後任としてベルリンに戻ったが,生理学と解剖学を同時に教える最後の教授となった。32歳のこの年に,彼のハンドブックの最初の部分が世に出ることになる。彼は実験生理学,海洋生物学をはじめ実に多種の偉大な業績を残したが,神経内科領域ではその主著「Handbuch der Physiologie des Menschen(人体生理学ハンドブック)」に記載した反射運動の理論と,感覚神経の特殊性能理論が有名である。感覚神経の特殊性能理論というのは,ある感覚神経を刺激すると,その刺激の強さのいかんにかかわらず,その神経に一定の感覚が生じる。例えば,眼球を強く押すと,圧覚でなく,色を感じるというものである。
彼はまたMueller's Archivとして知られる雑誌を創刊した。多くの優れた学者を育てあげ,1858年4月26日に亡くなった。
ヨハネス・ペトリュス・ミュラー(1801~1858年4月)は1801年に,ライン川のほとり,コブレンツに靴匠の子として生まれた。学校に進むと数学と美術を得意とし,特にラテン語は母国語であるドイツ語よりも堪能であったという。18歳でボン大学に入学した。そして21歳でドクターになり,2年間をベルリンで過ごした後,26歳でボン大学の人体および比較解剖学の助手に任ぜられた。1833年にルドルフィ教授の後任としてベルリンに戻ったが,生理学と解剖学を同時に教える最後の教授となった。32歳のこの年に,彼のハンドブックの最初の部分が世に出ることになる。彼は実験生理学,海洋生物学をはじめ実に多種の偉大な業績を残したが,神経内科領域ではその主著「Handbuch der Physiologie des Menschen(人体生理学ハンドブック)」に記載した反射運動の理論と,感覚神経の特殊性能理論が有名である。感覚神経の特殊性能理論というのは,ある感覚神経を刺激すると,その刺激の強さのいかんにかかわらず,その神経に一定の感覚が生じる。例えば,眼球を強く押すと,圧覚でなく,色を感じるというものである。
彼はまたMueller's Archivとして知られる雑誌を創刊した。多くの優れた学者を育てあげ,1858年4月26日に亡くなった。
参考文献
1) Hall M: On the reflex function of the medulla oblongata and medulla spinalis. Phylosophical Transactions 123: 635-665, 1833
2) Hall M: These motions independent of sensation and volition. Proc Zool Soc London 27, 1832
3) 作田 学: ヨハネス・ミュラーの「人体生理学ハンドブーフ」とマーシャル・ホール. 科学医学資料研究 148: 1-4, 1986
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