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雑誌目次

雑誌文献

BRAIN and NERVE-神経研究の進歩60巻7号

2008年07月発行

雑誌目次

増大特集 学習と記憶――基礎と臨床

記憶の分子メカニズム

著者: 真鍋俊也

ページ範囲:P.707 - P.715

はじめに

 海馬は出来事や事実などに関する記憶の中枢だと考えられており,ここでの興奮性シナプス伝達はシナプスの活性化頻度により,その伝達効率が長期的に変化することが知られている。また,扁桃体は恐怖などの情動の記憶の中枢であると考えられており,ここでもシナプス伝達が長期的に変化することが見出されている。このようなシナプスの可塑性は,その特性が個体レベルでの記憶の特性と類似する点が多いことから,記憶形成の細胞レベルでの基礎過程であると考えられている。本稿では,このような種々の記憶形成のもととなっていると考えられているシナプス可塑性の分子機構を概説し,それが個体レベルでの記憶にどのように関わるかについて,例を挙げながら述べたい。

加齢性記憶障害の分子メカニズムへのアプローチ

著者: 山崎大介 ,   齊藤実

ページ範囲:P.717 - P.724

はじめに

 アルツハイマー病(Alzheimer disease:AD),パーキンソン病(Parkinson disease:PD)や脳血管障害に代表されるような老年性神経疾患の病態を伴わない,生理的な脳の老化による記憶力の低下であるAMI(age-related memory impairment)は,脳の老化の重要な表現型であり,およそすべてのヒトが程度の差こそあれ経験するものである。AMIはADなどの老年性神経疾患でみられる認知症とは異なる,ゆるやかな脳機能の低下である。しかし,高齢となるにつれ重篤性は上昇することから,少子高齢化社会では無視できない社会保障問題となるであろう。また,明確な病理所見を持つAD,PD,脳血管障害と異なり,AMIがどのようにして起こるのか,AMIの予防・改善には何をターゲットにすればよいのか,といった疑問に関する知見が極めて乏しく,AMI発生の分子メカニズムの解析・解明は著しく遅れた研究領域となっている。

 一方,寿命を指標とした,個体老化の分子メカニズムの解析・解明は近年大きな進歩を遂げ,そこからの知見をもとにした抗老化薬の開発も進んでいる。個体老化の分子メカニズムの解明が,Kenyonらによる長命変異体の単離を大きなブレークスルーとした遺伝学的解析により大きく進展したことを考えると1),脳老化の研究もAMI変異体の単離と遺伝学的解析がブレークスルーとなる可能性が高い。しかし,従来の哺乳類モデルでは数年にわたる寿命のため,AMIの遺伝学的解析に多くの時間を要することが,研究進展の妨げとなっていた。

 ショウジョウバエは平均寿命が約30日と短く,個体老化や学習記憶の分子遺伝学的解析に大きく寄与してきたモデル動物である。こうした背景から筆者らは,まずショウジョウバエでAMIの遺伝学的解析を進め,その結果を哺乳類モデルで検証することでAMIの分子メカニズムが理解できると考えている。この戦略にしたがって筆者らは,ショウジョウバエでAMIの分子遺伝学的解析を進め,ショウジョウバエの変異体群から,初めてとなるAMIの抑制変異体DC0を単離した。本稿ではこれまでの脳老化研究から得られた解剖学的・生理学的所見を概説するとともに,脳老化が広く考えられていたような脳神経系の非特異的な崩壊過程ではなく,特異的なメカニズムによるものであること,こうした脳老化のメカニズムは,必ずしも個体老化のメカニズムと一致するものではない(脳老化は個体老化の単なる一表現型ではない)ことなど,DC0を介して明らかになってきたことや,今後の課題などを紹介したい。

学習・記憶のシナプス前性メカニズム

著者: 八尾寛 ,   石塚徹

ページ範囲:P.725 - P.736

はじめに

 ニューロン同士がネットワークを形成し,情報をやり取りすることにより,脳の働きが生み出されている。ニューロンが他のニューロン,筋肉あるいは分泌細胞に情報を伝達する場は,シナプスと呼ばれる装置を形成している。ニューロンの細胞体や樹状突起にさまざまなシナプスが形成されている。平均して1個のニューロン当たり102オーダーのシナプスが形成されている。ヒトの脳には1010~1012個のニューロンがあるので,1012~1014オーダーのシナプスが存在している。1個の標的に数多くのシナプスが形成されている(収束)だけでなく,1個のニューロンは数多くの標的にシナプスを形成している(発散)。シナプスを介して神経のネットワークが形成されるとともに,多数のシナプスの情報が統合されて次の標的に送られる。このようにシナプスは脳の高次機能の単位になる構造である。また,シナプスは形態的,機能的に可塑性に富んでいる。すなわち,情報の伝達効率は日々刻々変化する。この意味で,シナプスは学習や記憶の場でもある。

 脳において海馬はエピソード記憶の形成および想起にあたり,中心的な役割を担っている。エピソード記憶は,自己を他者“who”,事物“what”,場所“where”および時間“when”と関連付け,自己の物語をつづるものと定義されている。このときニューロンのネットワークでは,シナプスの強さが変化したり,新しいシナプスが作られたりすることにより,新しい情報の流れが作り出される。Fig.1Aは,海馬における主要なニューロンの作るネットワークの模式図である。ニューロンはいくつかのグループに分けることができるが,それぞれのグループを構成しているニューロン数は,105~107のオーダーであるといわれている。実際のネットワークは三次元的に構成されているが,この模式図では,海馬長軸方向のネットワーク形成に重要な役割を果たしている海馬門苔状細胞(hilar mossy cell:HM)の軸索を省略している。また,抑制性ニューロンの作るネットワークも省略している。海馬への主要な入力は,隣接する大脳皮質側頭葉の嗅内皮質に由来する貫通線維(perforant path:PP)である。貫通線維は,海馬の歯状回の分子層に形成される顆粒細胞(granule cell:GC)の樹状突起やCA1~CA3領域の錐体細胞(pyramidal cell,それぞれ,CA1,CA3と記す),樹状突起の遠位部(網状分子層)にシナプスを形成している。歯状回の顆粒細胞の軸索は,その形態から苔状線維(mossy fiber:MF)と名付けられている。苔状線維は,CA3樹状突起近位部に大型の興奮性シナプスを形成する以外に,苔状細胞や抑制性ニューロンに小型のシナプスを形成している。CA3錐体細胞は,海馬の広範な領域に興奮性の投射をしている。CA3錐体細胞から他のCA3錐体細胞に形成するシナプス(反回性シナプス),CA1錐体細胞に形成するシナプス(シャファー側枝シナプス),左右反対側の海馬に形成するシナプス(交連性シナプス),歯状回内分子層に形成するシナプスなどが主要な回路を形成する。最終的に,CA1錐体細胞の軸索が海馬から大脳皮質への出力になっている。これらの主要なニューロンとそのシナプスからなる層構造が海馬の構造を特徴付けている(Fig.1B,C)。

海馬領域における縦走性線維投射

著者: 石塚典生

ページ範囲:P.737 - P.745

はじめに

 海馬が記憶形成に関与することが知られてから1),海馬体内の神経回路の構造と働きを探る試みが精力的に進められている。Andersenら2)は,生理学的実験により,貫通線維-歯状回顆粒細胞-CA3錐体細胞-CA1錐体細胞と続くtri-neuron回路が,海馬長軸を横断する厚さ数百ミクロンの領域内で働いているであろうことを示し,lamella(ラメラ)説を提唱した3)(Fig.1)。このラメラ説は,スライス標本による生理学的実験に大きな影響を与え,1970~1980年代にかけて海馬のスライス実験が盛んに行われた。筆者もこの海馬スライス標本内で連続すると考えられていたtri-neuron回路の全貌を解剖学的に見たいと考え,歯状回顆粒細胞,CA3・CA1錐体細胞,海馬台錐体細胞をHRP(horseradish peroxidase)細胞内染色法により染色し,その軸索投射の形態解析を始めた。しかしながら,CA3錐体細胞から出るSchaffer側枝はCA1領域へ達することはほとんどなく,大多数の細胞の軸索側枝はスライス標本の上面あるいは下面で切断されていた。このことは,CA3錐体細胞の軸索はスライス切片内ではCA1に達しないことを強く示唆した。その後PHA-L(pheseolus vulgaris-leucoagglutinin)順行性標識法をin vivoで用いることで,CA3錐体細胞の軸索が実際には海馬長軸方向にかなりな距離走っていることを明らかにした4)。同時に,歯状回内にも縦走性線維投射があることを報告した。一方,CA1錐体細胞の白板線維5)および歯状回顆粒細胞の苔状線維6)は海馬長軸にほぼ直交するように走っていること,CA1錐体細胞には連合性線維がほとんどみられないこと1,5,7),海馬台錐体細胞は領域内を縦走する線維群が少ないこと8)が知られている。本稿では,海馬体内の各種細胞の軸索投射を解剖学的に再考し,海馬体の形態学的構造9,10)と縦走性線維の意味を考えたい。

多ニューロン活動の可視化

著者: 木村梨絵 ,   池谷裕二

ページ範囲:P.747 - P.754

はじめに

 脳は,入力された情報を処理して出力する,いわば情報処理演算システムである。一千億以上もの多数の神経細胞が協調的にシステムとして作動することで,幾多の特徴ある演算を実現している。こうした高次な演算は,興奮性および抑制性の多彩な微小回路が複雑に絡み合った多シナプス回路によって実現される。しかしながら,これまでの多くの研究は,個性ある要素から成る回路システムを,要素を無視して一様化して扱ったり,逆に,要素をシステムから切り離して単独に扱ったりしていた。このような研究は多くの知見を与えてきたものの,現実にはシステムの要素は一様でなく,その機能も要素の単純な線形和とはなっていない。

 この意味において,複雑な脳の情報処理システムの解明に迫るために機能的多ニューロンカルシウム画像法(functional multineuron calcium imaging:fMCI)が有用である。fMCIは多様な個性を保った状態で,大多数の神経細胞集団全体から出力の発火活動を捉えることができる。本稿では,まずfMCIについて概説する。次に,fMCIを用いた研究例として,筆者らが進めている海馬多シナプス回路における情報演算様式の研究について簡単に説明する。

海馬神経回路における同期的リズム活動の発生メカニズム

著者: 塚元葉子 ,   礒村宜和

ページ範囲:P.755 - P.762

はじめに

 海馬では,動物の行動状況に応じてさまざまな周波数帯域の脳波が観察される。探索行動時やレム睡眠中にはシータ活動(4~12Hz)やガンマ活動(30~80Hz)1-3),摂じ行動時やノンレム(徐波)睡眠中には鋭波関連リップル活動(80~250Hz)が観察される4)。また神経細胞が病的な過興奮状態に陥ると,てんかん発作(3~5Hz)が誘発される。このような脳波は,ニューロン群が同じタイミングで発火する「同期」と,ニューロン群が形成する律動性すなわち「リズム」による「同期的リズム活動」の反映と考えられる。この同期的リズム活動が動物の行動や脳の状態と密接に連関するという事実は,多数の神経細胞が一斉に律動的に活動することが脳神経回路の基本的な性質であり,これが脳機能の円滑な遂行に重要な役割を果たすことを示唆している。例えば,記憶のシナプスメカニズムのin vitroモデルである海馬LTP(長期増強)がシータ帯域の周波数を利用した刺激により効率的に惹起される5)ことなどからも,記憶・学習のメカニズムにおける同期的リズム活動の生理学的意義が推測できる。また,in vivo自由行動動物において,海馬のリズム活動が空間認知や記憶に本質的に関与していることも,最近明らかにされてきている2,6)

 この「同期」と「リズム」の生成機構を細胞レベルまたは神経回路レベルで解明する試みとして,海馬スライス標本において同様の現象を再現するin vitro実験モデルがいくつか開発されてきた。まず,細胞外イオン環境の操作や薬理学的な処理によって同期的リズム活動を誘発するモデルとして,スライスの長時間低Ca処理7,8),長時間低Mg処理9,10),高K処理11),Kチャネル阻害12),GABAA受容体遮断13),ムスカリン受容体刺激14)などが挙げられる。いずれのモデルでも同期的で律動的な発火活動を出現させることができるが,スライス標本内の各種神経細胞がどのように同期し,リズム自体がどのように生成されるのか,というメカニズム全容の解明には至っていない。もう1つの実験モデルは,強い電気刺激(テタヌス刺激)によって誘発される発作様後発射(afterdischarge)である15,16)。このモデルは,極端に細胞内外の環境を変えることなく同期的リズム活動を誘発できることから,「てんかん」のin vitroモデルとしても有用であり,実験者の任意のタイミングで再現性高く誘発できる利点を持っている。そのため,ニューロンネットワークが作り出す律動的な活動パターンの細胞レベルでの解析には理想的なモデルといえる。

 筆者らは,成熟ラットの海馬CA1単離スライス標本におけるテタヌス誘発性の発作様後発射に注目し,主に錐体細胞と介在細胞の相互作用に焦点を当てて,ニューロンネットワークにおける同期的リズム活動の生成機構を細胞レベルで解析してきた。本稿では,現在までに筆者らが明らかにしてきた研究結果について概説したい。

大脳皮質神経細胞集団の形成―シナプス可塑性とその先

著者: 深井朋樹 ,   姜時友 ,   北野勝則 ,   寺前順之介

ページ範囲:P.763 - P.770

はじめに

 脳の情報処理は神経回路の働きによって生じている。したがって神経回路がどのように設計され,計算しているのかを知ることは,脳の高次機能が生じるメカニズムを解明し,工学的に応用するために,非常に重要である。大脳皮質や海馬の神経細胞がどのように情報を表現し,処理しているのかはまだ完全に理解されていないが,ニューロンのような“遅い”素子が膨大な情報を処理するためには,細胞集団が同時並列的に働くことが必要である。

 このことはシナプス後ニューロンを発火させるためには複数のシナプス前ニューロンからの入力が必要なことからも推測される。本稿では,近年明らかになってきたスパイク依存のシナプス可塑性による大脳皮質神経回路のUP-DOWN状態遷移の自己組織化と,可塑性の枠を超えたシナプス生成による神経回路構造の発達過程のモデルについて紹介する。

エピソード記憶の数学的構造

著者: 津田一郎

ページ範囲:P.771 - P.782

はじめに

 数々の臨床実験,生理実験から得られた知見に基づいて,海馬はエピソード記憶の形成に必須の器官であると考えられてきた。また近年,海馬の萎縮がアルツハイマー型認知症を引き起こすという報告もなされた。アルツハイマー型認知症は,現在はもとより高齢化社会が確実に訪れる近未来において深刻な問題であり,それだけに研究の視点から生活レベルに至るまで,実にさまざまな分野で,多くの人の関心を集めている。一理論研究者が,このように医学上重大でかつ社会的に大きな問題に挑戦することは無謀であるかもしれないが,筆者らは数学モデルから得られる知見が専門家の方々の研究や思索あるいは療法に役立つ可能性を信じて,海馬における情報表現の数学モデルを研究してきた。本稿では,海馬の数学モデルとその結果の概観,さらに,そこから導かれる海馬の障害と認知の関係に関する予測について述べる。数学モデルの結果の一部は,最近ラット海馬のスライス実験で部分的に確認されたことにも触れる。I章において,海馬がエピソード記憶の形成に必須の器官であることが解明された歴史的経緯を,最近の臨床例報告と合わせて簡単に振り返る。また最近,海馬の場所ニューロンのダイナミクスに関して興味深い報告がなされた。これは脳科学のホットな話題の1つであるアトラクターダイナミクスと遷移ダイナミクスの関係と深く関係しているので,II章でこの話題を取り上げる。III章においては筆者らの考えた海馬の数学モデルとそのダイナミクスについて紹介し,モデルが示す動的な挙動からいくつかの仮説を提案する。この研究の一部は,玉川大学塚田稔研究室との共同実験において実証されており,その結果も併せて紹介する。Ⅳ章はまとめと将来展望にあてる。そこでは,モデル海馬の神経回路が部分的に破壊されたときのネットワークの挙動から推定される記憶障害について議論する。

小脳による運動記憶の形成機構

著者: 永雄総一 ,   北澤宏理

ページ範囲:P.783 - P.790

はじめに

 われわれが日常用いる運動の技の大部分は,練習を積み重ねることによって,脳が学習し記憶したものに由来する。子供のときに何日もかけて練習し自転車に乗れるようになると,生涯にわたって乗ることができるのがその典型例である。練習を繰り返すことによって脳に学習が起こり,非陳述記憶である運動記憶が脳の中に形成され,それがさらに長期記憶に固定され運動時に使われる。運動記憶の基になる運動学習の原因が小脳皮質の神経回路のシナプス伝達可塑性(長期抑圧)であるというMarr-Ito-Albus理論1-3)が提案され,40年近くにわたって実験的に検討されてきた。本稿では,この理論の実験モデルである眼球反射の適応についての「片葉仮説」と,運動記憶の形成と維持に関連したこの理論の拡張性について解説する。

意思決定と行動学習の数理モデル

著者: 伊藤真 ,   銅谷賢治

ページ範囲:P.791 - P.798

はじめに

 意思決定とは複数の選択肢の中から1つを選ぶ行為である。選択試行を何度も繰り返す場合において,各選択肢を選んだ割合はそれらの選択肢から得た報酬の割合に等しくなるというマッチングの法則1)は,意思決定の特性を説明する法則として広く受け入れられている。しかしながら,マッチングの法則は学習が収束した定常状態における平均的傾向について述べるものであり,トライアルごとの選択行動について述べるものではない。その一方で,機械学習の分野の1つである強化学習2)は,受け取る報酬が最大になるように行動選択を学習させるための理論であるが,これを応用することで,被験者や動物が行動選択の際に行っているであろう報酬量の予測(行動価値)や報酬予測誤差をトライアルごとに推定することができ,さらに,この推定は学習過程においても可能であることから,近年では強化学習が意思決定の脳内メカニズムを探るために利用されてきている3-5)

 強化学習が神経科学に応用されはじめた発端は,古典的条件付けにおける中脳ドーパミンニューロンの発火パターンが,強化学習アルゴリズムの最も重要な学習信号として用いられる報酬予測誤差の振る舞いと,極めてよく一致するという発見にある6)。その後,ドーパミンニューロンの投射先である線条体とそれを含む皮質-大脳基底核ネットワークで,強化学習に類似したアルゴリズムが実装されているという仮説が提案されてきた7-10)。人間や動物の選択行動が強化学習の数理モデルで計算されていると仮定することで,タスク中に選択した行動とそれによって得られた報酬から,直接は観測することのできない行動価値や報酬予測誤差をトライアルごとに推定することが可能となる。この推定した行動価値や報酬予測誤差が,fMRIや神経活動記録で得られる脳活動と相関していれば,強化学習アルゴリズムが脳内で行われているか否か,どの脳部位がアルゴリズムのどの部分に関わっているかなどを示唆することができる。こうした解析方法によって,線条体でのfMRI BOLD信号が報酬予測誤差に相関があり11-14),背側線条体には行動価値に相関のある活動を示す神経細胞があること15)などが明らかにされてきた。これらの発見は,強化学習アルゴリズムが大脳基底核に実装されているという仮説7-10)を支持するものである。

 一方,このような強化学習モデルを用いた意思決定の研究には,モデル選択の問題がある。選択行動を記述できる強化学習モデルは複数あり,さまざまなバリエーションも考えられるが,行動価値や報酬予測誤差などの推定値はどのモデルを用いるかに依存する。できるだけ人間や動物の行動選択と学習過程によく近似するモデルを用いることが望ましく,候補として選んだモデルの中で最も一致するものを選ぶ試みは行われ始めているが13,14),選ばれたモデルがどれだけ実際の行動学習の過程をよく捉えているかの議論はあまりされていない。

 以下本稿では,報酬が確率的に出る二者択一課題において,ラットがどのような行動選択の学習パターンを示すかを解析し,そのパターンをよく近似できる強化学習モデルを提案する。そして提案モデルにより,トライアルごとの行動選択を確率的に予測できることを示す。このようにして選択されたモデルは,行動選択と学習に関わる脳部位や神経細胞の解明への応用が期待される。

大脳皮質-基底核系による行動選択と学習機能

著者: 彦坂興秀

ページ範囲:P.799 - P.813

Ⅰ.行動選択はなぜ必要か?

 行動の選択は行動の自由と裏腹である。機械と違って動物の行動は予測しがたい。同じ状況に出会っても,同じ動物はさっきとは違う行動をするかもしれない。動物は複数の行動のレパートリー(つまり自由)を持っている。AとBというレパートリーを持っていてAを選択するということは,Bを除外しAを指定することである。Bを選択するということは,Aを除外しBを指定することである。手続きの数が多い。自由にはコストが伴うというのは,このことである。

 この選択がいわゆる自由意志に基づいているかどうかは問題ではない。動物は,極めて単純な線虫,あるいは単細胞動物に至るまで,多くの行動のレパートリーを持っている。われわれヒトでも,無意識的に,自動的に日常の行動を選択することが多い。筆者がここで問題にしたいのは,行動の選択がどのように起こるか,そのメカニズムは何かということである。

学習意欲と前頭連合野

著者: 渡邊正孝

ページ範囲:P.815 - P.824

Ⅰ.意欲と前頭連合野

 前頭連合野は知的機能においても情動・動機付け機能に関しても,高次な精神活動の中枢として重要な役割を果たしている1)。情動・動機付け機能の中でも「意欲」は前頭連合野の最も重要な働きの1つである。前頭連合野に損傷を受けた患者,特に20世紀の半ばに世界中で行われた「前頭葉ロボトミー手術」を受けた患者には,この「意欲の減退」がみられることが多い1)。GreenblattとSolomon2)は,「両側性前頭葉ロボトミー」患者によくみられる4つの症状のうちで,「欲動の減弱」を第1に挙げている(他の3つは,自己への関心の減弱,外部へ向けられた行動や社会的感覚の低下,浅い感情生活)。

 前頭連合野はFig.1に示すように外側部,内側部,眼窩部の3つに大別されるが,この中のどの部位がこうした意欲の減退をもたらすのかについては,さまざまな分野で研究が行われているが,明言できる段階にはまだない。Duffyら3)は,主に前頭連合野内側部の左右両側への銃弾を受けた1人の患者の例を紹介している。その患者は,1人でいるときは不活発で,自分の性格が変化したという自覚もあり,「昔はいろいろなことに楽しみを覚えたが,今はそうしたいという気持ちが起きない。ただ,自分が退屈だとは思わない」というように述べている。また,前部帯状皮質(Fig.1)を左右,両側性に切除手術を受けた患者は,苦痛や飢え・渇きに無関心で,自発的な動きや発話に乏しく,質問にも最小限の応答しかしない傾向がみられたとも報告される4)

手続き記憶の神経基盤

著者: 望月寛子

ページ範囲:P.825 - P.832

はじめに

 手続き記憶(procedural memory)は,頭というよりは身体で覚える記憶とイメージしたほうが理解しやすい。自転車に乗る,キーボードを打つ,字を読むなど,日常的に行っているさまざまな行為は手続き記憶である。自転車の運転もパソコンのブラインドタッチも,最初は上手くいかない。どうすればよいか頭ではわかっていても,手や足が思うように動かない。しかし,試行錯誤を重ねながら何度も繰り返すことによって徐々に上達する。上達は手続き記憶が形成された結果である。

 手続き記憶の神経基盤は脳の単一領域に局在しているのではなく,複数領域の協調によって支えられている。先行研究を概観すると,手続き記憶の形成には大脳基底核と小脳が中心的な役割を果たしながらも,前頭前野・補足運動野・補足感覚野・頭頂連合野・視覚前野などの複数の皮質領域が関わっている1-4)。どの皮質領域が関わるかは,どのような手続き記憶を対象とするかによって異なる。手続き記憶はその内容によって運動・知覚・技能の3タイプに分けることができる。この分類はSquire5)が手続き記憶を技能(skill)と置き換え,その内容によって運動技能(motor skill),知覚技能(perceptual skill),認知技能(cognitive skill)の3種類に大別したことに基づいている。自転車を運転するのは運動技能,読字は知覚技能にあてはまる。本稿ではSquireの分類に沿って,手続き記憶の障害と神経基盤について述べる。

 Table1に代表的な手続き記憶の検査課題を,運動・知覚・認知に分けて示した。手続き記憶の障害は日常生活ではなく,神経心理学的な検査を用いて明らかにされることが多い。被験者は,それまで体験したことのない新しい手続き記憶を獲得することが要求される。

脳機能画像研究からみたエピソード記憶の神経基盤―側頭葉内側面における機能解離

著者: 月浦崇

ページ範囲:P.833 - P.844

はじめに

 私たちは毎日の生活の中で多くの情報を覚え,またそれを適切に思い出しながら日々の生活を送っている。この一連の心理過程は「記憶」と呼ばれ,私たちが生活するうえで欠くことのできない重要な脳機能の1つである。一口に記憶といってもさまざまなタイプの記憶があり,その内容は単一ではないが,私たちにとって日常的に最も一般的な記憶は「エピソード記憶(episodic memory)」と呼ばれるタイプの記憶である。「エピソード記憶」とは,具体的な出来事の経験に関する記憶であり,通常その出来事の内容(「何の」経験だったか)に加えて,出来事を経験したときの付随情報である時間(「いつ」経験したことか)や場所(「どこで」経験したことか)などの文脈(context)に関する情報が含まれている記憶のことを指す1)。本稿では,この「エピソード記憶」の心理過程の基盤となる神経機構について,脳機能画像(functional neuroimaging)法を用いた最近の研究を概観する。

 エピソード記憶の神経基盤に関する研究は,症例H. M.に関する報告以来2),伝統的に側頭葉内側面(Fig.1:海馬および海馬傍回。海馬傍回はさらに内嗅皮質・周嗅皮質・海馬傍皮質に分けられる)に損傷を持った患者を対象として行われてきた3)。しかし,近年になって機能的磁気共鳴画像法(functional magnetic resonance imaging:fMRI)などの脳機能画像法が開発されると,脳に損傷を持たない健康なヒトを被験対象として,ほぼ非侵襲的にエピソード記憶課題遂行中の神経活動のパターンを,脳血流量の増減を媒体として可視化できるようになり,世界中の多くの研究施設でヒトの記憶機能の神経基盤解明のツールとして利用されるようになってきた。

 記憶の心理過程は主に「記銘(encoding)」「保持(retention)」と「想起(retrieval)」の3つの過程から構成されており,特にエピソード記憶の研究では記銘と想起に関する研究が多く行われている。従来の脳損傷患者を対象とした研究では,記憶の障害と損傷部位の関係を評価することで特定の脳の領域と記憶の心理過程の関連を検証するが,記憶の障害は想起させることによって初めて観察可能なものであるため,その障害が記憶の「記銘」における問題か,「想起」における問題かを分離することは,孤立性逆向性健忘(focal retrograde amnesia)4)などの特殊な症状を持つ症例を除いて方法論上困難であった。また,通常損傷部位はある程度の広がりを持つことが多く,詳細な脳の解剖学的部位と記憶情報処理に含まれる個別の心理過程との対応関係を検証することも困難であることが多かった。しかし脳機能画像法を用いた研究の場合,「記銘」の過程と「想起」の過程を分離して検証することが比較的容易であり,かつ実験パラダイムを工夫することによって,ある程度限局して解剖学的部位と心理過程との関係を言及することが可能であるため,従来の脳損傷患者を対象とした研究方法では難しかった記憶の特定の心理過程に関与する神経基盤の検証が,詳細に進められてきている。

 本稿では,エピソード記憶の「記銘」と「想起」のそれぞれの心理過程に関連する脳機能画像研究の中から,特に側頭葉内側面の神経活動が報告されている2001年以降に出版された比較的最近の報告をレビューし,エピソード記憶に関連する側頭葉内側面の神経活動のパターンについて,①複数の記憶項目(item)間の連合,②単一の記憶項目と文脈(本稿では「文脈」を時間や場所の情報に限定せずに,記憶内容に付随する情報全般について使用する)との連合,③単一記憶項目,の3種類の処理の違いによって分類し,それぞれにおける活動パターンの特徴を示したい。さらに,近年のエピソード記憶に関連する脳機能画像研究では,「情動」情報の処理とエピソード記憶の処理に関連する,興味深い研究結果が報告されてきている。そこで,この「情動」と「エピソード記憶」の関連についても最新の知見を紹介していく。

記憶障害と作話

著者: 船山道隆 ,   三村將

ページ範囲:P.845 - P.853

はじめに

 作話(confabulation)とは,記憶障害を背景に,だまそうとする意図はないが,自己や世界に関する記憶や出来事を作り上げたり,ゆがめたり,誤って解釈して,外界に向けて話をすることである。作話の概念は,Kahlbaum1)が1874年の緊張病論のなかで,意味も脈略もない会話である語唱(Verbigeration)と対比して,空想的かつ生産的な内容である作話(Konfabulation)という語を用いたのに端を発し,Korsakoff2,3)によるコルサコフ症候群の確立によって大きな発展を遂げた。作話にはさまざまな分類があるが,最もよく用いられる作話の生成機転による区分として,促さなくても現れる自発作話(spontaneous confabulation)と,質問に対してのみ受動的に誘発される誘発作話(provoked confabulation)とに大別される。作話は意味記憶領域のもの(例えば「キリンとは何か」に関する作話)もあるが,そのほとんどは自己の生活史と関連した自伝的記憶ないしエピソード記憶領域のものである。

 作話の原因疾患は,アルコール性コルサコフ症候群などの中毒性・代謝性疾患,前交通動脈瘤破裂に代表されるくも膜下出血,脳出血,硬膜下血腫,脳腫瘍,脳炎などの感染症,頭部外傷,アルツハイマー病や血管性認知症などの認知症性疾患,低酸素脳症など多岐にわたる。

 作話は,妄想や記憶錯誤と類似点があるが,これらとは区別することができる。記憶錯誤は,過去に体験していないのに実際にあったかのように追想することであり,一部の作話は記憶錯誤といえる。妄想は,「主に自己に関する病的な誤った確信であり,訂正不能」であると定義され,基本的には記憶障害に基づくものではない。一方で,作話は背景に記憶障害があり,その確信の程度は低い。作話に基づいて実際に行動してしまう場合も少なくない4,5)が,一般的には妄想に基づく犯罪のような重大な事件に至ることはない。

 統合失調症の妄想においては,その形成以前にしばしば離人症が出現し,世界全体の知覚自体にも変化が生じているという考え方6)がある。一方で,作話の場合は,妄想のような世界全体の変容ではなく,記憶障害や現実監視能力の低下といった部分的な欠損から生じているといえる7)。また,嫉妬妄想に代表されるように,妄想性障害は性格や感情の影響が大きいことが知られている。フランスでは恋愛妄想,嫉妬妄想,復権妄想をまとめて熱情精神病と呼んでいる。病的な熱情の上に,強固な信念に支えられ妄想が構築されていき,闘争的で興奮しやすいといわれる。嫉妬妄想の背景には,器質疾患に伴う嫉妬妄想も含めて8),プライドが高い性格や失われたものを取り戻そうとする機制が強く働いている。一方で,作話には性格による影響は少なく,情動的色彩も乏しいと考えられる9)

記憶保持のメカニズム―てんかん性健忘の検討から

著者: 緑川晶 ,   河村満

ページ範囲:P.855 - P.860

はじめに

 心理学の教科書には,「記憶には記銘・保持・再生という3つの過程が存在する」と記されている。記銘は新しい事柄を覚える過程で,保持はそれを思い出すまで保っている過程,再生は覚えている事柄を思い出す過程である。しかし,これは記憶過程の単純な図式であり,実際はもっと複雑である。例えば,記銘された内容は再生まで安定して保持されるのではなく,多くは忘却され,数十年にわたって覚えている内容はごく一部にすぎず,保持されている内容は常に変化し続けている。このように,覚えたことがより安定した記憶になるまでの過程を「記憶の固定化(consolidation)」という。ヒトを対象とした固定化の研究には2つの方向があった。1つは健忘症における逆向性健忘に関する研究である。健忘症が生じる以前に記憶された事柄がなぜ発症後に失われるのかを説明するために固定化の概念が用いられ,これに関しては多くの総説も出されている1-4)。もう1つは,Kapurらが提唱した超長期的な健忘症(very long-term amnesia)5)に関する研究である。この症候の特徴は,一般的な健忘症と異なり情報を数時間から数日は保持することができるが,数週間経つと忘れてしまうというものである。長期的な健忘症(long-term amnesia)6),異常な忘却速度(abnormal forgetting rate)7),側頭葉新皮質性健忘(neocortical temporal lobe amnesia)8),加速された忘却(accelerated forgetting)9,10)など,さまざまな呼び方がなされているが,ほぼ同様の症候を指す用語である。多くの症例では前向性だけではなく,数十年単位の長期にわたる逆向性健忘を伴い,共に一過性てんかん性健忘(transient epileptic amnesia:TEA)の特徴的な症候としても知られている11)。用語としては長期的な健忘が比較的多用され,本稿でもこれに準拠するが,数週間にわたって生じる前向性健忘と数十年に及ぶ逆向性健忘を分けて論議する必要があるため,ここでは前者を長期的な前向性健忘(long-term anterograde amnesia),後者を長期的な逆向性健忘(long-term retrograde amnesia)と分けることにする。

 長期的な健忘はこれまでに多くの症例報告6-9,12)や,多数例の検討10,13-15)を通して確認されてきた症候であるが,多くの症例がてんかん発作を伴っていた5,6,8-10)。そのため,症候を説明する機序として,てんかん発作が長期的な前向性健忘10)や長期的な逆向性健忘16)に関与していると考えられている。しかし,てんかん発作が確認されていない症例が存在するうえに7),報告された多くの症例が皮質病変を伴い5-7,9),さらに抗てんかん薬そのものが長期的な前向性健忘に関与するという報告もあることから17),長期的な前向性健忘や逆向性健忘がてんかん発作によるか否かは明らかではない。少なくとも,てんかん発作が長期的な前向性健忘や逆向性健忘に関与するか否かを検証するためには,抗てんかん薬の投与前後での記憶機能の比較が必要である。

 Corridanら18)は,抗てんかん薬の投与後に長期的な前向性健忘が消失し,投与中止後に再び健忘が出現する症例を報告しているが,逆向性健忘に関しては明らかではない。そこで本稿では,投薬前後での症状が確認できた症例を呈示するとともに,てんかん発作と長期的な前向性健忘と逆向性健忘との関連を示し,記憶がどのように保持されているのかを述べることにする。

総説

自閉症サヴァンと獲得性サヴァンの神経基盤

著者: 高畑圭輔 ,   加藤元一郎

ページ範囲:P.861 - P.869

はじめに

 深刻な精神神経障害によるハンディキャップを持ちながらも,一方で突出した「才能の小島(island of talent)」を持つ患者を,「サヴァン症候群(savant syndrome)」1,2)と呼ぶ。サヴァン症候群はごく稀にしかみられないものの,その存在は古くから知られていた。1887年にDownが記述した,先天的な知能低下にもかかわらず類い稀な才能を併せ持った複数の症例は,サヴァン症候群に関する最初期の報告である。その際Downは,その逆説的な才能を強調して,idiot-savant(白痴の天才)と名付けた3)。彼らの才能は,音楽,絵画,彫刻,計算,記憶など多岐に及び,しかもすべての症例に重度の精神遅滞や認知障害が併存していた。また,映画「レインマン」に登場するレイモンド・バビットのモデルとなったキム・ピークは,脳梁欠損などの深刻な中枢神経系の異常が存在するにもかかわらず,過去に読んだ約9,000冊の書物の内容を正確に記憶しているという驚異的な能力を具えたサヴァンとして知られている4)。これまでに,サヴァン症候群の症例は数多く報告されているが,彼らの認知過程や神経基盤の解明に向けた研究が行われるようになったのは比較的最近のことである。サヴァン症候群に出現する驚異的な才能は,従来の高次脳機能における障害や欠陥という概念だけでは説明することができないものであり,彼らの認知過程と神経基盤の詳細を明らかにすることは,われわれの脳内の情報処理過程を解明するためにも大きな役割を占めるものと思われる4,5)

症例報告

C7横突起骨折による椎骨動脈閉塞の1例

著者: 竹内誠 ,   高里良男 ,   正岡博幸 ,   早川隆宣 ,   大谷直樹 ,   吉野義一 ,   八ツ繁寛

ページ範囲:P.870 - P.873

はじめに

 外傷性椎骨動脈損傷は稀な外傷であるとされていたが,近年,報告が増加しつつある外傷の1つである。頸椎損傷に伴うことが多いとされており,その臨床像は無症候性から重篤な脳虚血症状をきたすものまでさまざまである。今回われわれは,C7横突起骨折によって無症候性椎骨動脈閉塞をきたした症例を経験し,損傷のメカニズム,診断,治療などについて考察したので報告する。

連載 神経学を作った100冊(19)

ビシャ「生と死に関する生理学的研究」 (1800年)

著者: 作田学

ページ範囲:P.874 - P.875

 生と死に関する生理学的研究は,ビシャの独創性をあますところなく示している1)。これに匹敵する独創的な神経学書としては,おそらくプラムとポズナーのDiagnosis of Stupor and Coma (1966)が挙げられよう。この本を出版した頃はまだ,ビシャは自分の私塾のほかには働く場所をほとんど与えられていなかった。たしかに1798年までには教室が公認されたとはいえ,死体の入手も困難であったはずである。そのような状況のなかで,この本は執筆されたのである。

 この書は次のような定義で始まる。

 “La vie est l'ensemble des fonctions qui resistent a la mort(生は死に抵抗する働きの総体である)。”この本には,Xav. Bichat, Professeur d'Anatomie et de Physiologieとあるが,彼の私塾の教授ということだろう。ビシャは1799年,オラル・ディユ(人類病院)の内科医になった。

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あとがき フリーアクセス

著者: 石塚典生

ページ範囲:P.878 - P.878

 19世紀末にBrown and Schafer(Phil Trans Roy Soc 179: 303-327, 1888)が,サル大脳皮質各所の広範な破壊実験を行い,両側側頭葉内側部破壊例では記憶や情動に影響が現れることを記述したのを嚆矢として,Gudden(1896)やBechterew(1900)の脳炎患者の臨床病理学的研究,KluverとBucy(1938)のサルでの破壊実験研究,ScovilleとMilner(1957)による難治性てんかん患者の側頭葉内側部両側除去手術などによって,海馬を中心とする領域が記憶形成に密接に関与することがわかってきた。以来50年余にわたり記憶・学習の研究は,心理学,生理学,解剖学的研究から大いに発展し,記憶の種類,記憶の保持時間,記憶に関与する脳部位などの所見が積み重ねられてきた。

 また記憶形成のメカニズムを探る研究では,1970年代前半にBlissやLo/moらが海馬で起こるlong-lasting enhancementの現象を報告してから,細胞レベルで起こる長期増強現象の分子生物学的,生理学的研究が爆発的に進んできた。当初はニューロン個々,あるいはone-to-oneの研究であったが,近年では細胞集団としての活動の解析や領域間のinteractionの研究へと発展し,さらに分子・遺伝子学的な解析,理論学的研究が注目を浴びている。しかしながら,記憶の形成,貯蔵,想起のメカニズム,コーディングのメカニズム,エピソード記憶と手続き記憶の違い,情動の記憶など,未解明の点もいまだ多く残っている。

基本情報

BRAIN and NERVE-神経研究の進歩

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1344-8129

印刷版ISSN 1881-6096

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