文献詳細
連載 神経学を作った100冊(36)
文献概要
1815年,ナポレオン戦争が終結し再びフランスに平和が戻った。フランスの外科学はこの後20年間,デュプイトラン(Guillaume Dupuytren,1777~1835)が指導することになる。デュプイトランは解剖学者,病理解剖学者,実験生理学者,生化学者,衛生学者としても優れていたが,外科学に進んだ。一方で,外科医としては第一級で,人間としては最下等とペルシ(Pierre Franois Percy)に批判されたように,多少あくの強いところがあったようである1)。
ジャン・クルーベイエ(1791~1873)はデュプイトランの下で学び,やがて1823年11月に教授資格試験の最初のコンクールで,内科の5人のうちの1人として選ばれた。この彼が1821年に『実地医学。解剖学と病態生理学で解明する第1ノート』という書物を発表した(Fig.1)2)。扉に1ページを費やして,「医学部教授,オテル-デュウの外科主任―デュプイトラン先生へ」と「感謝の気持ちを込めて Jクールベイエ」とおそろしく丁寧に献辞を記している(Fig.2)。この書物を出版した意義は1821年10月8日にフランス医学アカデミーで発表した小児の脳疾患などの論文を転載し,詳細な考察をほどこすことにあった。ちなみにこの医学アカデミーは1820年12月20日に創設されている。
ジャン・クルーベイエ(1791~1873)はデュプイトランの下で学び,やがて1823年11月に教授資格試験の最初のコンクールで,内科の5人のうちの1人として選ばれた。この彼が1821年に『実地医学。解剖学と病態生理学で解明する第1ノート』という書物を発表した(Fig.1)2)。扉に1ページを費やして,「医学部教授,オテル-デュウの外科主任―デュプイトラン先生へ」と「感謝の気持ちを込めて Jクールベイエ」とおそろしく丁寧に献辞を記している(Fig.2)。この書物を出版した意義は1821年10月8日にフランス医学アカデミーで発表した小児の脳疾患などの論文を転載し,詳細な考察をほどこすことにあった。ちなみにこの医学アカデミーは1820年12月20日に創設されている。
参考文献
1) Ackerknecht EH: Medicine at the Paris Hospital 1794-1848. Johns Hopkins, Baltimore, 1967
2) Cruveilhier J: Médecine Pratique éclairée par L'Anatomie et la Physiologie Pathologiques. Premier Cahier. Igonette Libraire, Paris, 1821
3) Cruveilhier J: Traité D'Anatomie descriptive. Troisième éd. Labé, Paris, 1851-1852 lxiv+620, 784, 768, 852
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