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雑誌目次

雑誌文献

BRAIN and NERVE-神経研究の進歩63巻2号

2011年02月発行

雑誌目次

特集 続・日本人の発見した神経疾患

CARASIL

著者: 福武敏夫

ページ範囲:P.99 - P.108

はじめに

 CARASIL(cerebral autosomal recessive arteriopathy with subcortical infarcts and leukoencephalopathy)は臨床的に脳小血管病,早発性禿頭,腰痛/脊椎変性を三徴とする疾患であり,報告は1960~70年代からごく最近まで日本からのみ発信されていた1)。筆者らは1家系3兄弟例を経験し,1985年に報告し,文献例と併せ,新規の全身性症候群をなすことを提唱した2)

 筆者らの報告も含め,さまざまなタイトルで報告されてきたが,CARASILという病名は,単一遺伝子によることが最初に証明された脳小血管病であるCADASIL(cerebral autosomal dominant arteriopathy with subcortical infarcts and leukoencephalopathy)にならって(dominantのdをrecessiveのrに置き換え)提案されたものである3)。初期の報告に基づき,Nemoto syndrome4)とかMaeda syndrome5)とも呼ばれたことがあり,現在ではFukutake Diseaseというべきではないかという面映ゆいご提案もあるが,既にCARASILが世界的に広く浸透している6,7)。それはともかく,日本内科学会100年史の神経疾患分野の年表8)と日本神経学会の50年史の年表9)に,日本人の他の綺羅星のごとき業績と並んで「1985年 福武ら:CARASIL疾患概念を提唱」と記載されたのは光栄の至りである。

 CARASILは極めて稀な疾患であるが,臨床的に常染色体劣性疾患と考えられ,保因者が多数存在すると考えられる7)ことから,日本に多い脳小血管病の重症モデルといえる10)。ラクナ梗塞やBinswanger病などの血管性脳症の原因として高血圧症や糖尿病などが知られているが,既知の血管危険因子では説明できない症例も多く,また,高血圧などがどのように細動脈硬化を引き起こすのかについてもあまり解明されていない。このため,筆者はCARASILの臨床的診断基準を提案するとともに10-12),日本人による遺伝子解明を期して,神経遺伝学の泰斗たる辻 省次当時新潟大学神経内科教授(現東京大学神経内科教授)の下への検体の集中を呼びかけた。研究を引き継いだ小野寺 理同准教授チームによって,責任遺伝子が10q25に絞り込まれ,最終的に同領域にあるHTRA1遺伝子の変異が同定された13)

 筆者は幸運にもこのように,CARASILの臨床的確立から遺伝子同定までの全過程に関与することができたが,大いなる手掛かりは得られたものの,三徴である脳小血管病,禿頭,脊椎変性発症の詳細な病態機序はまだ十分に解明されておらず,したがって本質的な治療法は手にし得ていない。本稿では,CARASIL研究の歴史的背景,自験家系の長期経過を改めて紹介し,臨床像を整理し,遺伝子解明を踏まえて今後の展望を述べてみたい。

湯浅・三山病

著者: 三山吉夫

ページ範囲:P.109 - P.118

はじめに

 1892年にArnold PickがPick病(Pick disease:PiD)を記載1)して100年以上経った。20世紀の後半にPiDの近縁疾患として進行性皮質下グリオーシス2),進行性失語症3)などが記載された。運動ニューロン疾患を伴う前頭側頭型認知症(frontotemporal dementia with motor neuron disease:FTD-MND;湯浅・三山型)は,筆者がFTDの一群にMNDを伴う症例群があることに注目し,1つの疾患単位としてまとめたものである。

 近年,分子細胞学的研究が進み,筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis:ALS)を中心とするMNDの病態が明らかにされつつある過程で本疾患がMNDの観点から考察されている報告が多い。筆者は本疾患をFTDの観点から,認知症を起こす病態がこの疾患にみられるMNDの原因であるとの考察を進めてきたし,現在もその立場をとっている。MNDとしての病理に共通性を認めても疾患としては異なる可能性を筆者は主張している。本稿では,FTD-MNDに関する筆者のこれまでの考察を振り返りながら,疾患単位としての意義を述べる。

牟婁病―紀伊ALS・パーキンソン認知症複合

著者: 葛原茂樹

ページ範囲:P.119 - P.129

はじめに

 太平洋熊野灘に面する紀伊半島の南岸一帯は,江戸時代までは紀伊国の牟婁と呼ばれていた。明治の廃藩置県によって東半分は北牟婁郡と南牟婁郡として三重県に編入され,西半分は和歌山県の東牟婁郡と西牟婁郡になり今日に至っている(Fig.1)。

 この地域の中心部を流れる古座川流域には,「古座の足萎え病」の伝承があった1)。また,明治末にはわが国の神経学の創始者である三浦謹之助2)によって,紀伊から伊勢にかけての紀伊半島南岸にALSが多発することが指摘されていた。

 このような伝承や医学的観察の知見を,1960年代以降に医学的手法によって研究し科学的知見に高めたのは,当時の和歌山県立医科大学精神科教授の木村 潔と,同科講師として研究を担った八瀬善郎であった3)。彼らは牟婁の風土病である「古座の足萎え病」が筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis:ALS)であることを明らかにしただけでなく,牟婁地方の広範な疫学調査によって,古座川と穂原の2地区にグアム島とならぶALS高集積地があることを発見した。紀伊半島集積地のALS(紀伊ALS)は神経病理学的には中枢神経系にAlzheimer神経原線維変化[Alzheimer neurofibrillary change (tangle):NFT]が多発し,グアムALSと同質の疾患と考えられた4)

 紀伊ALSの疫学と原因研究は,八瀬をリーダーとして米国のグアム病研究グループと共同で進められたが,原因解明がなされないままにグアムに引き続いて紀伊半島でもALSの発生が激減していき,1980年代にはこれらの地域での高頻度発生は終焉したことが報告された5,6)

 1990年に三重大学に神経内科が新設され,教授として着任した筆者7)は,かつて高集積地であった穂原地区から1年間に3名のALS患者が受診したことを契機に再調査を行い,ALS多発がなおも持続していることを確認しただけでなく,同じ集落にグアムのパーキンソン・認知症複合(parkinsonism-dementia complex:PDC)に臨床像が酷似した疾患も多発していることを観察し,剖検例によって神経病理学的にも確定した。紀伊ALSとPDCは臨床病理学的には同じスペクトル上の疾患と考えられており,ALS/PDCとして扱われることが多い。多発の原因に関しては,環境因,遺伝素因ともに解明されていない。

 時間軸でみると,紀伊半島でもグアム島でも,ALS発生は激減し,PDCは減少しながらも持続しているが,近年は高齢者認知症が増加していることが報告されている8)。このような疫学像の変遷が何によってもたらされたのかは,ALSの成因や予防との関連で大きな関心が払われている。本稿ではこのような筋書きに沿って,牟婁病の歴史を振り返ってみたい。

クロウ・深瀬症候群(POEMS症候群)

著者: 岩下宏

ページ範囲:P.131 - P.139

はじめに

 筆者は,九州大学神経内科に在籍中の1971年,「多発性ニューロパチー,色素沈着,糖尿病ならびにMonoclonal Gammopathyを呈した1剖検例」を日本神経学会の機関誌『臨床神経学』に発表した1)。当時同様の症候を呈する日本人例は,深瀬ら2,3)(京都大学第2内科)の腹腔内孤立性骨髄腫の36歳女性例と,下森ら4)(長崎大学第1内科)の仙骨部孤立性形質細胞腫41歳男性例のみであった。筆者らの48歳男性例は,皮膚症状,内分泌症状および免疫グロブリン異常症を伴う多発ニューロパチーの骨髄腫が発見されない例としては第1例目であった。

 その後,同様の症候を呈する症例が報告され,1973年淀井ら5),1974年高月ら6)(ともに京都大学第1内科)は,新症候群とすべきとした。クロウ・深瀬症候群(Crow-Fukase syndrome)という呼称は,1984年Nakanishiら7)(筑波大学神経内科)が日本の102例をまとめて米国神経学会機関誌『Neurolgy』へ報告したときに初めて使用された。一方,1980年カリフォルニア大学内科・放射線科のBardwickら8)は,2例の報告と39例の文献例から,本症候群の重要項目としてpolyneuropathy(P),organomegaly(O),endocrinopathy(E),M-proteins(M)およびskin changes(S)をとりあげ,POEMS症候群という呼び方を提案した。

 筆者は,1971年の発表後,数例を経験し,いくつかの研究論文を発表した9-13)。その後,本症候群には,1996年Watanabeら14)(鹿児島大学第3内科)によって血管内皮増殖因子(vascular endothelial growth factor:VEGF)が上昇していることが報告され,最近では桑原のグループ15-17)(千葉大学神経内科)によって治療の進歩が報告され,改めて注目されている。

 本稿では,筆者らが報告した初期の症例を再提示するとともに,本症候群に関する主な研究論文を再点検した結果を記すことにする。

里吉病

著者: 里吉榮二郎

ページ範囲:P.141 - P.146

はじめに

 本疾患と初めて出会ったのは1958年川崎市立病院の小児科病棟である。私は1946年9月慶應義塾大学医学部を卒業し,以後内科教室の助手を務めていたが,1955年8月フルブライト留学生として米国ボルチモアのJohns Hopkins大学の神経内科助手として神経学を専攻し,1957年11月帰国し,東邦大学医学部内科助教授として勤務していた。滞米中は神経内科のレジデントとして新生児から老人まで幅広く診察していた関係で,帰国後も内科の患者も小児科の患者も診療していたが,全身の筋の痙攣を起こしている疾患は初めてであった。幸運にも慶應義塾大学病院の小児科にまったく同一の症状を示す患者が入院しており,2症例を同時に比較して診察することができた。これらの2症例について検討した結果を1963年南米ペルーのリマ市で開催された第1回のPan American Congress of Neurologyの特別講演として発表したのが最初である1)

 その後,1967年の米国神経学会でも発表した2,3)。本症は当初『日本医事新報』誌上で“全身こむら返り病”という新しい提唱を行ったところ4),日本各地,ことに整形外科の先生方から多数のお手紙をいただき,各地の大病院,大学で直接多くの症例を診察することができた。その後自験例3例以外に英国で1例,日本各地で13例を診療ないし検索し,本症は筋のこむら返り以外に全身の脱毛,下痢,無月経,全身の骨および関節の異常を伴う全身疾患であることがわかり,1978年日本神経学会総会の折に会長講演として“進行性筋痙攣,脱毛,下痢症候群”として本症例群の確立を提唱した5)。その際司会を務めた故・椿忠雄教授から本症を里吉病と呼ぶことを発案されて承認された6)が,1978年に観察した15例と剖検例2例を加え“進行性筋痙攣,脱毛,下痢症例群”という題名(「A Syndrome of progressive muscle spasm, alopecia and diarohea」)で『Neurology』に発表した5)。その後,国外ではSatoyoshi syndromeと呼ばれている。

三好型遠位型筋ジストロフィー―三好型ミオパチー

著者: 川井尚臣

ページ範囲:P.147 - P.156

はじめに

 三好型遠位型筋ジストロフィー(Miyoshi distal muscular dystrophy:MDMD)は,原著では常染色体劣性遠位型筋ジストロフィー(autosomal recessive distal muscular dystrophy:ARDMD)となっており,筋ジストロフィーの一病型である。通称,三好型ミオパチー(Miyoshi myopathy:MM)とも呼ばれている。

 本病型(本症)は三好らの初めての発表1)以来,何編かの発表2-8)があり,既に遺伝・臨床的特徴は詳述されているので,本論文では本病型(本症)の要点を述べるとともに臨床的諸問題点についても言及したい。併せて,本病型関連の最近の分子遺伝学的研究の進展についても触れる。

 「三好型遠位型筋ジストロフィー」あるいは「三好型ミオパチー」という名称は,もちろん三好らが自ら付けた名称ではない。原著6-8)は,前述のごとく「常染色体劣性遠位型筋ジストロフィー」となっている。しかし,本邦では早くから三好型遠位型筋ジストロフィーあるいはそれに類似の名称,もしくは三好型ミオパチーの名称が使われており9-11),欧米の論文12-14)でも次第にそれらの名称が使われるようになってきた。そして,最近では国の内外で「三好型ミオパチー」,「Miyoshi myopathy」,あるいは「三好型遠位型筋ジストロフィー」,「Miyoshi distal muscular dystrophy」が広く使われている15-19)

 以下,本文ではARDMDあるいはMDMDを本病型,三好型あるいは三好型遠位型筋ジストロフィーと記することにする。

 本病型は,責任遺伝子ならびに遺伝子異常が明らかにされ病態の解明にも著しい進展がみられた話題の筋ジストロフィーである。また,常染色体劣性肢帯型筋ジストロフィーB型(limb-girdle muscular dystrophy, type 2B:LGMD2B)の責任遺伝子が三好型と同じであることもこの分野の臨床,研究に問題を提起している(後述,各項参照)。

総説

ハンセン病ニューロパチーの臨床

著者: 岩田誠

ページ範囲:P.157 - P.164

はじめに

 ハンセン病がMycobacterium lepraeの感染によって生じる神経感染症であることは,今日では誰でも知っているが,この病気が投げかけるさまざまな問題は,いまだに完全に解決されているわけではないし,それらの問題点の多くは,medicineという営みの本質に根本的に関わっている。

 問題点の第1は,感染症一般に共通する問題点,すなわち単一の病原体の感染に対する宿主側の要因に基づく病態の複雑性である。ハンセン病の臨床においでは,後述のように病型分類が重要な要素をなすが,これは,感染症の臨床像と病原体・宿主間の相互作用との相関関係の研究がいかに重要であるかを示す最も典型的な例の1つである。

 第2の問題点は,ハンセン病ニューロパチーの臨床においては,神経感染症としての1次性病変と,その結果として生じてくる神経徴候が惹き起こす2次性病変があり,ADL(activities of daily living)障害の原因としては後者によるもののほうがより重大な意義を持つということである。このことは,実際の医療の場において極めて重要である。

 第3は,ハンセン病の治療において歴史的に経験されてきたさまざまな問題点であり,神経感染症の治療というものが目指すべきは何かという大問題が提起されている点である。

 そして最後の問題点は,近年に至ってやっと実現された「らい予防法」の廃止という出来事に象徴されるように,感染症の予防医学に課せられた隔離という手法が生み出す,社会的偏見と患者の人権に対する侵害の問題が,ハンセン病の場合ほどはっきりと世の中に問われた病気はない,という点である。本稿では,筆者のハンセン病診療経験を通して対峙することとなったこれらの問題点について考察してみたい。

家族性ALSの原因遺伝子

著者: 織田雅也 ,   和泉唯信 ,   梶龍兒

ページ範囲:P.165 - P.170

はじめに

 筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis:ALS)のうち5~10%は家族歴を伴い,家族性ALS(familial ALS:FALS)と呼ばれる。遺伝形式は常染色体優性あるいは常染色体劣性遺伝で,実際に遺伝子変異が明らかになるのはFALS全体の20~30%である。1993年に優性遺伝性FALSの家系からCu/Zn superoxide dismutase(SOD1)遺伝子の変異が同定され1),それ以降次々とFALSの原因遺伝子が明らかにされてきた。最近,本邦からMaruyamaら2)によって細胞内シグナル伝達に重要な役割を果たすNF-κB(nuclear factor-kappa B)を制御するoptineurin(OPTN)遺伝子が新たな原因遺伝子であることが報告された。

 本稿ではこれまでに明らかにされているFALSの原因遺伝子(Table)についてレビューする。

症例報告

特発生脳脊髄液減少症に合併した慢性硬膜下血腫の2例

著者: 梅林大督 ,   高道美智子 ,   小坂恭彦 ,   中原功策 ,   天神博志

ページ範囲:P.171 - P.175

はじめに

 脳脊髄液減少症は,脳脊髄液腔から脳脊髄液が持続的ないし断続的に漏出することによって,頭痛,頸部痛,めまいなど,さまざまな症状を呈する疾患である1)。近年,脳脊髄液減少症についての報告は増えておりその概念が普及してきている。それとともに脳脊髄液減少症においてしばしば慢性硬膜下血腫が合併することも知られてきているが,その病態・治療には議論を残す部分が多い2~4)

 比較的少量の硬膜下血腫であるにもかかわらず意識障害が強く出現し,脳底槽の消失といったような脳ヘルニアに近似の画像所見を認めることがある。また,穿頭血腫除去術のみでは再発率が高く,さらに治療については症状出現の主な病態は慢性硬膜下血腫による圧排効果の影響なのか,髄液減少による脳下垂なのか判別がつかないため,先行して穿頭血腫除去術を行うべきか,またブラッドパッチを行うべきなのか一定の見解は得られていない2-4)

 今回われわれは脳脊髄液減少症に合併した慢性硬膜下血腫の2例を経験した。1例はradioisotope(RI)脳槽シンチグラフィー後に意識障害の発症を認め,穿頭血腫除去術後にブラッドパッチを施行し,さらに再度穿頭血腫除去術を必要とした。もう1例は1回の穿頭血腫除去術でされ寛解した。これらの経験をもとに,慢性硬膜下血腫を合併した脳脊髄液減少症における治療法について文献的考察を加え検討する。

同側性単麻痺を呈したラクナ梗塞の1例―発症機序に関する一考察

著者: 谷口彰 ,   伊井裕一郎 ,   川名陽介 ,   朝日理 ,   内藤寛 ,   柴田益成 ,   前田正幸 ,   冨本秀和

ページ範囲:P.177 - P.180

はじめに

 脳障害後の麻痺の回復には,神経ネットワークの再構築が関与している。そのような神経障害の回復は神経可塑性の大きさを反映し,発達期に大きく成人期の脳では比較的小さい。実際,小児期の脳血管障害後の急性小児片麻痺では,神経ネットワークの再構築によって,神経機能の大幅な回復がみられる場合がある。このような機能回復に関与する支配神経に関して,いくつかの機序が想定されている。病変部周辺の健常神経細胞が関与する場合や,補足運動野や運動前野など運動野周辺皮質の機能的補足が強化される機序のほか,麻痺側の健常運動皮質からの神経支配が新たに発達する機序も指摘されている1-3)

 われわれは,左半卵円中心・放線冠梗塞による右下肢麻痺がいったん回復したのち,新たに生じた右放線冠のラクナ梗塞によって右下肢麻痺が再発したと考えられる症例を経験した。同側性の麻痺発症に,同側運動皮質からの再生神経が関与した可能性が示されたので報告する。

神経画像アトラス

脊髄くも膜下出血後Adamkiewicz動脈に生じた血管攣縮

著者: 三好康之 ,   近藤聡彦 ,   安原隆雄 ,   西田あゆみ ,   徳永浩司 ,   杉生憲志 ,   伊達勲

ページ範囲:P.182 - P.183

〈症 例〉29歳,男性

 既往歴および家族歴 特記すべきことなし

 現病歴 突然の腰痛と頭痛で発症し,近医に入院。軽度の発熱もあり,髄膜炎疑いのため腰椎穿刺が施行された(外観は血性,遠心分離で黄色,細胞数49,920/3μL;多核球44,798,単球5,122,蛋白292mg/dL,糖6mg/dL)。一方,血液検査では,白血球数5,300(好中球62%),C反応性蛋白(C-reactive protein:CRP)0.51mg/dLの所見であった。翌日には激しい両下肢痛が出現し,腰椎magnetic resonance imaging(MRI)で脊髄血管奇形・脊髄くも膜下出血が疑われた(Fig.A)。以上から,髄膜炎は否定的で,脊髄血管奇形に伴うくも膜下出血および馬尾症候群が疑われ,発症5日後当院に紹介となった。

連載 神経学を作った100冊(50)

ウイルヒョウ『生理学的および病理学を基礎とする細胞病理学』(1858)

著者: 作田学

ページ範囲:P.184 - P.185

 ウイルヒョウ(Rudolf Ludwig Carl Virchow;1821-1902)はベルリンの北東200kmにあるシフェルバインに町の収入官吏や農業を営む家に生まれた。このシフェルバインは当時プロイセン領であったが,第2次大戦後ポーランド領のシフィドピン市になっている。バルト海にほど近い,どこにでもある田舎町であった。

 1839年にギムナジウムを出たウイルヒョウはベルリンに来て医学を学び始めた。大学ではミュラー(Johannes Müller;1801-1858)などに学んだが,大学卒業後はシャリテ(慈善病院=ベルリン大学附属病院)のインターンに任命され,剖検医のフロリープ(Robert Friedrich Froriep;1804-1861)の指導を受けた。1846年にフロリープの後任となったが,この席を争ったのがレマーク(Robert Remak;1815-1865)であった。1847年には現在もなおVirchow's Archivesとして知られる『病理解剖学・生理学・臨床医学アルキーフ(Archiv für pathologische Anatomie und Physiologie und für klinische Medicin)』を発刊した。1849年にはヴュルツブルグ大学の病理学教授に任命された。1856年にウイルヒョウはベルリン大学の一般病理学・病理解剖学の教授に迎えられ,以後は壮大な病理学の発展と国内外の人材の育成にあたり,1902年に亡くなった。

書評

「しびれ,痛みの外来 Q&A―脊椎脊髄外来の疑問に答える―」―井須豊彦●編著 フリーアクセス

著者: 寺本明

ページ範囲:P.181 - P.181

 不思議な本が出た。『しびれ,痛みの外来 Q&A』(中外医学社)という。編著者の井須豊彦先生は,わが国の脊椎脊髄外科の第1人者である。執筆者は,井須先生の専門分野の仲間やお弟子さんたちであり,それぞれ脊椎脊髄外科の最前線で活躍している方ばかりである。

 何が不思議かというと,本書はいわゆる教科書や成書ではなく,一般啓発書でもなく,かといって井須先生の診療経験録でもない。基本骨格は,患者が外来などでよく疑問とする事項に関して医学的な解説をしている部分である。ここは各エキスパートが客観的に必要事実を記述している。そして,そのすべての項目の末尾に「神経外科医のつぶやき」として井須先生のコメントが紹介してある。このコラムは永年,脊椎脊髄外科を手がけて来られた先生の本音であり,短い言葉ではあるが見逃してはならない臨床医の極意が秘められている。筆者は井須先生と同年輩であり,やはり下垂体外科という1つの道を専攻してきたので,分野や疾患は違え共感するところは極めて多い。井須先生のある程度まとまった話は「Coffee Break」として,またキーとなった大切な人との出会いは「コラム教科書」として随所にちりばめてある。

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次号予告 フリーアクセス

ページ範囲:P.186 - P.186

投稿規定 フリーアクセス

ページ範囲:P.188 - P.189

あとがき フリーアクセス

著者: 岩田誠

ページ範囲:P.190 - P.190

 本号では,日本人の発見した神経疾患の第2弾を特集した。この中の4つの疾患は,日本人の名前がついた,いわゆる冠名疾患である。疾患や症候群,あるいは徴候に発見者の名前を残す風習は,なにも医学の分野だけのものではない。ピタゴラスの定理,アヴォガドロ数,ボイルの法則,パウリの禁律など,数学や物理化学の世界では,昔から科学者の名前を冠する原理・原則が多いし,パスカル,ヴォルタ,アムペール,ワット,オーム,ヘルツ,キュリー,テスラなどの名前は物理現象の単位の名称にまでなっている。それらの名前が,日常生活の中であまりにも当たり前に使用されていると,次第にその名前の本人が一体どのような人だったのかが忘れ去られていってしまうし,それどころか,それが人名に由来するものであったことすら忘れ去られてしまう。「台風14号は,中心気圧940ヘクトパスカルの強い勢力を保ちつつ北上中」とか,「東京の家庭電源は100ヴォルト,50ヘルツ」とか聞いても,そこにパスカル,ヴォルタ,ヘルツの名前を読み取ったり,あるいはそれらの先駆的科学者への賞賛の念を感じ取る人はほとんどいないのではないかと思われる。

基本情報

BRAIN and NERVE-神経研究の進歩

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1344-8129

印刷版ISSN 1881-6096

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