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文献詳細

雑誌文献

BRAIN and NERVE-神経研究の進歩63巻4号

2011年04月発行

連載 神経学を作った100冊(52)

ヘルムホルツ『音楽理論の生理学的基礎としての聴覚学説』(1863)

著者: 作田学1

所属機関: 1日本赤十字社医療センター神経内科

ページ範囲:P.424 - P.425

文献概要

 ヘルムホルツ(Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholt;1821-1894)(Fig.1)は1821年8月31日にベルリンの南西26kmのポツダムでギムナジウムの教師の家に生まれた。ポツダム宣言で有名な都市である。ヘルムホルツは物理学に興味があったが,父の薦めでまず医学を履修することにした。ベルリン大学ではミュラー(Johannes Peter Müller;1801-1858)の薫陶を受けた。ミュラーはこれまでにも述べたように,生物学の研究に物理学・化学的な手法を使うというドイツの伝統の嚆矢であった。ミュラーは「特殊感覚エネルギーの法則」(すべての感覚神経系はその始点から終点に至るまで,それぞれに固有の感覚を生じさせる力を持ち,感覚器に対する刺激の適不適にかかわらない)を指導原理として弟子達に伝えており,ヘルムホルツも例外ではなかった。

 1842年にヘルムホルツは21歳で「De Fabrica systematis nervosi Evertebratorum」という卒業論文を書いた。その中で,ヒルやカニの神経節では,神経線維が神経細胞から発していることを突き止めたのだった。これはミュラーが既に予測し,弟子に教えていたことでもあった。ヘルムホルツは生涯に217の論文と著書を刊行したが,この大発見はその最初だった。彼はベルリンに1842~1847年までおり,1849~1856年はケーニヒスベルクの生理学教授を,1856~1859年はボン大学生理学教授を,1871年まではハイデルベルク大学生理学教授を,そして1894年に亡くなるまではベルリン大学の物理学教授を務めた。

参考文献

ed., Friedrich , Braunschweig, 1896, ppXXII+675

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1344-8129

印刷版ISSN:1881-6096

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