icon fsr

文献詳細

雑誌文献

BRAIN and NERVE-神経研究の進歩66巻10号

2014年10月発行

連載 神経学を作った100冊(94)

ブルンストローム『片麻痺における運動療法』(1970)

著者: 作田学1

所属機関: 1日本赤十字社医療センター神経内科

ページ範囲:P.1238 - P.1239

文献概要

 リハビリテーションの世界に大きな改革をもたらしたブルンストローム(Anna Signe Sophia Brunnström;1898-1988)はスウェーデンの軍人の家庭に生まれた。16歳のときに物理・化学を勉強して大学進学の資格を得,ストックホルムの王立体育学校に進み,リング(Per Henrik Ling;1776-1839)の下で理学療法を学んだ。リングが創始した徒手体操(スウェーデン体操)は解剖学と生理学に基づき,身体各部の各機能の調和した発達を図って考案されたものだが,ブルンストロームが信奉しただけではなく,明治以降の日本の学校体操の主流ともなった。ここで大切なことはスウェーデン体操が筋肉よりも運動を重視したことと,これにより種々の疾病,例えば,側弯症,猫背,下肢の筋力低下などを防ぐことができるとしたことだった。

 1919年に卒業すると,スパで働き出した。1920年にはスイスのベルンに行き,まもなくローザンヌで開業し,盛業であったが,1928年にはニューヨークへ移った。最初に働いたのは東42番街の肢体不自由者病院(現・コーネル大学特別外科病院)の体操室だった。1931年にマンハッタンのバーナード・カレッジで医学部進学の科学コースに入り,1932〜1933年にはニューヨーク大学で学んだ。しかし,1934年にお金がかかりすぎることを理由に,4年間の医学校進学は諦め,その代わりにニューヨーク大学の理学療法学部で修士号を取ることにした。同年の11月には米国の市民権を得ることができ,同時に名前を“Signe Brunnstrom”と短くした。1935年にニューヨーク大学の修士号をとり,同時に病院での地位も上がり,理学療法士の教育を担当するようになった。1938年には,ニューヨーク大学の講師に任命され,第二次世界大戦中は海軍大尉として全米各地のリハビリテーション施設を指導したという1)

参考文献

1) Schleichkorn J: Signe Brunnstrom. Physical Therapy Pioneer, Master Clinician and Humanitarian. Slack, New Jersey, 1990
2) Brunnstrom S: Motor testing procedures in hemiplegia: based on sequential recovery stages. Phys Ther 46: 357-375, 1966
3) Brunnstrom S: Movement Therapy in Hemiplegia: A Neurophysiological Approach. Harper & Row, New York, 1970

掲載誌情報

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN:1344-8129

印刷版ISSN:1881-6096

雑誌購入ページに移動
icon up

本サービスは医療関係者に向けた情報提供を目的としております。
一般の方に対する情報提供を目的としたものではない事をご了承ください。
また,本サービスのご利用にあたっては,利用規約およびプライバシーポリシーへの同意が必要です。

※本サービスを使わずにご契約中の電子商品をご利用したい場合はこちら