コンピューターによる知的機能の実現を目指して,脳をヒントにAI(artificial intelligence)が誕生した。その発展は著しく,いまや現代文明の中核に座ろうとしている。AIはこれからも脳に多くを学ぶであろう。しかし,AIの成果が脳研究に与える影響にも大きいものがある。これからは両者が手を携えて研究を進めていく場面が増えていくであろう。
AIの発展は急激で,これからの文明に及ぼす影響は大きい。果たして人類はAIがもたらす楽園に到達するのか,それともこれをうまく制御できずに文明崩壊に至るのか,われわれの英知が試されるときである。
Ⅰ.自然知能と人工知能
われわれは2つの知能システムを持つに至った。脳に宿る自然知能とコンピューター上に構築された人工知能AIである。それぞれの歴史的な発展を眺めよう。脳は生命体が進化の結果として生み出したものである。進化は遺伝子のランダムの変動が,生命体の生存により有利に働く場合に起こり,これにより自己の構造を少しずつ変えていく。生命体は単細胞から出発して,多くの細胞が共同して働くシステムをつくり,更に情報処理に特化した脳という器官を持つ動物を生み出した。この脳が発達し,霊長類そして人間に至る。
人類は社会生活を送る。このとき,心と意識を持つことが生存上有利に働いた。心とは漠然とした概念であるが,喜怒哀楽の感情,好奇心や向上心,達成感や責任感などを含み,意識もその機能の一つである。共同生活のなかで,人々は共感し,連帯感を深めた。これが生存上有利であったからである。また,共同作業のなかでは,自分のしようとしていることを人に伝える必要がある。そのためには,自分のしようとしていることをまず自分が知らなければならない。これが意識の始まりである。人類の脳は状況を予測し,素早く行動を移すのに長けているが,一方では自分の行動案を作成してもそれを実行に移す前に,更にもろもろの条件を考慮に入れて再考し,その有効性を確認することもある。これが意識の機能である。
社会生活を送る人類は,生産力の拡大と共に分業を進め,都市生活を送るようになり,ここに権力構造を生んだ。一方では文明を生み出し,時代を超えてこれが伝承される。遺伝子の分布の変化,新しい遺伝子の出現など,遺伝に基づく進化には膨大な時間が必要である。しかし,文化は時代を超えて継承され,人類の財産となる。文化が新しい文明社会を生む。こうして,時代は進んでいった。
AIの歴史は短い。1950年代に入りコンピューターが普及し出すと,これは万能な論理計算機械であることから,人間の知的機能をコンピューター上に実現してみたいという願望が生ずる。これが人工知能の始まりで,当初は熱狂的に支持されたものの,当時のコンピューターの性能では期待された結果は得られず,失望が積り冬の時代を迎える。当初は記号と論理を使い,プログラムによって知的機能を実現しようという構想が主であったが,一方では人の知的機能は学習によって鍛えられることから,神経回路網のようなモデルをコンピューター上につくり,これに多数の例題を与えて学習させることにより,望みの知的機能を実現しようという試みも脚光を浴びた。これがパーセプトロンであり,今でもAI技術の核心にある。
その後,1980年前後にもう一度AIブーム,ニューロブームが勃興したが,コンピューターの性能不足で,これも物にはならなかった。しかし,こうしたなかでも技術と理論は着実に進歩していった。そして,2010年代にもなるとコンピューターの能力が驚くほど発展し,データベースも普及した。この結果,第三次AIニューロブームが起こる。巨大な数の層を積み重ねた神経回路網を用い,画像認識の課題に挑戦した結果,これまでの予想を超える性能を発揮したのである。しかも数年のうちには人間の認識能力を超える性能を獲得するに至った。
それだけではない。この深層学習は囲碁やその他のゲームで人間を凌駕する性能を示し,人間のプロがこれに太刀打ちできない。画像生成でも素晴らしい画像をたやすく生成する。大規模言語モデル(large language model;LLM)は,質問に応答して自然言語で回答を寄こす。言語の機械翻訳が実現し,文章の要約なども得意であり,数学オリンピックの問題を解き,東京大学入学試験にも合格するレベルにあるという。読者の多くもこの恩恵にあずかっているに違いない。
Ⅱ.AIの仕組
ここでは技術的な詳細は割愛して,現代のAIの仕組に簡単に触れよう。まず,モデルとして使うニューロンであるが,これは単純にn個の入力信号x=(x1, ・・・ xn)を受けてこれを基に計算して答yを出力する。入力xiを受けるときのシナプスの重みをwiとし,入力を重みつきで加算した議すw・x=Σi wixi の非線形関数を出力y=ϕ(w・x)とする。ただし簡単のために閾値の項を省いた。このモデルでは,入出力信号はアナログ値をとってよい。
こうしたニューロンを層状に並べ,入力x を基に層に沿って計算を進めていき,最後の層から出力y を出すのが多層神経回路網パーセプトロンである。入力信号は,例えば画像であり,また単語の列でもよい。これを基に第一層のニューロンが計算を開始し,各々が自分の出力を出し,これが次の層への入力信号になる。こうして次の層のニューロンが計算し,順次答を次の層へ送り,最終層から答y を出す。最終層には多数のニューロンがあってよいから,y もベクトルであるが,ここでは簡単のためこれは一次元でスカラーだとしておこう。
さて,計算とはxに対してその関数である答y=f(x)を出すことである。どんな関数なら,この神経回路網で計算できるだろうか。これに答える次の計算万能性定理は重要である。
定理1 どんな滑らかな関数f(x)に対しても,ニューロン数を十分に大きくすれば,各重みwを適切に選ぶことによって,いくらでも良い近似で深層回路網はこれを計算する。
現在の回路網の与える答えは正解とは違うだろう。正解との違い,つまり誤差を,各重みwで偏微分したものを手がかりに重みを修正する。この微分が誤差の勾配である。例題の入力はランダムに発生するとして,このwの替え方,つまり学習法を確率的勾配降下法と呼ぶ。これは,1967年に筆者が提唱したもので,今でもこれが使われている。
深層神経回路網は,画像認識の課題で圧倒的な成果を示し,世間を驚かせた。これに加えて,囲碁などのゲームの分野でも,深層学習のうえに手順を評価する強化学習を用いて,これも圧倒的な成果を挙げた。人間よりもはるかに強くなったのである。その手法を用いて,タンパク質の立体構造を予測するアルファフォールドという新技術が開発され,これも大変有用であり,ノーベル化学賞に輝いた。このほか,画像の生成などでは拡散モデルが使われている。
LLMは言語を扱う。言語で与えられた質問に言語で回答するだけでなく,異なる言語間の自動翻訳,文書の要約などを自由にこなす。入力は単語の列である。これを処理するにあたって,単語を高次元ベクトル空間に写した抽象表現を用いる。このとき,共に起こりやすい単語は近くに配置されるように,単語の共起関係を学習する。ここで,トランスフォーマーと呼ぶ深層神経回路網を用いて,抽象表現を更に高度化する。また,アテンションという仕組で,与えられた単語列から次に来る単語は何であるかを予測する仕組を学習する。これも単語の共起関係を基にするもので,一種の連想記憶の学習と言える。これで,単語の共起関係に関する統計的な処理が行えて,確率的な推論が完成する。
こうしたAIの技術は,回路網を大型化することによって,開発者の予想を超える素晴らしい性能を発揮した。それには莫大な資金,電力,技術者が必要であった。しかし,大きいことは本当に良いことなのか?
これまでの統計学の理論では,大きいことは必ずしも良くないとされ,サイズを最適に抑える研究が進んでいた。それを無視する形で大型化が大成功を収めたのである。
ここで,残念なことに理論の貧困を指摘しなければならない。大規模にしてやってみたらうまくいったというこの現状は,理論家に大きな課題を突きつける。逆に,なぜこんなにもうまくいくのか,その原理的な仕組を解明できれば,異なったアーキテクチャーを用いてずっとダウンサイズして高性能なものがつくれるはずである。実用技術では著しい後れをとっている日本にもここに希望がある。何しろ,確率的勾配降下法にしても連想記憶モデルにしても,日本がかって生み出した仕組であった。
Ⅲ.情報処理の基本原理を求めて
脳は進化の結果現れた素晴らしい情報処理装置である。われわれはそこに含まれる基本原理を知りたい。これはそう簡単ではない。進化の過程は突然変異に基づくランダム探索であり,たまたまより良い仕組に行きついたらそれが生き残る。これを繰り返して進化が進んでいくが,新たなより素晴らしい方策が見つかったときに,今までの蓄積をご破算にしてよりすっきりしたものに置き換えることはできない。そんなことをすれば全体がうまく機能しない。古いものを保存しこれと妥協しながら,新しいものを取り入れてきた。
この結果としてでき上がった今の脳は確かに素晴らしいが,設計原理がなくて,ランダム探索の結果の寄せ集めにすぎないとも言える。だから,獲得した情報原理をここから推測するのは至難の業である。もちろん,生命科学の対象としての脳は,なにも情報原理を知るためにあるわけではない。進化の結果生じたいろいろな生物のいろいろな脳そのものが,ごたごたも含めて研究の興味ある対象である。更にいろいろな種類の生物の脳が,歴史的進化の過程やそれぞれの進化による最適化を含めて研究の課題である。それは実験的な研究によって脳そのものを知ることから始めなければならない。
情報科学の立場に立てば,この素晴らしい脳が実現した情報の原理を知りたい。それには進化のごたごたを含んだ現実の脳はむしろ研究の桎梏にもなりかねない。そこで天空から眺めた脳を考える。脳を単純化し,ニューロンの単純なモデルから出発する。このようなニューロンを回路に組み上げる。このとき,どのような情報処理がここで可能であり,またどのような処理は不可能かを,数理的に考究する。そのうえで更に複雑なモデルを調べ,そこでは何が可能か,どこに不可能の限界があるかを調べていく。回路のモデルをつくる段階では,もちろん現実の脳を参考にするが,その細部には必ずしもこだわらない。こうした研究の集積が数理脳科学であり,天空の学問と言われるゆえんである。こうした研究は事実を重んじる実験的な研究と相補って一体化し,これからの脳科学をなしていくに違いない。
AIも脳が実現した知的情報処理の原理を求めて,脳にヒントを得て層状の神経回路網と学習の方式を用いて大成功した。情報原理を求める点では数理脳科学と同じである。しかし,これは現実の脳に縛られることなく,そこから多くのヒントを得ながら発展してきたものの脳にはみられない誤差逆伝播法などの学習法を用いている。両者は互いに影響しながら,それぞれの道を歩むだろう。
Ⅳ.AIと脳科学の交流
AIはこれからも脳から多くのことを学び,それをヒントに発展していくに違いない。脳は素晴らしい進化の産物だからである。これには,まだ解明されていない記憶の方式や,意識や心の機能も含まれる。もちろん実験研究の補助手段としてのAIの効用は計り知れないが,そればかりではない。
画像処理などで,誤差逆伝播法によって多層神経回路網で得られた情報表現は,この学習法を用いてはいない現実の脳における情報表現と比べることで,その類似性が指摘されている。AIが最適化したものが,進化による最適化と似ていても不思議ではない。それならば,AIの仕組は脳の仕組を研究するのに良いヒントを与えるかもしれない。
AIは高次元空間を用いて単語の情報表現を行う。しかもその表現は単語間の共起関係を反映した構造を持っている。では,われわれの脳において概念や単語はどのように表現されているのであろう。これは,多数のニューロンの興奮のパターンとして高次元空間に表現されているだろう。AIはこの研究にヒントを与えるに違いない。
更に,AIは一般化した連想記憶モデルを用いて,記憶事項の関係を紐づけ,連想想起ができるようにしている。ここでは確率的な推論が用いられている。しかし,最近のAIはこれに加えて論理的な推論も可能になるような新しい推論法をも加えている。人間の脳における事項の表現,事項間の関連づけ,そして記憶の仕組とその連想想起の研究が,AIの成功を参考にするところは大きいと思われる。
ところで,われわれは事柄などを深く理解する。理解とは,物事を他の知識体系のなかに位置づけ,すべてが整合した状態と言えよう。この意味でAIは理解に至るかどうか,問題である。科学の世界ならば,ニュートン力学に立って,われわれは天体の運動を含めて理解に到達した。量子力学,相対性理論などもそうである。これは大変優れた個人のひらめきによって到達したのであって,普通の個人ではこの境地にはたどり着かない。しかし,一たび提示されるやこれは万人が納得し,知識の体系のなかに組み込まれる。これが文化を形づくる。
文化は社会のなかに時代を超えて継承されていく。われわれが遺伝子の変化によって遺伝的に獲得するには長い時間を要するが,文化は継承され,これが人間の形成に大きな影響を与える。
社会生活を送らないAIにはこのような機能は望むべくもない。
Ⅴ. AIは人類を楽園に導くのかそれとも破滅が待っているのか
AIの発展は急激であり,加速度的である。個人はそして社会はこれにどう向き合えばよいか,まず2つのシナリオを考えよう。
少し先の未来を考えよう。AIが発展し,ほとんどすべての生産的な業務はAIがこなしてしまう。人間は十分なベーシックインカムを給付され,遊んで暮らせばよい。こうなったとして,これは楽園だろうか。とんでもない,これは人類の家畜化である。
こうはならないだろう。人間は働くことが好きなのである。仕事を求めこれに専心し,達成感に浸る。ここには創意工夫が必要になる。人は同様に遊ぶことが好きである。将来は仕事が遊びと一体となって,人々は働く。お金のために働くのではない。満足感を達成するためである。こうした新しい仕事として,アマチュア科学者,アマチュア芸術家,アマチュアスポーツマン,アマチュア農業家などがあり,好きな仕事に専念できればよい。仕事は幾つもできるし,自由に変えられる。
考えてみれば,われわれ科学者は苦しい仕事のなかに喜びを見いだして,励んでいる。ここでは苦しいながらも研究が遊びと一体化していると言えないこともない。ただ,過酷な先陣争い,予算の制約など職業としての科学者には制約が多い。世界には同じような成果を生み出す研究が至る所にいる。この成果を誰か運の良い一人が独占するのではなくて,ここに到達した皆が喜び合えばよい。アマチュア科学者ならばこれができる。
しかし,ここに至るには数多くの克服すべき困難が控えている。まずは人類の家畜化である。AIは便利である。これを利用しない手はない。自分はよく考えてAIを使いこなしている心算でも,いつのまにかAIに頼りこれに任せてしまうことがある。人間は考えることが大好きであるが,これには多くの苦しみが伴う。これを克服してこそ考えることの醍醐味がある。しかし,AIに頼っているうちに,知らず知らず思考力が減退していくおそれがある。これは個人のレベルで起こるだけでなく社会全体に広がっていく。これこそが自己家畜化である。
AIの開発競争は,巨大企業が金もうけを目指して覇権を求めて取り組んでいる。国家もその威信をかけてこれを支援している。このなかで,当然取り残される人たちが出てくるだろう。AI時代にこのままでいけば所得の格差はますます増大し,社会は階層に分かれて多極化し,不安定になる。このなかでポピュリズムが蔓延し,これを利用して権威主義国家や独裁国家のへの道が開かれるおそれがある。われわれが築き上げた,自由と平等,民主主義の危機がある。
それにも増して,軍事利用の危険がある。いま,軍は巨額の資金を出してAIを支援している。これが極めて安価な殺人装置であるからである。AI支援の兵器は現に使われている。これが更に世界戦争に発展していく危険がある。
こうした数々の困難をわれわれはどう乗り越えていくのか,人類の英知が問われている。かって,文明は世界各地で起こり,栄華を誇りながらも滅びていった。文明は脆弱なものであり,いつ崩壊してもおかしくない。われわれは進化の結果,現代の科学技術文明を生んだ。この奇跡を滅ぼしてはならない。
おわりに
AIの発展は新しい時代を拓こうとしている。AIは脳に学んだものの自律的に発展し,脳科学との交流もこれからますます盛んになるだろう。本稿は,脳とAIの発展の歴史とAIの仕組を見ながら,AIが脳科学に及ぼす影響のみならず,これからの社会と文明に及ぼす影響に心を馳せた。読者の参考になれば幸せである。