文献詳細
文献概要
Ex Laboratorio Clinico・40
脳波事始・2—国内編
著者: 下田又季雄1
所属機関: 1鳥取大学
ページ範囲:P.434 - P.440
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日本において実際に脳波研究が発足したのは1929年Bergerの脳波発見,次いでAdrian教授によりBerger波が追試・確認された1934年に遅れること2年,昭和11年(1936年)東北大学第二生理学教室(主任藤田敏彦教授)においてであった.その後,東北大のほか北大,東大,新潟大,名大,京大,阪大,九大などで工学部弱電部門とタイアップして医学部生理学,内科学,外科学,精神科各教室で各々独自に発足した.特に昭和16年12月に至って,昭和12年7月,日支事変より始まった戦争がいわゆる大東亜戦争として第二次世界大戦へと進展するとともに陸海軍関係,中でも航空医学関係の研究者に脳波研究の必要性が急速に高まってきた.昭和17年には名大内科勝沼精蔵教授,東大外科塩田広重教授の世話役で学術振興会の脳波委員会が誕生して,昭和20年終戦までこの研究班は続いた.また翌昭和21年終戦の混乱の中に,いち早く文部省学術研究会議第9部(医学)第17班として脳波班が,班長東北大第二生理,本川弘一教授以下班員19名で発足し,昭和27年第1回日本脳波学会(会長東大清水健太郎教授)が発足するまで続いた.脳波班はその後てんかん班(班長東大精神科内村祐之教授),異常児の医学的研究班(班長東北大精神科石橋俊実教授)の2班に発展的解消し,昭和28年から30年まで続いた.
日本において実際に脳波研究が発足したのは1929年Bergerの脳波発見,次いでAdrian教授によりBerger波が追試・確認された1934年に遅れること2年,昭和11年(1936年)東北大学第二生理学教室(主任藤田敏彦教授)においてであった.その後,東北大のほか北大,東大,新潟大,名大,京大,阪大,九大などで工学部弱電部門とタイアップして医学部生理学,内科学,外科学,精神科各教室で各々独自に発足した.特に昭和16年12月に至って,昭和12年7月,日支事変より始まった戦争がいわゆる大東亜戦争として第二次世界大戦へと進展するとともに陸海軍関係,中でも航空医学関係の研究者に脳波研究の必要性が急速に高まってきた.昭和17年には名大内科勝沼精蔵教授,東大外科塩田広重教授の世話役で学術振興会の脳波委員会が誕生して,昭和20年終戦までこの研究班は続いた.また翌昭和21年終戦の混乱の中に,いち早く文部省学術研究会議第9部(医学)第17班として脳波班が,班長東北大第二生理,本川弘一教授以下班員19名で発足し,昭和27年第1回日本脳波学会(会長東大清水健太郎教授)が発足するまで続いた.脳波班はその後てんかん班(班長東大精神科内村祐之教授),異常児の医学的研究班(班長東北大精神科石橋俊実教授)の2班に発展的解消し,昭和28年から30年まで続いた.
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