文献詳細
文献概要
Ex Laboratorio Clinico・59
Cis AB型
著者: 大久保康人1
所属機関: 1大阪府赤十字血液センター技術部
ページ範囲:P.1487 - P.1492
文献購入ページに移動はじめに
大阪府が予算を計上して府民の血液型検査を実施し始めたのは,1961年からであったと思う.そのころはかなりの売血が残っていて世の中の批判があり,新聞紙上をにぎわせていた.
我々は,1962年に全国に先駆けて,売血を中止し献血に切り換えたが,もちろん献血者は少なくて苦労していた.ちょうど集団血液型検査を実施するのには時間的に余裕があった.大阪府民の血液型検査は年間10万人が目標であり,我々の血液センター(当時は赤十字病院附属大阪輸血研究所と呼んでいた)ではそのうち3万人の検査を引き受けていた.この検査はABO式血液型とRh(D)の検査であったが,ABO型については,必ず"オモテ検査"と"ウラ検査"を行ったうえ判定することに申し合わせていた.当時一般病院ではオモテ検査とウラ検査を行って患者の血液型判定を行っているところはほとんどなかったのではないかと思う.大阪府の検査を始めて間もなくABO型の変異型(variant)と考えられる検体に遭遇した.それはオモテ検査で,抗Aには反応せずに抗Bには通常のB型より明らかに凝集の弱い反応であり,ウラ検査ではB型であった.現在では全く苦労なく判定できるが,この当時は決して簡単なものではなかった.結局古畑種基先生(当時科学警察研究所長,故人)に相談し解決したが,Bh (para-Bombay)であった.残念ながら我々は抗Hを保有していなかったために,判断できなかったのである.
大阪府が予算を計上して府民の血液型検査を実施し始めたのは,1961年からであったと思う.そのころはかなりの売血が残っていて世の中の批判があり,新聞紙上をにぎわせていた.
我々は,1962年に全国に先駆けて,売血を中止し献血に切り換えたが,もちろん献血者は少なくて苦労していた.ちょうど集団血液型検査を実施するのには時間的に余裕があった.大阪府民の血液型検査は年間10万人が目標であり,我々の血液センター(当時は赤十字病院附属大阪輸血研究所と呼んでいた)ではそのうち3万人の検査を引き受けていた.この検査はABO式血液型とRh(D)の検査であったが,ABO型については,必ず"オモテ検査"と"ウラ検査"を行ったうえ判定することに申し合わせていた.当時一般病院ではオモテ検査とウラ検査を行って患者の血液型判定を行っているところはほとんどなかったのではないかと思う.大阪府の検査を始めて間もなくABO型の変異型(variant)と考えられる検体に遭遇した.それはオモテ検査で,抗Aには反応せずに抗Bには通常のB型より明らかに凝集の弱い反応であり,ウラ検査ではB型であった.現在では全く苦労なく判定できるが,この当時は決して簡単なものではなかった.結局古畑種基先生(当時科学警察研究所長,故人)に相談し解決したが,Bh (para-Bombay)であった.残念ながら我々は抗Hを保有していなかったために,判断できなかったのである.
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