文献詳細
文献概要
資料
8 人絹工場と二硫化炭素中毒
著者: 鈴木
所属機関:
ページ範囲:P.1344 - P.1344
文献購入ページに移動 もっとも初期の化学繊維であるビスコース・レイヨンは,俗に《人絹》,《スフ》などと呼ばれたが,わが国初の人絹工場は,帝国人絹株式会社米沢工場として1924年に造られた.
当時の人絹の製造工程では,二硫化炭素と繊維素を混合する《硫化工程》において,攪乳器(Churn)として写真に示すような《ビヤダル》を用いていた.硫化工程の反応が終わると,ビヤダルのふたを開けて,内容物を取り出し,あとを掃除するわけであるが,この際,濃厚な二硫化炭素に曝露され,中毒を起こす危険があった.
当時の人絹の製造工程では,二硫化炭素と繊維素を混合する《硫化工程》において,攪乳器(Churn)として写真に示すような《ビヤダル》を用いていた.硫化工程の反応が終わると,ビヤダルのふたを開けて,内容物を取り出し,あとを掃除するわけであるが,この際,濃厚な二硫化炭素に曝露され,中毒を起こす危険があった.
掲載誌情報