文献詳細
文献概要
今月の主題 放射線障害 話題
チェルノブイリの事故
著者: 白石久二雄1
所属機関: 1科学技術庁放射線医学総合研究所那珂湊支所
ページ範囲:P.1132 - P.1133
文献購入ページに移動 1986年4月の末,ソ連で原子炉の事故があったようだと新聞が書きたてるが,当のソ連は何も言わない.ゴルバチョフも少し遅れて知らされたらしくて,彼がグラチノスチ(情報公開)と言い始めたのもわかる気がする.わが研究所もにわかに騒がしくなり,日本への影響がある,ないでサンプリングが始まった.自然のBGレベルより高くはなったが,問題にする程度でなかったのは幸いであった.ソ連政府は事故の大きさと後処理に困り,国際原子力機関(IAEA)や,広島・長崎の経験がある日本に協力を要請してきたことはご存じのことであろう.
さて,4年後の1990年10月,幸か不幸か,日ソ共同研究の一環として,チェルノブイリを訪れることになり,20日間滞在した1).その時の事故炉(石棺)から30km圏内への"立入り許可証"を図1に示す.ちなみに,出張前後の137Cs体内量は18から312ベクレル(Bq)に増加した.
さて,4年後の1990年10月,幸か不幸か,日ソ共同研究の一環として,チェルノブイリを訪れることになり,20日間滞在した1).その時の事故炉(石棺)から30km圏内への"立入り許可証"を図1に示す.ちなみに,出張前後の137Cs体内量は18から312ベクレル(Bq)に増加した.
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