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文献概要
海外だより
フィリピン
著者: 辻本直樹1
所属機関: 1青年海外協力隊 1987年第3次隊 臨床検査技師
ページ範囲:P.1157 - P.1158
文献購入ページに移動 私がフィリピンに到着したのは1989年3月31日,そして帰国したのが2年3か月後の1991年7月だった.この間のフィリピンはバギオ(マニラから北へ215km)の大地震発生,セブ島の超大型台風襲来,さらに今世紀最大といわれるピナツボ火山の爆発,マニラのクーデタ内騒動と人災をも含め,あらゆる災害に見舞われた時期であった.しかし現地の人々は,このような逆境に立たされてもいつも笑顔と陽気さを絶やさないのである.
さて私の任地は,陽気なフィリピン人スタッフを中心としたPRPC (フィリピン難民一時収容センター)であった.マニラから西へ直線距離で約80kmに位置するPRPCは,国連機関により運営費用が出され,アメリカ,ドイツ,ノルウェーなどの多くの国々のボランティア団体からなる機関である.ここは,祖国を脱出してきたインドシナ難民が,いわゆる第三国へ移住をする前に収容されている場所である.
さて私の任地は,陽気なフィリピン人スタッフを中心としたPRPC (フィリピン難民一時収容センター)であった.マニラから西へ直線距離で約80kmに位置するPRPCは,国連機関により運営費用が出され,アメリカ,ドイツ,ノルウェーなどの多くの国々のボランティア団体からなる機関である.ここは,祖国を脱出してきたインドシナ難民が,いわゆる第三国へ移住をする前に収容されている場所である.
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