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文献概要
追悼
松橋直先生のご逝去を悼む
著者: 山中學1
所属機関: 1横須賀共済病院
ページ範囲:P.1190 - P.1190
文献購入ページに移動 今年の正月の第2日曜,松橋先生の司会の午後のシンポジウムが終わって,控え室で一休みした.数時間ぶっ通しの司会でも,先生はお疲れの様子もなく,午前中のパネルディスカッションやシンポジウムの内容,聴衆の反応などを熱心に話された.翌日,私の家へ先生から電話があり,「虎の門病院に入院して,明後日手術を受ける予定」と淡々と告げられた.前日まったくその気配もお見せにならず,私には,まさに寝耳に水の驚きであった.ご自分の血清で,腫瘍マーカーのテストをしておられ,CA19-9が異常に高いので,虎の門病院で検査をしたところ,膵臓腫瘍ということで,手術に決まったというお話であった.術後,何回かお見舞いに虎の門病院へ伺ったが,同じ建物の中の沖中記念成入病研究所へ,出かけられ,化学療法で「髪の毛がこんなになつちゃった」と笑いながら,研究や,関係した仕事への変わらない情熱を示された.
この秋,開催される予定のある財団の創設10周年記念の国際シンポジウムに,私が組織委員長を努め,先生にはプログラム委員長をお願いしたが,手術後も,委員会などに病院からご出席いただき,治療で,いささかお疲れのようではあったが,いつもと変わらないお話ぶりに,安堵の胸をなで下ろしたものである.
しかし,手術後,私ども一部の者に秘かに知らされていた,その結果から,あと半年という,その予想に近く,とうとう,先生は,8月5日午前1時32分,病魔に勝てず永眠された.
この秋,開催される予定のある財団の創設10周年記念の国際シンポジウムに,私が組織委員長を努め,先生にはプログラム委員長をお願いしたが,手術後も,委員会などに病院からご出席いただき,治療で,いささかお疲れのようではあったが,いつもと変わらないお話ぶりに,安堵の胸をなで下ろしたものである.
しかし,手術後,私ども一部の者に秘かに知らされていた,その結果から,あと半年という,その予想に近く,とうとう,先生は,8月5日午前1時32分,病魔に勝てず永眠された.
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