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コーヒーブレイク
父のバイブル
著者: 屋形稔1
所属機関: 1東新潟病院
ページ範囲:P.1385 - P.1385
文献購入ページに移動 私の父は福島の田舎町の開業医であった.代々漢方医の家であったが,祖父が有名な後藤新平などと一緒に明治初頭須賀川医学校で西洋医学教育を受けて開業したので,父も仙台医学校に入って医学を学んだ.日露戦争前後のころで,同時期に中国の文豪となる魯迅もここで学んだ.
私が医大を出るころ父が遺してくれたものの1つに,当時つまり明治37年3月発行の黒の羊皮張りのHoly Bible (旧新約聖書)1冊がある.その後部見返しに父は達筆のペン字で最愛の妹へのレクイエムを記している.それによると,妹は結婚して夫と共に米国桑港(サンフランシスコ)で3年を過ごし,帰国航海の途中熱帯圏で1歳になる子を病で失い,帰国後悲しみのあまり自分も病いを得て病床に臥した,明治40年の師走に入って妹を見舞ったとき,「バラの如き頬も星の如き瞳も牀中に呻吟し断腸の思いであった」などと書き,また同年暮れ遂に死別し,「この聖書を得て永遠の友とする」と記してある.
私が医大を出るころ父が遺してくれたものの1つに,当時つまり明治37年3月発行の黒の羊皮張りのHoly Bible (旧新約聖書)1冊がある.その後部見返しに父は達筆のペン字で最愛の妹へのレクイエムを記している.それによると,妹は結婚して夫と共に米国桑港(サンフランシスコ)で3年を過ごし,帰国航海の途中熱帯圏で1歳になる子を病で失い,帰国後悲しみのあまり自分も病いを得て病床に臥した,明治40年の師走に入って妹を見舞ったとき,「バラの如き頬も星の如き瞳も牀中に呻吟し断腸の思いであった」などと書き,また同年暮れ遂に死別し,「この聖書を得て永遠の友とする」と記してある.
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