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文献概要
コーヒーブレイク
戦後50年
著者: 屋形稔1
所属機関: 1新潟大学
ページ範囲:P.284 - P.284
文献購入ページに移動 終戦の玉音放送を聞いてから50年過った.今の日本の中堅である50歳以下の人々は無論あの日の思い出はなく,戦後日本の歩みとともに成長したわけである.
しかし大正生まれもしくは昭和一桁で今まで生き延びてきた人間にとっては,永い人生の中でももっとも感慨深い1日であったに違いない.私も世界規模の戦争の終末に近いころの医学部に進んでわずか1年,死の予感は確かなものになりつつあった.原爆が投下され,大学のある新潟の街も狙われているという風評が流れ,全員帰休を命じられた8月であった.暑い1日故郷の近所の親しくしていた衆議院議員の小父さんの家で玉音を聞いた.意味の把え難い詔書であったが,彼が平伏して落涙するのを見て終戦を実感した.深い衝撃とともに徐々に湧きあがってくる解放感を今でも思い出すことができる.この議員も今と違い井戸と塀だけが残ると言われる政治家の珍しくなかったころで政治に家産を蕩尽(とうじん)して,数年後失意のうちに死んだ.
しかし大正生まれもしくは昭和一桁で今まで生き延びてきた人間にとっては,永い人生の中でももっとも感慨深い1日であったに違いない.私も世界規模の戦争の終末に近いころの医学部に進んでわずか1年,死の予感は確かなものになりつつあった.原爆が投下され,大学のある新潟の街も狙われているという風評が流れ,全員帰休を命じられた8月であった.暑い1日故郷の近所の親しくしていた衆議院議員の小父さんの家で玉音を聞いた.意味の把え難い詔書であったが,彼が平伏して落涙するのを見て終戦を実感した.深い衝撃とともに徐々に湧きあがってくる解放感を今でも思い出すことができる.この議員も今と違い井戸と塀だけが残ると言われる政治家の珍しくなかったころで政治に家産を蕩尽(とうじん)して,数年後失意のうちに死んだ.
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