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文献概要
追悼
関口 進先生のご逝去を悼む
著者: 玉井誠一1
所属機関: 1防衛医科大学校病院検査部
ページ範囲:P.1063 - P.1064
文献購入ページに移動 関口先生は,1998年(平成10)年3月5日に,永住の地と定められた米国コネチカット州のGreenwich病院で,ご家族全員にみとられながら息を引き取られた.
先生は,1932(昭和7)年2月4日に東京で誕生され,戦時の疎開のときを除いては,先生のお父上が東京で医院を開業されていたことから,東京で幼・少年期を過ごされたとうかがっている.豊島中学(現在の都立豊島高校)を卒業,日本医科大学予科に進まれ,その後,医学専門課程を慶應義塾大学医学部で修められ1957(昭和32)年3月に卒業された.横須賀米国海軍病院で1年,米国ウィスコンシン大学病院で1年のインターン期間を修了後,シアトルのワシントン大学の病理レジデントとして採用され,4年半をここで過ごされ,その後の半年を病理学教室講師として細胞診の教育に従事された.1964(昭和39)年に,ビザの関係でカナダのトロント大学病院に移り,翌年,附属病院の血液科副部長に就任,病院で腎移植が始まった時期と重なり,組織適合性検査室の開設に尽力された(この功績を,カナダ政府は現在も認めているとのことである).
先生は,1932(昭和7)年2月4日に東京で誕生され,戦時の疎開のときを除いては,先生のお父上が東京で医院を開業されていたことから,東京で幼・少年期を過ごされたとうかがっている.豊島中学(現在の都立豊島高校)を卒業,日本医科大学予科に進まれ,その後,医学専門課程を慶應義塾大学医学部で修められ1957(昭和32)年3月に卒業された.横須賀米国海軍病院で1年,米国ウィスコンシン大学病院で1年のインターン期間を修了後,シアトルのワシントン大学の病理レジデントとして採用され,4年半をここで過ごされ,その後の半年を病理学教室講師として細胞診の教育に従事された.1964(昭和39)年に,ビザの関係でカナダのトロント大学病院に移り,翌年,附属病院の血液科副部長に就任,病院で腎移植が始まった時期と重なり,組織適合性検査室の開設に尽力された(この功績を,カナダ政府は現在も認めているとのことである).
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