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Coffee Break
現職時代「君は仕掛け人」と呼ばれて
著者: 佐々木禎一1
所属機関: 1元札幌医科大学附属病院検査部
ページ範囲:P.176 - P.176
文献購入ページに移動 私は現職中,全国の多くの学会関係者と識り合う機会が多かった.それゆえ学会や研究会,セミナー等の開催に携わる機会も多く,そのいづれも想い出多いものであった.あるときある友達から「君は仕掛け人だ」といわれ,一瞬褒められたのか注意されたのかわからなかった.しかし私が先立ち中心になって実施された関連研究会やユニークなセミナーは結構多かったと思う.以下代表的なものを振り返ってみよう.
1.「日韓臨床病理学コンファレンス(JK-CCP)」:私は1973年韓国Seoulでの「臨床化学検査の自動化に関する会議」に招かれて講演をして来た.その際韓国側の臨床病理関係の重鎮─李三悦,金相仁や金箕洪の各教授と逢い,「両国のこの分野での知識や研究成果の交換のためのconferenceをしよう」との意見の一致をみた.早速日本側のボス小酒井望教授に伝えてその指示を受け,韓国側との交渉を重ね,1975年長崎での日本病理学会総会の後第1回JK-CCPへ参加の為Seoulへ向かった.日本側からの参加は僅か5名だったが,そのときの反省を踏まえ,日本側より参加者をもう少し増やすこと,および2年ごとに両国で交互に開催することにした.その結果日本側では東京,佐賀および札幌でも実施され,当初の計画に副うことができたと思う.後日小酒井会長が某紙上で「JK-CCPの成功は札幌医大の佐々木博士がその緒をつけた」といっていたのを想い出す.
1.「日韓臨床病理学コンファレンス(JK-CCP)」:私は1973年韓国Seoulでの「臨床化学検査の自動化に関する会議」に招かれて講演をして来た.その際韓国側の臨床病理関係の重鎮─李三悦,金相仁や金箕洪の各教授と逢い,「両国のこの分野での知識や研究成果の交換のためのconferenceをしよう」との意見の一致をみた.早速日本側のボス小酒井望教授に伝えてその指示を受け,韓国側との交渉を重ね,1975年長崎での日本病理学会総会の後第1回JK-CCPへ参加の為Seoulへ向かった.日本側からの参加は僅か5名だったが,そのときの反省を踏まえ,日本側より参加者をもう少し増やすこと,および2年ごとに両国で交互に開催することにした.その結果日本側では東京,佐賀および札幌でも実施され,当初の計画に副うことができたと思う.後日小酒井会長が某紙上で「JK-CCPの成功は札幌医大の佐々木博士がその緒をつけた」といっていたのを想い出す.
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