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追悼
山中學先生を偲んで
著者: 河合忠1
所属機関: 1自治医科大学
ページ範囲:P.1070 - P.1071
文献購入ページに移動 東京大学(以下,東大)名誉教授・元本誌編集主幹の山中學先生は,2019年4月27日午前6時5分ご逝去されました.享年92歳.大正,昭和,平成と3つの元号にわたって激動の時代を生き抜かれ,平成時代の最後の3日間を残し,令和時代を迎えることなく,天寿を全うされました.ご本人の遺志で家族葬が執り行われたとの訃報を,学会事務所を介して知りました.臨床検査医学会の発展を支えられたパイオニアの重鎮をまたお一人失い,深い悲しみと寂しさを覚えています.
山中先生は東大医学部医学科を卒業後,母校で内科学を専攻され,1962年,若くして助教授として徳島大学医学部附属病院に赴任され,10年間,検査部の中央化と発展に取り組まれました.その優れた実績により徳島大学教授に昇格されましたが,翌1972年母校の東大教授・医学部附属病院中央検査部長に抜てきされ,1984年には文部省令による初めての医学部臨床検査医学講座の教授として,近代化が進行中の臨床検査界をリードされました.当時,1965年ごろから始まった大学改革を叫ぶ学生運動はその極に達し,東大ではついに“安田講堂事件”にまで拡大しました.その影響で学内は大きく混迷しており,東大に移られた先生は中央検査部の組織改革に加えて,総長補佐として大学全体の立て直しに大変なご苦労をされました.加えて,先生の専門分野である血液学・血栓止血学の関連学会で多くの役職,学会長を務められ,幅広い分野で業績を上げられました.そして日本臨床病理学会では幹事(現・理事に相当),評議員を務められ,特に担当役員,委員長として学会組織改革と近代化を進められた功績は極めて大きく,名誉会員に推挙されました.
山中先生は東大医学部医学科を卒業後,母校で内科学を専攻され,1962年,若くして助教授として徳島大学医学部附属病院に赴任され,10年間,検査部の中央化と発展に取り組まれました.その優れた実績により徳島大学教授に昇格されましたが,翌1972年母校の東大教授・医学部附属病院中央検査部長に抜てきされ,1984年には文部省令による初めての医学部臨床検査医学講座の教授として,近代化が進行中の臨床検査界をリードされました.当時,1965年ごろから始まった大学改革を叫ぶ学生運動はその極に達し,東大ではついに“安田講堂事件”にまで拡大しました.その影響で学内は大きく混迷しており,東大に移られた先生は中央検査部の組織改革に加えて,総長補佐として大学全体の立て直しに大変なご苦労をされました.加えて,先生の専門分野である血液学・血栓止血学の関連学会で多くの役職,学会長を務められ,幅広い分野で業績を上げられました.そして日本臨床病理学会では幹事(現・理事に相当),評議員を務められ,特に担当役員,委員長として学会組織改革と近代化を進められた功績は極めて大きく,名誉会員に推挙されました.
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