診療支援
診断

初版の序

 医学を学びつつある者にとって,疾患に関する十分な量の知識を蓄えておきさえすれば,患者の訴えや身体所見と照らし合わせて診断を下すことなど,造作もない作業と思われるかもしれない.しかし,実際は必ずしもそうとはいえない.私自身,医学部高学年になって,臨床実習で実際に患者に接するなかで,それまでに学んできた疾患に関する知識がほとんど役に立たないことに強いもどかしさを感じたものである.自分自身の能力のなさを省みず,当時の内科教授に「教育のしかたがどこかおかしいのではないですか?」と訴えたことを,今でも鮮明に覚えている.今振り返ると,このエピソードが,私の医師としての生き方と陰に陽に深く関係しているように思う.

 学習してきたはずの知識が役立たない“もどかしさ”の原因の1つは,たとえ疾病に関してどのような症候が起こりうるのかを知っていても,個別の症候の原因としてさまざまな疾病を思い浮かべることができるとは限らないことに由来する.少し冷静に考えると,これは当然のことである.しかし,疾患の理解に何年も没頭してきた者にとって,このことが自分自身の頭の中で明瞭になるにつれ,驚きとともに医学教育の不条理さを感じたのである.この経験は,後年,ベイズの定理(Bayes' theorem)などの確率・統計的なアプローチ,臨床疫学の分野の勉強をしなければならないと決心させた問題意識を植えつけることになった.

 学習してきたはずの知識が役立たない“もどかしさ”を感じたもう1つの原因は,多くの医学部・医科大学で圧倒的な授業時間を費やしている生物医学的アプローチは臨床医にとって必要な知識の一部分にすぎないと強く感じたことに由来する.たとえば,診断を下すことは,患者の抱えている健康上の問題を,多くの場合,医学的に解決しうる手立てが分類されている項目のどれに当てはまるかを見出すことではあるが,社会的には患者にラベル

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