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雑誌目次

論文

臨床検査50巻12号

2006年11月発行

雑誌目次

特集 ナノテクノロジーとバイオセンサ 序文

バイオセンサとナノテクノロジー

著者: 軽部征夫

ページ範囲:P.1331 - P.1332

 バイオセンサは生体の巧みな分子識別機能を利用して化学物質を計測する装置である.最初にこの原理を提案したのはクラークであり,1970年代になってこの分野の研究が次第に行われるようになってきた.われわれは1970年代の初めに酵素を膜に固定化するユニークな方法を考案し,この膜の応用としてバイオセンサの研究に入った.バイオセンサに関する世界最初の本をクランフィールド工科大学のターナー教授,アメリカのアリゾナ大学のウィルソン教授とともに編集したものが1987年にオックスフォード大学から出版され,バイオセンサの研究ブームのきっかけをつくることになった.1988年にはバイオセンサに関する第1回の国際会議をタイのバンコクで開催(今年,第9回のバイオセンサの国際会議をトロントで開催)し,この分野の研究を促進することになった.筆者はアジア・太平洋地区のオーガナイザーとしてこの会議に参加している.また,「Biosensor and Bioelectronics」というこの分野に特化した学術雑誌をターナー教授らと創刊した.これらの努力によってこの分野の研究が次第に盛んになり,この分野の研究者は2,000人以上いると推定されている.

 数多くの原理が提案されているが,実用化されているバイオセンサとしては酵素を素子とする酵素センサ,筆者らが世界で初めて開発した微生物センサ,免疫センサとDNAチップなどに大別される.これらのセンサのなかで最も大きな市場を形成しているのはグルコースセンサである.糖尿病は生活習慣病といわれており,これのもたらす合併症が極めて恐ろしい.しかし,患者が血糖値検査を行い,食事やライフスタイルを適切にコントロールすることができれば合併症を効果的に抑えることが可能である.そのために,糖尿病治療費の約30%をグルコースセンサが占めており,市場は現在約7,000億円に拡大していると思われる.したがって,使い捨て型グルコースセンサの開発が極めて盛んに行われている.

総論

ナノテクノロジーと臨床検査

著者: 宮原裕二

ページ範囲:P.1334 - P.1340

はじめに

 患者の病態を正確に把握し,的確な治療方針を立てるうえで,迅速で正確な生体成分の測定は必須である.試料の採取量には制約があり,頻回の試料採取は困難であるため,測定には高い精度と感度が求められる.また,生体試料には多くの複雑な成分が含まれており,そのなかから微量の目的成分のみを選択的に検出する必要がある.これらのニーズに応えるため,臨床検査は生化学,酵素学,免疫学,分子生物学などの進歩を取り入れ,目覚しい発展を遂げている.また,臨床検査機器はエレクトロニクスやロボティックスの進歩に支えられ,自動化,高スループット化,多項目化,試料の微量化などが進展しつつあり,信頼性の高い分析が実現されている.

 一方,ヒトゲノムプロジェクトによるヒトゲノムの全塩基配列解読,遺伝子機能解析の進展,リソグラフィー技術や自己組織化による微細化技術の極限追求,ナノチューブ・ナノワイヤーを用いた分子操作技術の開発など,ナノメーターサイズ,分子レベルを扱うことができる新たな技術の動きが急速に展開しつつあり,既存の学問分野の枠を超えて科学技術の融合が加速されている.ナノテクノロジーとバイオテクノロジーの融合分野であるナノバイオテクノロジーは,材料・デバイスの構造・形態,化学的性質をナノメーターオーダーで制御して,生物の機能を分子レベルで明らかにしようとする分野であり,材料科学,計測技術,微細加工技術などが基盤となっている.ナノバイオテクノロジーの成果を医療分野に応用することにより,疾病の分子メカニズム,疾病マーカーなどが明らかになり,さらには臨床検査用試薬,プロトコルなどが開発され,新たな臨床検査項目として疾病の診断に貢献することが期待される.また,試料の前処理,生化学反応,検出技術など検査に必要なプロセス機能の集積化・小型化により,新たな臨床検査機器や臨床検査形態の実現が期待される.

各論 Ⅰ. ナノ粒子関連

1. 高分子微粒子を用いるバイオ計測

著者: 日方幹雄

ページ範囲:P.1343 - P.1351

はじめに

 バイオ計測では,微量のサンプル中のpg/mlからμg/mlという低濃度の蛋白質や核酸を計測することが要求される.高分子微粒子のバイオ計測への応用は,Singerのラテックス凝集反応1)に始まる.当初はポリスチレンラテックスという材料を使いこなしていたが,最近は目的や用途に合わせた設計や改良が行われている.さらに磁性粒子の登場により,用途と応用範囲は一気に広がり種々のバイオ計測に応用されている.今や高分子微粒子は高感度かつ迅速なバイオ計測のキーマテリアルとなっている.本稿では,高分子微粒子の臨床検査,バイオ計測への最近の応用について述べる.

2. 逆ミセルを用いた新規遺伝子診断法の開発

著者: 後藤雅宏

ページ範囲:P.1353 - P.1361

はじめに

 30億塩基対からなるヒトゲノムの解読が完了し,その遺伝情報から疾患関連遺伝子の同定が現在盛んに研究されている.これらの遺伝情報は,予防医学,ゲノム創薬,テーラーメイド医療への応用が期待されている.ヒトゲノム塩基配列は,個人個人によりかなり多くの部分で異なっており,一般にこの塩基配列の違いは多型と呼ばれている.疾患に関連する遺伝子の多型には,通常遺伝によって受け継がれるものと,後天的に生じる突然変異がある.個人個人の疾患に対するかかりやすさは,このゲノムに存在する一塩基多型(SNP;single nucleotide polymorphisms)が重要な鍵を握っていることが明らかにされつつある.一塩基多型とは,遺伝子の塩基配列が1か所だけ違っている状態を指し,30億塩基対のうち,一塩基多型は,実に約300万個存在すると言われている.このようなSNPの検出には,短時間,安価,簡便かつハイスループットに検出する技術が求められている.このSNP解析技術として,ここ10年の間に電気化学的手法1),表面プラズモン法2),QCM(Quartz Crystal Microbailance)法3),比色検出法4),マイクロチップ法5)など数多くの方法が開発されてきた.しかしながら多くの場合,プローブDNAの基盤への固定化の煩雑性や再現性などの問題が残されており,このことが遺伝子解析のコストを上げる1つの要因となっている.

 最近われわれは,DNAのハイブリダイゼーションを,逆ミセルという孤立したナノ空間で行うことに成功し,逆ミセル溶液中でのDNAのハイブリダイゼーション速度の違いを利用してSNPを検出する新しい手法を開発した6~9).本逆ミセル法では,プローブDNAの固定化を必要とせず,溶液系で簡便にSNPを検出可能である.ただ本手法は,新たなSNPを見つけ出す手法ではなく,様々な疾病に関連する既知のSNP情報から,そのSNPが存在するかどうかを簡便に判定(診断)する手法である.

3. 温度応答性ポリマーを用いたクロマトグラフィー

著者: 菊池明彦

ページ範囲:P.1363 - P.1373

はじめに

 現在,物質の分離・分析目的で逆相クロマトグラフィーが非常に有力な手法として,研究室での基礎研究から臨床検査などの応用分野に至る様々な分野で利用されている.逆相クロマトグラフィーでは,一般に,カラムの充填材表面は水になじみにくいオクタデシル基で修飾されており,この表面と分離対象となる物質との相互作用を,メタノールやアセトニトリルなどの有機溶媒と水溶液との混合溶媒からなる溶離液の組成を任意に変化させながら制御して分離・分析を達成する.本手法では,イオン性の溶質の場合は,オクタデシル基との相互作用を制御するために疎水性置換基をもつイオンペアリング剤を用いることがあり,分離・分析後にこれらを試料から分離する手間がかかる.さらに,蛋白質などでは,有機溶媒を用いることにより,高次構造が崩れ,場合によっては変性するおそれがある.分析後の廃液は有機溶媒と水溶液の混合物であり,このなかから有機溶媒だけを分離・回収するのは困難で,一般的には燃焼させるなどの方法がとられる.有機廃液の燃焼に伴う炭酸ガスの排出は一方で環境問題になるおそれもあり,有機溶媒を減量したり,全く用いることのない分離・分析手法の開発が必須である.

 このような背景の下,われわれは図1に示す構造を持つポリ(N-イソプロピルアクリルアミド)〔poly(N-isopropylacrylamide);IPAAm〕1,2)を利用したクロマトシステムの構築を目指し,PIPAAmをカラム担体の修飾剤として用い研究を展開した.PIPAAmは,水溶液中32℃を境に低温では水溶性を示す一方,32℃をわずかに超えた温度で直ちに水に不溶となって白濁・沈殿する温度応答性を示す高分子である.この特性を利用し,高分子鎖を架橋して温度変化に伴って水中で膨潤・収縮する特性をもつハイドロゲルとし,感熱応答性薬物放出ゲルとしての研究が展開されている2,3)

 この高分子をガラス,シリカビーズ,あるいはプラスチック表面に化学的に固定すると,この表面は温度変化に応答して,水によるぬれ性が大きく変化する表面ができる.すなわち,32℃以下では水になじむ(親水性)表面であるのに対し,これ以上の温度では水になじみにくい(比較的疎水性)表面となる(図2).

 Okanoら4~6)は,細胞培養皿表面をPIPAAmで化学的に修飾し,この表面上37℃で培養した細胞を,32℃以下の温度にするだけで,通常必須のトリプシンなどの蛋白質分解酵素を用いることなく,培養細胞を極めて非侵襲的に回収することに成功した.この培養皿を用いると,コンフルエントに培養した細胞を単層組織として回収できることを見いだし7,8),単層組織を細胞シートとして用いる再生医療に関する研究を展開している9).一部の組織では臨床応用され,極めて有意義な治療が実現できることが見いだされつつある10,11)

 このような物性変化を利用して,われわれは溶質との相互作用を制御する温度応答性表面の構築を目指し,研究を展開している.本稿では,温度応答性ポリマーを用いるクロマトグラフィーに関する研究を以下に概説する.

4. 熱応答性磁性ナノ粒子による高速磁気分離

著者: 近藤昭彦 ,   大西徳幸

ページ範囲:P.1375 - P.1384

はじめに

 金属ナノ粒子を含むナノ粒子と生体物質の複合粒子を,バイオ分離や各種アッセイ,診断などの幅広い領域で利用することが活発に試みられている1).特に近年,ナノテクノロジーを医療やバイオテクノロジーへ応用するナノバイオテクノロジーの展開への期待が高まるなか,研究開発が活発化している.微粒子をナノサイズにすると,相互作用に利用できる表面積を大きくできるため,分離のための吸着量を大きくでき,分析の感度が著しく向上する.したがって,より短時間に高感度診断ができるシステムの構築が可能であり,さらにトランスクリプトームやプロテオーム解析に代表される多品種,多品目のRNAや蛋白質のハイスループットな分析システムを構築するうえでも有効な材料である.本稿では,筆者らが開発と実用化を進めている熱応答性磁性ナノ粒子について,その基本コンセプト,調製法やバイオ分離・分析や医療診断への応用について述べる.

5. 医用磁性ナノビーズ

著者: 中川貴 ,   阿部正紀

ページ範囲:P.1385 - P.1396

はじめに

 近年のナノテクノロジーの発展により,ナノサイズの粒子の合成や分析,機能化技術が飛躍的に進歩し,かつてコンセプトとして提唱されていた医療・診断法が現実のものとなりつつある.特に,磁性ナノビーズは,①外部磁場による分離・輸送が可能である,②感度の高い磁気検出技術がある,③交流磁界中で発熱する,などの特長を有していることから,磁気分離,薬剤輸送担体,磁気ラベリング,MRI造影剤,磁気温熱療法(ハイパーサーミア)などの医療・診断技術への応用が精力的に研究されている1~4).磁性ナノビーズは,磁性流体(ferro fluids),磁性担体(magnetic carriers),磁気微粒子(magnetic fine particles)などとも呼ばれている.本稿では,主に日本国内で現在開発が進んでいる磁性ナノビーズの製造法,その医療・診断分野への応用を中心に概説する.なお,国外における磁性ナノビーズの医療応用に関しては,最近いくつかのレビュー5~8)が出版されているので,そちらを参照されたい.

6. 金ナノ粒子を用いた遺伝子診断法

著者: 佐藤保信 ,   細川和生 ,   前田瑞夫

ページ範囲:P.1397 - P.1408

はじめに

 ヒトゲノムの塩基配列の解読修了後,ゲノムの機能解析が進み,疾患の発症や薬剤の反応性に遺伝子が寄与していることが,少しずつ明らかにされてきた.そして,ゲノム情報をいかに診断や治療に結びつけていくかに注目が集まっている.現在,個人個人に合わせた医療を提供することを目的に,医療現場では簡便でわかりやすい遺伝子診断法が求められている.遺伝子診断を行い,病気,薬の副作用などを事前に予測することができるようになれば患者の負担を軽減することができる.しかし,誰でもが診断を受けられるような安価で迅速な診断デバイスはまだない.簡易遺伝子診断における諸問題の解決は,ナノテクノロジーを支えている材料の1つであるナノ粒子が可能にするかもしれない.生体成分の大きさを考えてみても,ナノサイズの材料は興味深い.特に金属ナノ粒子は,ユニークな光学特性を持つため,光学研究の材料としての利用をはじめ1~3),バイオ分析のためのツール4~6)としても利用が試みられている.本稿では,高感度検出が強く望まれているバイオセンシングにおいて,金ナノ粒子がDNA検出にどのように利用されているかを解説する.小さな変化をマクロな応答に変換することができる,金ナノ粒子を用いた遺伝子診断に関連した研究に焦点を当て,筆者らのグループの試みについて紹介したい.

7. 量子ドット蛍光を用いた好中球顆粒内細胞質内殺菌酵素(myeloperoxidase;MPO)の検出

著者: 星野昭芳 ,   猪原登志子 ,   大川原明子 ,   武曾恵理 ,   山本健二 ,   鈴木和男

ページ範囲:P.1409 - P.1415

はじめに

 超微量の生体成分などを高感度に検出するには,提供された検体の前処理や抽出といった操作が必要であることが多く,それゆえ生体成分の検出には多大な時間を要するという問題点がある.臨床検査においては検体の多くが血液・浸出液や組織あるいは排泄物であることが多く,検出方法としては発色試薬による比色法に加え,抗原抗体反応を利用した免疫診断法がその多くを占めている.免疫診断法ではその検出は,主流となっている発色法のほか化学発光や蛍光を用いたものがあるが,後者らは検出系の煩雑さなどから適用例はいまだ少数に留まっている.現在筆者らは,食中毒やバイオテロの原因となる細菌由来毒素など生物由来の人体に有害な物質について,蛍光ナノ粒子の放つ高輝度な蛍光を用いて高感度かつ迅速に検出するシステムの開発に向け研究をしている.また同時に,従来の病理組織学検査や細胞診においては,その操作の煩雑さや標本の保存性の悪さなどから敬遠されている蛍光抗体を用いた免疫組織化学染色に対して蛍光ナノ粒子を適応する研究を行っている.本稿では上述の研究のうち,蛍光ナノ粒子標識抗体を用いた免疫組織化学染色の臨床検査への応用について,ANCA(antineutrophil cytoplasmic antibody,抗好中球細胞質抗体)関連急性糸球体腎炎患者を対象とした好中球顆粒内酵素(myeloperoxidase;MPO)の検出を例に挙げて述べる.

8. スーパー抗体酵素(Antigenase)の臨床検査への展開

著者: 宇田泰三 ,   一二三恵美

ページ範囲:P.1417 - P.1428

はじめに

 スーパー抗体酵素(Antigenase)とは,読んで字のごとく抗体でありながら酵素作用を有しているからであるが,その最大の特徴は標的とした蛋白質を完全分解することができ,しかもその活性が天然酵素に近いという素晴らしい性能を示すことである.わかりやすくいえば,狙撃兵のように悪性のウイルスや細菌の外膜蛋白,癌細胞表面に発現している癌抗原,あるいは,病因となる蛋白質等,標的となる分子を狙いどおりに攻撃・破壊することが可能である.つまり,抗体のように抗原特異性を維持しながら,抗原を酵素的に分解する.実はこうした抗原特異性を持ち,かつ,酵素作用を示す“夢のような分子”の研究は長年行われてきたが,これまで誰も手にすることはできなかった.筆者らは,偶然,このような分子が存在することを発見した.こうした性質を持つ抗体をスーパー抗体酵素と名付けたのは,標的となる抗原分子を特異的に酵素分解するからである1).抗原分解速度が「スーパー」(速い)と,時折,誤解されるがそうではない.さらに,詳細な実験結果が集積されるにつれ,かつて1986年に報告されたAbzyme(抗体触媒)2)とはそのconceptおよび抗体酵素としての特徴が全く異なることが判明し,現在ではスーパー抗体酵素をAntigenase(Antigen decomposing-enzyme:抗原分解酵素)と呼んでいる3,4)

 以下にスーパー抗体酵素(Antigenase)の特徴を説明するが,将来,医療,検査・診断,バイオ環境制御,新型バイオ素子など多くの分野への展開が期待されている.本稿では臨床検査からの視点でAntigenaseの今後の展開を考えてみたい.

9. フラーレンの医薬品への応用

著者: 増野匡彦

ページ範囲:P.1429 - P.1438

はじめに

 フラーレン(C60)はベンゼンやグラファイトと同様にsp2炭素で構成された炭素同素体である.代表的フラーレンであるC60では60個のsp2炭素が共役系を形成しているため三重縮退した低いエネルギーレベルのLUMO(lowest unoccupied molecular orbital,最低空軌道)に対応して6電子まで容易に可逆的に還元されることから,C60は電子受容体として働く.さらにHOMO(highest occupied molecular orbital,最高被占軌道)のエネルギーレベルも高く酸化も受けやすい.このような特性から発見当初より電子デバイス関連分野などへの新規素材として興味を集めた.

 フラーレンは1985年にスモーリー,クロトーらによって星間物質として偶然に発見された経緯はご存じと思うが1),その後の合成法確立とともにフラーレンの研究は爆発的に増加した.そして,読者の方々がフラーレン研究でまず思い出すのは「高温超伝導」ではないだろうか.C60にアルカリ金属をドープしたイオン結晶(C60分子の間に金属が入っている結晶)に超伝導性があることが大々的に報じられたことがきっかけとなり多くの方々の注目がフラーレンに集まったように思われる.現在では,電気伝導特性が優れていること,巨大分子であることなどから電子デバイス関連分野ではナノチューブやナノホーンが注目を集めている.

 現状におけるフラーレン類の実用化例としてはボーリングのボールやバトミントンラケットのシャフトへの添加が挙げられる.これらは従来から用いられてきた炭素素材へのフラーレンの添加で,それらの特性が向上することからの使用であり,発見当初には考えてもいなかった分野である.フラーレン研究が始まった当初の価格は1g70万円であったものが,純度は低下するが1g千円を切るところまできた影響が大きい.

 フラーレンはベンゼン環が連なった化合物ととらえることができるが,同様にベンゼン環が縮合したベンツピレンなどの化合物と類似した毒性が懸念された.当初,われわれはこの毒性に関心を持ち研究をスタートさせたが,当時の研究レベルではベンツピレンなどと同様な毒性はないと考えられた.その後,発想を転換し,フラーレンの医薬品としての可能性を研究している.フラーレン類の物理化学的性質から類推される生理活性を種々検討し,新規医薬品リード化合物としてのフラーレン類の可能性を示してきた.まだフラーレン自体は医薬品として認められてはいないが,化粧品としては実用化されている.

 また,フラーレン類のバイオセンサーへの応用研究も報告されているが,これらもフラーレンが電子の授受に適していることに基づいている.

 本稿では,はじめにわれわれと他の研究グループが行っているフラーレンの医薬品への応用研究を述べ,次にセンサー分野でのフラーレンの可能性について紹介する.

10. 分子集合体の細胞内デリバリー

著者: 二木史朗

ページ範囲:P.1439 - P.1446

はじめに

 近年,様々なタイプの機能性分子集合体やナノ粒子が開発され,臨床検査や医療,薬物送達などへの応用が試みられてきている.また,これらを細胞内に効率的に導入することができれば,新しいタイプの細胞機能の制御法,細胞内情報の可視化や計測法,あるいは遺伝子や薬物治療法の開発に結びつく可能性がある.一方では,細胞は脂質二重膜よりなる細胞膜によって,外界と遮蔽されており,このような分子集合体やナノ粒子を細胞内に導入するためには,外界とのバリアである細胞膜をなんらかの手段で通過しなくてはいけない.本稿では主として薬物送達を例に,分子集合体の細胞内デリバリーの現状と問題点について概説する.

Ⅱ. バイオセンサ関連

1. 酵素センサの原理と応用

著者: 久保いづみ

ページ範囲:P.1449 - P.1458

Ⅰ. 酵素センサとは

 バイオセンサの中でも酵素を分子識別に利用する酵素センサは最も初期から研究がされている.酵素を生化学的分析に利用することは,1940年代から始まっていたと言われている1).酵素は基質特異性の極めて高い触媒であるから,特定の物質の選択的分析には有用であることはいうまでもない.酵素を溶液中で触媒として用いる検査は今も種々の測定キットとして商品化されているが,1940年代にはまだ,そのようなものが手軽に入手できたわけではなく,また酵素も高価なものであったか,あるいは商品化はされておらず,自分で分離精製しなければならなものであったのかもしれない.

 このようななかで,グルコースの定量にはglucose oxidase(GOD)とperoxidaseを使用し,グルコースの酸化によって生じた過酸化水素からperoxidaseを介して電子受容体となる色素を還元することで色素の色変化(呈色)を測定する方法が有効であることが示されていた.

2. バイオ・医療計測に向けたケミカルプローブ―質量分析用プローブ

著者: 本田亜希 ,   鈴木祥夫 ,   鈴木孝治

ページ範囲:P.1459 - P.1465

はじめに

 プローブは辞書では「探針」とあり,すなわち,物理的特性を測定する針状部品という意味が示されている.しかし,近年の科学者の間においてはプローブとはもっと広い意味で「見えないものを見えるようにするためのモノ」を指す.われわれは「ケミカルプローブ」という言葉を「目的物質の検出を可能にする機能性化学物質」という意味で用いている.

 例えば細胞内を観察する方法について考えてみる.電子顕微鏡を用いて,細胞を観察すれば,細胞表面の凹凸を詳細に見ることができる.しかし,電子顕微鏡写真をいくらよく見ても,その細胞表面に特定のレセプターがあるかどうかまでを知ることはできない.もし,細胞表面上のレセプターの有無を知りたければ,そのレセプターに特異的な抗体に蛍光分子を付したものを用いて細胞を染色し,これを蛍光顕微鏡で観察することにより,知ることができる.

 ある物質を効率よく見るためには分析装置を選ぶことがまず重要である.分析装置は上記の例であれば,電子顕微鏡または蛍光顕微鏡である.さらに,その分析装置によって,目的のものだけを検出するためには,ケミカルプローブが必要となる場合が多い.上記の例であれば,蛍光プローブがケミカルプローブとして用いられている.分析装置とケミカルプローブを上手に組み合わせることによって,自分の見たい物質をクローズアップして,効率的に観察できるのである.

 われわれの研究室では,医療やバイオ研究に携わる科学者が興味を持つ生体応答を一連のデバイスで検出するシステムを提唱しており,とりわけ,蛋白質,イオン,その他の低分子化合物を,1つの分析装置で効率よく測定する方法を模索している.そのための方法として,質量分析計を分析装置として用いることを提案している.質量分析計とは,物質の分子量を知るために用いられる装置であるが,感度ならびに分解能が高いことから,ケミカルプローブと組み合わせることによって,検出器という意味での分析装置としても有効に用いられることが期待される.

3. プロテインチップを用いた蛋白質間相互作用分析

著者: 荒川憲昭 ,   岩船裕子 ,   平野久

ページ範囲:P.1467 - P.1476

はじめに

 ヒトゲノムシーケンスの解読が終了し,DNAチップ技術(マイクロアレイ法)の開発が急速に推し進められた.このDNAチップを用いた遺伝子発現解析により,種々の疾患に関連する多くの遺伝子が発見されている.この手法は,DNAから転写されるmRNAレベルの変化を正常の状況と直接比較するものである.しかし,細胞の機能は,mRNAあるいはその翻訳産物である蛋白質の量的な変化のみで調節・維持されているわけではない.生体内では,蛋白質は,他の蛋白質や低分子リガンド,DNAなどと相互作用したり,リン酸化,糖鎖付加,アセチル化などの翻訳後修飾や限定分解を受けることで,翻訳直後とは全く異なる状態に変化する.したがって複雑な生命現象を理解するためには,蛋白質の翻訳後修飾や相互作用といった質的変化を解析することが重要である.特に多数の蛋白質の機能を明らかにしようとするプロテオーム解析では,蛋白質間相互作用の解析は中心課題の1つであり,迅速高効率(ハイスループット)で分析できる方法の開発が不可欠である.

 これまで,蛋白質間相互作用を解析するための多くの技術開発が行われ,古くから利用されてきたGST-プルダウンアッセイ,免疫沈降法や酵母2-ハイブリッド法に加え,最近ではアフィニティータグを用いたプルダウン法が脚光を浴びている.加えて,網羅的解析が可能であるDNAチップ技術の利点をプロテオーム解析に応用することも試みられており,その1つとして有望視されているのが,数多くの蛋白質を基板上に並べたプロテインチップである.しかし,蛋白質の調製と固定化というまだこれから解決すべき大きなハードルがある.ここではこれらの方法の長所・短所を比較し,プロテインチップを使った蛋白質間相互作用解析の今後の方向性を明らかにしたい.

4. 電気化学バイオセンサによる蛋白質機能解析

著者: 村田正治 ,   片山佳樹 ,   橋爪誠

ページ範囲:P.1477 - P.1486

はじめに

 ヒトゲノム解析の完了を発端に,生命科学研究の焦点は遺伝子から蛋白質へと移りつつある1).機能発現を担う蛋白質は場所,環境,そして時間によって刻々と変化し,多くはダイナミックな構造変化を伴うことが知られている.蛋白質の機能は構造の形成から情報の伝達,物質の変換など極めて多岐にわたっており,生命システムを理解するためにはこれらの機能解析(プロテオミクス)が必要不可欠である2,3)

 特に近年,病態と細胞シグナルの関係が次々に明らかになるにつれ,治療法の選択と予後の推定においてもプロテオミクスの重要性が広く認識されつつある.遺伝子の機能本体である蛋白質レベルでの解析は,細胞や組織において発現している蛋白質の種類と量の総体的な変動を検出する「発現プロテオミクス」と,個々の蛋白質そのものの機能を網羅的に研究する「機能プロテオミクス」に大別することができる.前者はDNAマイクロアレイや,二次元ゲル電気泳動と質量分析法による解析が中心であり,現在は分解能と感度の向上が続けられている.しかしながら後者には,膨大な種類の蛋白質を網羅的かつハイスループットに解析できる分析機器はいまだなく,今後の生命科学研究における大きな課題となっている.

5. 熱レンズ顕微鏡による非蛍光性分子の超高感度検出

著者: 馬渡和真 ,   北森武彦

ページ範囲:P.1487 - P.1499

はじめに

 DNAチップやマイクロチップ,単一細胞などに代表されるように,最近分析対象がマイクロ・ナノサイズ化しており,それに伴い検出法にはミクロ空間をin situ,in vivo測定できることに加えて,単一分子レベルの感度と汎用性が求められている.これらの要求に対しては,従来から光学的な測定法が主に用いられてきた.特に,感度の点から,レーザー誘起蛍光法を応用した共焦点蛍光顕微鏡や全反射蛍光顕微鏡が用いられており,実際に単一分子測定が多数報告されて1),現在では誰でも使えるシステムが市販されるに至っている.しかし,蛍光法は原理的に測定対象が蛍光物質に限定されるために,汎用性という点が欠落している.また,ナノバイオの進展とともに,生体物質を非標識(ありのままの状態)で測定するニーズも高くなってきている.これらの背景のもとに,筆者らは非蛍光性物質を単一分子レベルの感度で測定できる熱レンズ顕微鏡を独自に開発して,医療・環境・バイオなど様々な分野に応用してきた.熱レンズ分光法自体は約40年前から知られている古い原理であるが,顕微鏡との組み合わせを実現できたのは筆者らが最初であり,これは熱レンズ分光法に不可欠な光学的工夫に起因している.現在では,熱レンズ顕微鏡はミクロ空間の高感度かつ汎用的測定手法として広く認知されてきており,実際にベンチャーより装置が実用化されており,誰でも使える下地が整ってきている2)

 そこで本稿では,熱レンズ顕微鏡の原理と装置,さらに医療分野への応用例について紹介する.

6. 電気化学的遺伝子検出

著者: 竹中繁織

ページ範囲:P.1501 - P.1507

はじめに

 30億塩基にも及ぶヒトゲノム塩基配列の解析を目指した国際的なヒューマンゲノム計画は3年前に完了した.この成果を基に一塩基多型(single nucleotide polymorphism;SNP)解析,トランスクリプトーム,プロテオーム,メタボロームといったオーム解析によってヒトのみならず種々の生物に関する膨大かつ多岐にわたる情報が蓄積されてきている.今後は,これらの知識を医療,農業,環境などの分野に活用していくことが重要な課題となってきている.医療において特に生活習慣病をはじめとする疾患の発病リスクや薬剤に対する感受性(副作用や効能の事前診断)などの診断に対する適用が注目されている.これが実現できればテーラーメイド医療(個人の遺伝子的特長に応じた疾患の予防,副作用の少ない治療など)が実現し,QOL(quality of life:クオリティオブライフ)の向上と医療の効率化,医療費削減に貢献できると期待されている.

 筆者らは,これまで電気化学的遺伝子検出について研究を行ってきた.電気化学的手法の遺伝子解析への適用は,従来に比べ高感度化,装置の小型化,自動化などの優位性があり今後のテーラーメイド医療実現へ貢献できると期待されたからである.ここでは,筆者らの開発した電気化学的遺伝子解析法の特徴とこの技術の電気化学的DNAチップ1)への応用,さらには癌マーカーとして注目されているテロメラーゼの電気化学的アッセイ法2)への応用について紹介したい.

7. 磁気ナノマーカーを用いた超高感度免疫診断システム

著者: 円福敬二

ページ範囲:P.1509 - P.1518

はじめに

 磁気マーカーとSQUID(superconducting quantus interference device:超伝導量子干渉素子)磁気センサを用いた磁気的な免疫検査法について述べる.本方法では,磁気ナノ粒子で標識した抗体(磁気マーカー)を用いて,抗原-抗体の結合反応を磁気マーカーからの磁気信号により検出する.本方法では,未結合マーカーの溶液中でのブラウン回転運動を利用することによりB/F(bound/free)分離なしでの免疫検査が可能であり,この特長を利用すれば蛋白質の高速・高感度検出が期待できる.最初に,筆者らが開発している磁気マーカーおよび検査システムについて述べ,次に,本システムを用いた免疫検査の例としてIgEの検出結果を示す.

 磁気ナノ粒子のバイオ分野への応用に関しては,これまで多くの研究がなされている1).代表的なものとしては,磁気ナノ粒子を用いた蛋白質や細胞の磁気的な分離・精製が挙げられる.また,MRI画像用の造影剤としても用いられている.これらの応用では磁気ナノ粒子は磁気ビーズとも呼ばれており,多くの市販品がある.

 近年,磁気ナノ粒子の新しい応用分野として,ハイパーサーミア,ドラッグデリバリー,および免疫検査への展開が期待されており,これらの応用に最適な磁気ナノ粒子と装置システムの開発研究がなされている.本稿では,このなかの磁気ナノ粒子を用いた磁気的な免疫検査法について述べる.

 免疫検査は種々の疾患由来の蛋白質を抗原-抗体の結合反応を用いて検出する方法であり,医療診断において多く用いられている.近年,多種類の微量な蛋白質を高速・高感度に検出する重要性が高まっており,そのための検査システムの開発が切望されている.このため種々の検査法が研究されているが,そのなかの1つが,本稿で述べる磁気的な検査法である.この検査法では,磁気ナノ粒子で標識した抗体(磁気マーカー抗体)を用い,抗原-抗体の結合反応を磁気マーカーからの磁気信号により検出する.本検査法には,従来の光学的手法にはない超高感度性やB/F分離不要の機能が期待されており,これらが実現すれば,微量な蛋白質の高速・高感度検出が可能となる.

 本稿では,最初に磁気マーカーを用いた免疫検査の原理について述べる.次に,抗原に結合した磁気マーカー(Boundマーカー)と未結合のマーカー(Freeマーカー)の磁気特性の違いについて述べ,この特性の違いを利用すればB/F分離なしでの検出が可能となることを示す.さらに,磁気マーカーからの磁気信号を高感度に検出するための測定システムについて述べる.最後に,磁気マーカーを用いた磁気的な免疫検査実験の例を示す.

8. 表面赤外分光を用いた非標識バイオセンシング

著者: 庭野道夫

ページ範囲:P.1519 - P.1528

はじめに

 生体機能の解明や臨床検査のためには,DNA,蛋白質,細胞などに対する高性能バイオセンシング技術の開発が必要不可欠である.特に,生体分子や細胞を,その場で(in vitro),しかも非標識で分析する技術の開発が強く望まれている.本稿では,そのような計測技術の1つである表面赤外分析法について,その測定原理を簡単に述べ,2,3の測定例を紹介する.

 ヒトゲノムの塩基配列が決定され,バイオ関連研究はポスト・ゲノムの新たな段階に入っている.DNAの塩基配列の解読により,すべての蛋白質の構造と機能を明らかにして生命現象を解析するプロテオミクスや,DNA塩基配列によらない遺伝子発現制御にかかわる後成的DNA修飾(DNAメチル化など)であるエピジェネティクス(epigenetics),SNP(single nucleotide polymorphism;単一塩基多型,スニップ)解析に基づいたオーダーメイド医療の実現など新しい研究課題が提起されている1~5).これらの研究を進展させるためには,革新的な生体解析技術,特に生体物質間の相互作用を検知する高性能なバイオセンシング技術の開発が必要不可欠である.そのために,われわれは,表面を生体解析のセンシング媒体として,ナノエレクトロニクスやナノフォトニクスなどの工学的手法とバイオロジーを有機的に組み合わせて,新しいバイオセンシング技術を実現することを目標に,以下のような研究課題に取り組んでいる.まず,①ナノスケールで構造制御した生体に適合する表面を形成し(土台となる表面を用意する),②その上に生体分子認識機能を有する薄膜や分子を構造制御・配向制御した状態で形成し(表面に機能を持たせる),③その機能表面の分子認識情報を高感度,高精度で物理信号に変換する技術を確立し(分子認識情報を取り出す),そして,これらの要素技術の複合化・集積化により,④実際にバイオ分野(薬学・医学・医療)に応用する.目指す技術は,表面ナノテクノロジーとバイオロジーを有機的に組み合わせて生体情報を引き出す工学であることに因んで「表面バイオトロニクス(Surface Biotronics)」と名付けている.

 本稿では,上記の研究課題③に焦点を当て,半導体表面を利用した赤外分光バイオセンシング技術について述べる.まず,表面赤外分光を用いた非標識センシング技術について述べ,次に,この技術を用いた最近の研究成果として, DNA相補対形成(ハイブリダイゼーション)検出や抗原抗体反応検出を紹介する.

9. 走査型プローブ顕微鏡による生体構造の機能とイメージング

著者: 牛木辰男

ページ範囲:P.1529 - P.1536

はじめに

 走査型プローブ顕微鏡(scanning probe microscope;SPM)は,光学顕微鏡や電子顕微鏡のようなレンズを持った従来の顕微鏡と異なり,鋭い探針(プローブ)で試料の表面をなぞりながらその表面情報をイメージングする風変わりな顕微鏡である(図1).この,いわば「触針型」顕微鏡ともいえるSPMの源流は,1981年にスイスのIBM研究所においてBinnig博士とRohrer博士が発明した走査型トンネル顕微鏡(scanning tunneling microscope;STM)1)にまで遡ることができる.

 STMは,金属の探針を金属試料の表面にナノメートルレベルまで近接させて,両者の間にバイアス電圧をかけることで,探針・試料間にトンネル電流を生じさせ,その電流を測定・制御しながら探針(または試料)を走査する顕微鏡である.トンネル電流は探針・試料間の距離により大きく変化するので,STMでは試料表面の正確なトレースが可能で,原子配列の情報まで正確にイメージングすることができた.この顕微鏡の分解能の高さに注目して最初に生物応用が行われたのは,DNAをはじめとした高分子のイメージングであったが,STMではトンネル電流を用いているため探針も試料も導電性が必要となり,生物領域への応用には大きな制約があった.

 ところが,1986年にSTMから派生して原子間力顕微鏡(atomic force microscope;AFM)2)が開発された.この顕微鏡は,トンネル電流ではなく試料と探針の間の相互間力(原子間力)を測定・制御しようとするもので,STMと同様に高い分解能をもちながらも試料の導電性を必要としなかった.その結果,生物学分野への応用の大きな可能性を秘めた顕微鏡として,生物学者の注目を集めることとなった.

 その後,これらの顕微鏡以外にも,さらにプローブ(探針)と試料間に生じる様々な物理量を測定・制御するタイプの顕微鏡(摩擦力顕微鏡,磁気力顕微鏡,マイクロ粘弾性顕微鏡,走査型近接場光学顕微鏡など)が開発され,現在ではこれらを総称してSPMと呼ぶようになっている3).こうした新しい顕微鏡の出現により,SPMの生物応用はさらに多様な可能性を広げつつある.

 ここでは,このなかで最も生物学分野に期待され,また新しいイメージング法として現在までに生物分野に利用されてきたAFMについて,その原理と実際の生物観察の応用例を紹介する4,5).また,最後にAFM以外のSPMの利用の現状についても簡単に触れる.

Ⅲ. マイクロチップ分析関連

1. ペプチドアレイの現状と,診断・創薬のための細胞内シグナル解析用ペプチドアレイ

著者: 片山佳樹

ページ範囲:P.1538 - P.1548

はじめに

 生体試料中の目的成分を検出,定量したり,成分同士の相互作用を調べたりする手法は,創薬や診断にとって,重要かつ一般的なものである.従来,この目的のためには,抗体を利用するELISA(enzyme-linked immunosorbent assay)法が多用されてきた.一方,ゲノム研究の進展に伴い,近年,疾患に関する分子メカニズム,あるいは,疾患関連遺伝子およびその生成物である蛋白質に関する情報が急速に得られつつあり,診断,および創薬のための対象成分が膨大になりつつある.このような情報を活かすには,分析手段のハイスループット化が重要なキーワードとなっている.チップテクノロジーは,この問題に対する最も現実的なアプローチであり,まず,遺伝子チップが開発され,遺伝子発現状況の網羅的解析が可能となった.これにより,疾患関連遺伝子の取得が比較的容易になり,多くの情報が蓄積された.しかしながら,遺伝子チップは,あくまで遺伝子の転写状況を見ているのであり,蛋白質の発現には翻訳過程を経るため,実際の遺伝子発現情況と,転写状況は相関性が意外に低いという問題や,実際に関連遺伝子が得られても,その機能が未知であるものが多く,その生成物である蛋白質の細胞内での位置づけがわからなければ,創薬や診断には直結しないというジレンマがある.そのため,蛋白レベルでゲノム情報を解明しようとするプロテオームの考え方が生まれ,実際の蛋白質の発現状況や,蛋白間相互作用ネットワークを解明しようとする試みが多くなされている.ただ,蛋白質は遺伝子とは異なり,極めて不安定な分子であるうえに,その存在量が蛋白質の種類により大きく異なるため,これを網羅的に調べることは容易なことではない.現在,蛋白の発現情況を網羅的に調べることのできる実用的手法は,2次元電気泳動しかなく,とてもこの目的にアプローチできる情況にはないのが現状である.そのため,多くの蛋白質に対する抗体をディスプレイした抗体アレイや,蛋白間相互作用解明のため,多種類の蛋白質をディスプレイしたプロテインチップが盛んに研究されているものの,上述の要因のため,実用化は進んでいない.一方,ペプチドは,蛋白質の断片であると捉えることができ,立体構造は取れないものの,アミノ酸配列に由来する蛋白質が保有する機能をある程度保持している.ペプチドは,蛋白質とは異なり化学合成が可能であり,比較的安定,かつ多量に取り扱うことができる.そこで最近,分析したい蛋白質の機能をペプチドで代用するペプチドアレイ(ペプチドチップ)が盛んに研究されるようになってきており,一部,対象によっては実用化レベルに達してきている(図1).ここでは,まず,このようなペプチドアレイの現状を述べ,次いでわれわれが最近開発を進めている,細胞内シグナル解析用ペプチドアレイについて紹介する.

2. 抗体マイクロアレイ

著者: 山形豊 ,   長棟輝行

ページ範囲:P.1549 - P.1556

はじめに

 蛋白質やDNAなどの生体高分子をチップ化,マイクロアレイ化するという試みは,1990年代中旬にStanford大学のBrownらによりDNAマイクロアレイが現実のものとなったことを契機として急速に広まりつつある.蛋白質やDNAなどの生体高分子を基板に固定化するという考え方は,プレートを用いたELISA(enzyme-linked immunosorbent assay)分析や各種ブロッティング法などのように従来から存在していたが,高密度マイクロアレイ化することで,処理可能なサンプル数,感度,必要とされる試薬・サンプル量などの観点から劇的な性能向上が見込まれ,生化学・化学分析の手法を大きく変える原動力となっていることは周知の事実である.

 こうしたマイクロアレイ化・チップ化の技術は,従来の生化学・生物科学分野の機器とは大きく異なる分野の技術を取り入れて大きく発展している.これらのマイクロアレイ,チップ作製技術は大きく分けてスポットなどを形成するデリバリー技術,蛋白質やDNAなどのサンプルを固定化する基板材料などの技術,そしてこれら固定化されたチップにより分析を実行しシグナルとして検出する検出技術に大きく分けられる.初期のDNAチップ形成に用いられた手法は,スポッティング法と呼ばれ,ペン先状のピンを利用して液滴を置いてゆくという手法であるが,現在では各種インクジェット技術や基板上でのフォトリソグラフィを利用した光化学反応の利用,LSI(large scale integration)製造技術の利用など精密機器,半導体などの様々な技術が融合してマイクロアレイ形成技術を支えている.蛋白質チップ,特に抗体(あるいは抗原)マイクロアレイの場合は,DNAチップのように基板上での合成は不可能であり,かつ蛋白質の活性を維持する必要があることから,DNAチップとは異なる技術開発を必要としている.また,これらの応用技術の1つとしてマイクロ流体チップが大きな注目を集めている.本稿ではこれらの技術について概説するとともに,筆者らが研究を進めているエレクトロスプレーデポジション法によるチップ形成技術とマイクロ流体チップを組み合わせた抗原抗体反応検出システムについて解説する.

3. 無痛針による微量採血分析から在宅で健康診断できるヘルスケアチップの開発

著者: 堀池靖浩 ,   甲田裕子 ,   小川洋輝 ,   長井政雄

ページ範囲:P.1557 - P.1565

はじめに

 わが国では近年,少子高齢化が進行し,高齢者が占める医療費のコストの激増が国家予算を圧迫するとともに,少子化による労働力の不足により国力を衰退させることが危惧される.この包括的解決の一策は,高齢者が働く意欲のある限り働き,培った知恵と経験を社会に還元できるよう元気で毎日を送れる「健康立国」を世界に先駆けわが国に創り出すことである.このためには予防が大切であり,簡便・迅速なバイオセンシング技術を早急に確立しなければならない.一方,μTAS(micro total analytical system)やLab on a Chip1)と呼ばれる小面積の基板に異なった分析部品を機能的に集積化して微量試料を分析する新研究分野が近年急激に発展し,その出口の1つとして種々のバイオチップの出現が期待されている.筆者らはその一貫として,微量の採血から在宅で簡便・確実に同時多項目を診断できる種々の診断用POCT(point-of-care testing)チップを開発している.図1にバイオチップ開発の目的とその展開をまとめたが,種々の診断チップが整うと,計測された多項目のマーカー値を医療施設に通信回線で送り,医療ブロードバンドネットワークと高精細ディスプレイを介して医師による問診が在宅で可能になる.検出マーカーを増やし,長期間の使用によって,医療施設に多数の方の健康・疾病マーカーの推移が蓄積されたデータベースが構築され,そのマーカーと疾病との相関関係を解明が可能になる.さらには,医師不在の寒村や離島の人々の遠隔診断が実現される.

 本稿では,まず現在商用の各種POCT生化学分析装置を紹介し,筆者らの在宅検査を目指した無痛針から採取した微量の血液の電気化学法2)や比色法3,4)による分析によって健康・疾病マーカーを測定するヘルスケアチップを解説する.これらのバイオチップの製作については拙著5)に譲り,言及しない.

4. マイクロ・ナノバイオデバイスによるDNA・蛋白質解析

著者: 渡慶次学 ,   加地範匡 ,   馬場嘉信

ページ範囲:P.1567 - P.1575

はじめに

 近年,半導体微細加工技術や精密合成技術を利用したマイクロ・ナノバイオデバイスの研究が大きな注目を集めている1).特に,DNAや蛋白質に代表される生体由来の微量物質の解析では,次世代の解析ツールとして大きく期待されている.マイクロ・ナノバイオデバイスを用いることで,従来法では長時間必要であった解析を数秒~10分程度で終えたり,また,従来法では不可能であった実験を可能にした.これまでに様々なマイクロ・ナノバイオデバイスが開発されているが,ここでいうマイクロ・ナノバイオデバイスは,基板上に作製されたマイクロメートルスケールの微細流路(マイクロチャネル)やマイクロチャネル内に構築したナノ構造体を利用して,DNAや蛋白質の解析に必要な分析操作(抽出,精製,増幅,分離,検出など)を集積化した高機能流体デバイスのことであり,DNAチップに代表されるマイクロアレイは含まない.

 本稿では,最初にマイクロ・ナノバイオデバイスの概略を紹介し,その後にマイクロ・ナノバイオデバイスの疾患診断への応用と制限酵素切断地図の作成について紹介する.

5. マイクロアレイ診断チップ

著者: 野島博

ページ範囲:P.1577 - P.1586

はじめに

 ポストゲノム時代という言葉が古臭く聞こえるほど凄まじい勢いでバイオ技術は進展している.「ベンチからベッドサイドへ」という合言葉をもって始まったトランスレーショナル医療(translational medicine)は,ゲノム創薬やゲノム医療の基盤となる臨床検査の分野で現実のものとなりつつある1).その際に使われるツールのひとつにマイクロアレイ診断チップがある.それにもDNAチップ,蛋白質チップ,抗体チップ,糖鎖チップなど様々な種類の診断チップが考案され研究されている.マイクロアレイDNA診断チップについても,その概念はどんどん広がっており,当初のcDNA(あるいはそれに相当するオリゴヌクレオチド)を貼り付けてゲノムレベルでの遺伝子発現解析を行うものだけでなく,全ゲノム領域を貼り付けたゲノムタイリングアレイ,ChIP-Chip法に用いられるプロモーター領域のDNAチップ,さらにmicro RNAを解析するためのDNAチップが開発されており,今後さらにその応用研究は広がって行くものと思われる2).ここでは話を分散させないために,主として本来の「cDNAの発現解析」に話題を絞って解説する.

6. ナノ/マイクロテクノロジーとバイオ分子デバイス

著者: 民谷栄一

ページ範囲:P.1587 - P.1597

はじめに

 バイオセンサー,バイオチップなどを中心とするバイオ分子デバイスの研究には,ナノテクノロジーやマイクロ集積テクノロジーが不可欠となっている(図1).特に,ナノスケールで設計された機能材料やデバイスとの連携が極めて重要になっている.また,ナノ構造の機能を生かすためには,場を設定するためのマイクロ微細加工技術が不可欠である.すなわちマイクロチャンバーアレイやマイクロ流体デバイスなどと連携が有用である.ここでは筆者の研究を中心にこれらの例を示すこととする.

基本情報

臨床検査

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1367

印刷版ISSN 0485-1420

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