虫歯菌病原因子の遺伝子的解析の現況
著者:
佐藤裕
ページ範囲:P.289 - P.290
口腔内に生息するレンサ球菌のうちミュータンスレンサ球菌(mutans streptococci)と呼ばれる一群の菌は虫歯の原因菌とされている.mutansstreptococciはヒトの虫歯に関与するS.mutans,S. sobrinusを含め6菌種の総称で,他のレンサ球菌ともっとも顕著な違いは,グルコシルトランスフェラーゼ(GTase)によりスクロースから非水溶性グルカンを産生することである(浜田,本誌,33,704,1989).非水溶性グルカンは,これらの菌を歯面に付着させ,そこでのスクロースの代謝により生じた乳酸を局所に貯留せしめその酸が歯を侵すため,もっとも重要な病原因子とされている.GTaseには性質の異なる数種の酵素が存在するが,それらをコードする遺伝子が同定され,その産物との対応がつきつつある.S.sobrinusにおいては,非水溶性グルカン合成酵素(GTase-I)をコードする遺伝子(gtfI)が1つ1)と,水溶性グルカン合成酵素(GTase-S)の遺伝子が3つあり2),S.mutansにおいては,GTase-Iをコードするものが2つ(gtfB3),gtfC4))とGTase-Sのそれが1つ(gtfD)5)存在する.gtfBとgtfCはDNAレベルで90%近いホモロジーを有し4),隣接していることから,gtfB, gtfC遺伝子は元は1つの遺伝子が重複されたものと考えられる.一方,gtfBもgtfDと50~60%のホモロジーを有していることや6),gtfBが他菌種のgtfIと60%近いホモロジーのあること7)は,これらgtf遺伝子はある1つの先祖遺伝子から進化してきたことも推察され,今後GTase分子構造上どの部分が非水溶性グルカン生成に重要なのかが明らかになると思われる.またGTase以外にスクロース依存性の付着に関係しているグルカン結合蛋白質は,C末端にg躯やgmaとホモロジーがあり,この領域を介してグルカンとの結合が推定される8).一方,スクロース非依存性付着に関与している表層抗原蛋白質遺伝子pac, pagがS. mutans, S. sobrinmsよりそれぞれクローニング,シークエンスされており,その一部の配列を合成ペプチドとして,抗鶴蝕ワクチンを作製する試みがなされつつある9).このように虫歯菌の遺伝子的研究は付着因子に集中して行われてきたが,乳酸生成系(解糖系)も重要な因子であり,その遺伝子的解析も行われている.S. mutansは主にホスホエノールピルビン酸依存スクロースホスホトランスフェラーゼ輸送系(scrPTS)によりスクロースを取り込み乳酸を生成する.PTSはバクテリアに特有な糖輸送系で,S. mutansのような嫌気性菌では主要な系である.輸送される糖は,これに対応して形質膜に存在するエンザイムII(EII)により細胞内に輸送されると同時にリン酸化される.このリン酸基は解糖系の基質であるホスホエノールピルビン酸に由来する.そのscrPTSのEII遺伝子scrAと輸送産物スクロース6リン酸のハイドロラーゼ遺伝子scrBがクローニングされ10),DNA塩基配列も決定されている11).近年,大腸菌を中心にEII遺伝子群の解析が進み,グラム陰性菌,陽性菌を問わず種を越えて,それらの間に認められるホモロジーから,それらEII遺伝子はグラム陰性菌,陽性菌に分化する以前のある1つの先祖遺伝子から進化してきたものと考えられている12).S. mutansにおいて,酵素レベルではグルコース・マンノース系,フルクトース系,スクロース系のEIIが2つずつあり,これらの糖濃度が著しく変動する口腔内環境に適応して2つのEIIを調節しているらしい.その他マンニトール,ソルビトール,ラクトース,マルトースについてもEIIの存在が報告されており13),今後それらのEII活性と遺伝子の対応が望まれるところである.このようなS. mutansの多様な糖輸送系と調節系は,この菌が歯面に付着して後,そこで生き残っていくのに重要な因子と考えられる.このPTSをはじめ代謝系とその調節に関する遺伝子レベルの研究は,虫歯をつくらない細菌叢の確立に有用な情報を与えるものと筆者は考えている.